「ネパールワークキャンプ」
  update 2004/08/06更新  最高学部

ネパールワークキャンプ

最高学部では夏休みにネパールワークキャンプに行っています(今年で15年目)。 ワークキャンプが始まった当初は学生のみによる植林活動が主でしたが、 現在では地元の営林署の人たちや地元の学校の子供たちと一緒に植林活動を行ったり、 子供たちと交流したり、と活動の幅を広げています。 今年度は7月11日から28日まで、学生20名と教師4名が参加して行なっています。 ここでは現地から電子メールで届く活動内容を紹介します。 地名や人物名などわかりにくい箇所もございますが、ご了承ください。

※7月14日以降は、帰国後の掲載。



ネパールワークキャンプ

●7月23日   酒本絵梨子(2年)より報告


05:30 起床
06:00 食事
06:30 生活調査出発、掃除
07:00 レポート作成
10:30 Meeting
12:00 食事
12:30 SGへ出発
Farewell party in SG
14:30 レポート作成
15:30 モモ作り
18:00 モモパーティ
19:40 Meeting

感想と様子
このワークキャンプも、「もう終わりなんだ」と感じさせる1日であった。

午前中のミーティングでは全員言い終わることはできなかったが、一人一人の今までの感想を聞き合うことをした。それぞれ感じたこと、考えたことは異なるが、その想いを聞きあうことで共有できたのではないかと思う。私は、今まで自由学園という小さな社会に働きかけ、その働きに対する結果がすぐ見える形で現れるという生活をしてきたが、その働きかける対象が、ネパールという大きな社会に変わり、時が経たなければ結果が見えない植林という働きをし、果たして何か与えることができたのであろうか授業をして、大きな社会に働きかける難しさを痛感した。しかし、何年か経って今バスからまったく見えない植えた苗木が遠くから見ても分かるようになって、小さな働きが少しずつ大きくなっていってくれたら嬉しいという話をした。

その後、チャウミンと言う焼きそばを食べ、farewell partyを開いてくれるスエットガネッシュ(SG)に行った。丘の上にある学校から、子供たちが私たちを迎えてくれた。会では、一人一人お花をもらい、額にティカをつけてもらった。また、SGの写真も頂いた。

生徒たちが私たちのために、ネパールの歌を歌い、踊りを踊ってくれた。おもわず涙している小田先生と、真剣な子供の顔が印象的であった。私たちはそのお礼にと“手のひらを太陽に”を歌い、エイサー隊がエイサーを披露した。

チアを頂いた後、バスでトレーニングセンターへと向かった。バスに向かう途中、ジャレスワールで仲良くなった男のが、手をつないできてくれたのがかわいくて、本当に嬉しかった。バスに乗って子供たちに手を振っていると、バスに流れるネパリミュージックも手伝って自然と涙が出てきてしまった。別れは名残惜しかったが、また会いたい人たちがたくさんできて幸せな気分だった。

トレーニングセンターに帰ってきて、夜のパーティのためにモモ作りを手伝ったり、サリーを着させてもらったりした。パーティには、ワークの間お世話になった方々を招きモモと、団欒を楽しんだ。最後に荒井君、柳澤さんの感想、パワン先生のお話、私たちの“花”の歌を歌い、パーティを終わった。

夜の集まりでは、ひるのミーティングで感想を言わなかった人たちの感想を聞いた。 集まり後にはライさん一家、ラッツマンなどがダンスを見せてくれて楽しいひと時を過ごした。 

長い長いと思っていたが、もう明日にはカトマンズである。たくさんの人に出会い、たくさん助けていただいて無事ここまで来ることができたと思う。たくさん感謝をしたい。また、ここで感じたこと、働いたこと、考えたことを何かに活かしていくことが大きな恩返しになるのではないかと思う。そのことも思い、これから何が自分にできるのかよく考え、行動していきたいと思う。





ネパールワークキャンプ

●7月22日   柳澤 舞(2年)より報告


生活調査:ドュリケルのネワール人の街

午前中:ジャレスワールの植え付けと活着率調査、KUHSにて交流
科学:静電気、ペットボトルロケット、植林についての授業、シャボン玉
文化:習字、エイサー

午後:KUHSにて文化交流会、サンジュワニ校にて交流、体操:音楽にあわせて体操

向こうから山ほどの刈り草を背負った女性たちが歩いてくる。
「ナマステ」
すれ違い際に私が挨拶をすると、彼女たちは笑顔で挨拶を返してくれる。 田植えはひとつのフェスティバルだそうで、女たちは色とりどりに着飾って田植えをする。特に既婚の女性は紅い服を纏うので、その鮮やかな服の色が緑色の美しい田の中によく映える。子育てだ、やれ仕事だと、めまぐるしく毎日を過ごし、自分のために生きる現代の日本女性と、ネパールの女性。同じ今を生きていながら、そこに感じる生命力は断然違う。どちらが幸せかはわからない。幸せの形は人それぞれ違う。そして私たちがみた美しい彼女たちの笑顔の陰に、一体どのような生活があるのかなんて、私たちはほんのひとかけらしか知らないのだ。それはいくら毎日生活調査に行ったところでわかってくるものではなく、フィールドワークの奥深さを知り、また満足いくところに到達できない歯がゆさを感じた。

けれども私たちは許された時間の中で、様々なカーストの人たちの村を回った。その中でけっしてカーストというもののみが、貧富を分けるわけではないことを知った。貧しい人もお金持ちの人も、どの人たちもみな私たちにたいして精一杯のもてなしをしてくれた。1つ1つの出会いの中に、生きることの難しさと、その中に見出す幸せを垣間見た気がする。

子供にお金を求められることが去年よりも多かった気がする。そのたびいたたまれない気持ちになり、この子達はどこでこの言葉を覚えたのだろうと思った。彼らがいま一番欲しいのはお金。けれどもこの国には、そんなものには変えられないすばらしいものがある。わたしに向かって差し出されたちいさな手のひらの持ち主たちが、これから生きていく人生のどこかでそこのことに気づいて欲しいと、奇麗事かもしれないが願わずにはいられなかった。そして私たちにも同じように、自分の国の文化を守り継承していく義務があるんだとあらためて感じさせられた。

変な話だが、わたしは生活調査をする中で彼らの生活を通して、自分が生きていること、生きるために毎日する営みについてあらためて見直させられた気がしてならない。 文化人類学の学者たちがなぜフィールドワークを行うのか。それは人々の未知なる美しい生活の営みを知るのと共に、自らの生きてきた道、そして今というときをかえりみるためでもあるのではないだろうか。
「ふるさとは、遠きにありて想ふもの」
ネパールの地で、ふとそんな言葉を思い出した。ちょっとした挨拶、精一杯のもてなし、自然と共に生きていくことで生まれる強さ、神と共に生きることで生まれる謙虚さ、そして人と共に生きる温かさ。これこそがネパールという国の温かさだと、私はおもう。

マドゥー氏の奥さんがよく動く大きな口でこう言った。
「あなたはアーティストで、グッドシンガーでさらにグットスチューデントね」
けれどもわたしはこう思う。わたしをアーティストにしたのもグッドシンガーにしたのも、そしてよい生徒にしたのも、みなこのネパールの地とその人々であると。 物事に裏表があるように、この国にも汚い部分は沢山ある。けれど日本よりはずっとずっと人間的であるのだと思う。

去年はネパールという国を知った。そして今年はその国の中で少しづつ変わりつつあるものを見た。これからこの国もどんどんと変わっていくことだろう。けれどもいつになってもフェアウェルパーティーでネパリダンスを踊ってくれたかわいい子供たちにとって、のびのびと生きられる国であって欲しいと思う。

帰国してから、日が沈むとき、西に住む友のことを思う。そうやってつながり続けていくことくらいしか、今のわたしには出来ない。けれどもそれがいつか大きな意味を持つようになることを願っている。 キャンプに携わった人たちの中で、誰か一人抜けてもこのワークキャンプは成り立たなかったことと思う。多くの友に支えられて、無事にキャンプを終了することができたことに感謝したい。






ネパールワークキャンプ






ネパールワークキャンプ

●7月21日   中村詩央(1年)より報告


06:00 朝食
06:30 生活調査出発
07:00 出発・移動
07:30 チャウコットで補植(シュリカンダプールの生徒と一緒に)その後、活着率調査
10:00 KUHSへ移動
10:30 KUHSで活動、picture show・体操・中あて・縄跳び・ロールシャッハ・Dying・planting
16:00 終了・トレーニングセンターへ
18:00 夕食
19:00 集まり・礼拝

今日は、不健康者がいなくて皆元気に出かけました。生活調査は、午前はネワールの集落を回り、午後はDhulikhel Hospital・Kathmandu University・ナラヤンタン寺を、見学しました。KUHSでの活動は、人数が少なかったのですが助け合って上手く授業をしていたと思います。私は、体操・中あて・縄跳びを主にやりました。みんな元気いっぱいで、楽しんでくれていたと思います。年齢差があったので、体操は難しかったです。

今日は、予定がびっしりだったこともあり、私も含めてみんな最後のほうは疲れていました。KUHSの子供たちは、しっかりしている子が多いと感じました。英語しか話してはいけない学校なので、それなりに英語が話せていました。私が、英語が話せなくて申し訳ない気分になってしまいました。明日は、今日と同じような予定で、また大変なんですけれど体を壊さないように、気をつけたいと思います。今日より、元気に1日を過ごしたいと思いました。

ネパールに来て随分日がたちました。はじめは、初海外ということもあり不安ばかりがあったのですが、ネパールの生活や自然に直に触れていくうちに、ネパールという国に素敵なところがたくさんあると感じることがたくさんありました。私が想像していたネパールが、どんどん崩されています。言葉にでききれない思いが、たくさんあると思います。私には、到底できない生活だと思います。日本とは違う文化にたくさん触れることができて、とてもうれしく思います。子供たちは、すごく素直でかわいいです。写真が大好きみたいで、「1フォト!1フォト!」と、何回も行ってくる子供の姿がかわいくて仕方ありませんでした。もっと、子供たちと遊びたいです。ただ、自分の語学力のなさに子供たちと、上手くコミュニケーションがとれなくて、悔しい思いです。





ネパールワークキャンプ

●7月20日   堀田政信(1年)より報告


目標「時間に揃う」

1日の流れ
午前:KUHS交流(生活調査メンバーを除く)
午後:自由行動、寺見学、誕生日会

感想
ネパールワークキャンプでの活動も今日で10日目となった。ここ数日は体調不良者が続出し、メンバー全員が揃うことが出来なかったが、今日は久しぶりに全員が揃うことができた。「時間に揃う」という目標だったが、夕食や夜の集まりなどはしっかり時間に揃えたとは言えなかった。今日だけに限らずこれから先も時間に揃うことを励めるといきたい。 延期されていたKUHSとの交流も始まり、活動も終盤へ向かいつつある。残り少ない日々を一人一人が大事にして、有意義な時間を過ごせるといい。






ネパールワークキャンプ




ネパールワークキャンプ







ネパールワークキャンプ

ネパールワークキャンプ

●7月19日   神林明歩(1年)より報告


目標「出しっぱなしをなくす・自分のものの管理をする」

午前中はジャネスワールでスリカンダプールなどの子供たちとバディを組み、103本の苗を補植。その後4人組になり昨日の残りの活着率調査を行った。活着率調査よりもナンバリングしたものを見つけるのにてまどい、次回からは活着率調査を行ってからナンバリングをするのがよいという反省がでた。

生活調査はローカースト〜ハイカーストの人が住む村を調査した。1つの家庭に密着して調査するというより、エリアスタディの側面が近かったようだ。セティデビ寺という寺院があり、中心に精霊が宿っているとされる大木が祭られていて、その木が信仰のシンボルとなっているそうだ。また、その寺院を出たところから「ハレルヤ」(キリスト教の月曜礼拝)が聞こえてきたらしい。近年、ローカーストの間でキリスト教が広まっているということだ。また、ネパールにも少子化が広まりつつあるという事実が判明した。

午後はスリカンダプールではG5に文化・紙芝居「かぐや姫」、G6に科学・植林「日本の木の使いみち、ネパールでは?植林のポイントなど」、美術・日本語教室「生徒に日本の名前をつける」、文化・折り紙「紙鉄砲と鶴」、G7に体操「体操・縄跳び・リンボーダンス・綱引き」の授業。スウェットガネッシュではG4とG5に美術「ロールシャッハー」、低学年・体操「体操→雨のためミニ日本語教室」の授業を行った。

スリカンダプールでは前回同様、収集がつかない状態に陥ったが前回よりは臨機応変に動くことができたらしい。私はスウェットガネッシュの美術の授業を受け持ったが、先生の通訳・手助けがあり、みんなが楽しく作品を作ることができてよかった。言葉の通じない現地で通訳をしてくださる先生はまるで神様のように思えるものである。

感想
ネパールという国の小さな町の小さな家庭や生活のほんの一部を見ているに過ぎないがここには私が求めているものがある。今の日本には見ることのできない暖かさを感じる。

先日自分が打ちのめされるような出来事があった。 トレーニングセンターの近所に住んでいる女の子二人とチュラ(腕輪)がかわいいと話しをしていたら彼女たちが私にひとつずつチュラをくれた。その子達と一歩近づけたような気がして涙が出るほど嬉しかった。その後「Please one photo」この言葉を聞いて血の気が引いた。結局日本人はそのようにしかネパールの物質的に豊かではない人たちに思われていないのだろうか。確かに私は物質的に満たされている先進国と呼ばれている国で育った。しかしネパールに来て、物質的な豊かさとは関係ないすばらしい笑顔の人たちに会ってきた。だが、ネパールの人たちが物質的な豊かさに憧れを抱いているというのもひとつの事実である。今日の生活調査の報告であったように教育に重点を置くことから一人当たりの教育費が高くなり、その分子供の数が減るという少子化が進む現状にある町もある。このまま物質的な豊かさを求め、多くの日本人のように忙しく働き、できるだけ人と目を合わせないように気遣うようなそんな社会になってしまうのだろうか。確実にネパールは発展しつつある。もちろん、発展することは悪いことではないし少子化というのも悪いことだけではない。個人的な考えに過ぎないが、日本に失われつつあるもの(もしくは失ってしまったもの)失ってほしくないものがここにある。このワークキャンプに参加している間に19歳を迎えることもあり、大きくなって帰ってきたいと発言した。今振り返ると、よい意味でひとまわり小さく、謙虚になれた気がする。






ネパールワークキャンプ



ネパールワークキャンプ

●7月18日   生井順子(2年)より報告


今日は午前中にジャレスワールに活着率調査に行き、午後にサンジュワニ学校で、G6の生徒に紙芝居、G8の生徒にBMI測定、G9の生徒に折り紙、G8Bの生徒ロールシャッハー、G6の生徒に体操の授業をしました。私は1日中生活調査だったので詳しいことはよく分からないのですが、ジャレスワールの活着率調査はスリカンダプールの生徒たちと一緒にするはずだったのだけれど、生徒たちが来なかったために自由学園のものだけで行った様でした。

今日もまだ体調が優れない人が多く、朝の時点での不健康者は、ベッドで寝ていた人が2人で、食事にはそろっていたけれど不健康だった人が4人でした。あと、相変わらずお腹の調子が悪い人がたくさんいました。なので、活着率調査も授業も生活調査も人数がやや少なく、早く皆が元気になってほしいと思いました。

私は今日、午前中はローカーストの鍛冶屋と靴屋を訪ねました。鍛冶屋では、実際に自動車の部品からhasiya(カマ)を1時間半かけて打ってもらい、それを頂きました。一昨日の生活調査でその農具のカマを包丁代わりにしてじゃが芋を切っていたので、今度そのカマでじゃが芋切りの練習をしようと思います。カマを実際に打ってもらい、やはり頭で知っているだけなのと実際見学するのとでは、そのカーストや鍛冶屋の仕事の理解の度合いが全然違うと思いました。皆親切で、嬉しかったです。

この国のカーストで3大ローカーストなのが服の仕立て屋、靴屋、鍛冶屋という職種の人々なのですが、なぜこれらの仕事の人々がローカーストなのかますますよく分からなくなってきました。私はこの職種のうちの2つにあこがれたことがあって、そのせいもあり、とても疑問を感じました。しかも、他のカーストの人よりも商売が成功して経済的に裕福になれたりもします。そして一昨日に素敵なポケットの服を見せてもらったり、今日実際にカマを打ってもらったりして、これらの仕事は素晴らしい仕事だし、なくてはならない役目です。それはネパールの人も知っているはずだと思います。いくら経済的に裕福であってもローカーストということで劣等感を感じている人も多いことだと思います。しかもカーストは、名前を聞いたらその人がどのカーストなのかも一発で分かってしまいます。カーストという制度は宗教やいろんなことと絡み合って、ネパールと切っても切れないものかもしれないけれど、少なくとも私にとっては辛い制度だと思います。しかも今はカーストと職種は一致しない時代になってきています。もし失礼でなければ、今度カーストについてどう思っているかを現地の人に聞いてみたいと思いました。

ネパールに来て、最初はいろんなことに驚いていましたが、だいぶこの生活にも慣れてきました。一日一日とても内容が濃いのですが、あっという間の毎日で、この生活を思い切り楽しんでいます。明日からもさらによい活動をして、いろんなことを感じ取っていきたいです。





ネパールワークキャンプ






ネパールワークキャンプ



ネパールワークキャンプ

●7月15日   久保田みずき(2年)より報告


今日は初めてネパールの学校で授業をした日だったのですが、朝から不健康者が続出した1日となってしまいました。朝食の時から不調の人が居たのですが、本人の意思で全員が植林と生活調査にむかいました。

生活調査の人はタマン族の村の調査の最終日で、6時30分に出発しました。今日は農家の方の畑を見せて頂いたり、明日が月初めのお祭りであることを教えて頂いたりと貴重な体験が出来たようです。明日のお祭りは日本でいうお盆のようなものですが、全国的なものではなく一部の民族のお祭りだそうです。ロキシー(蒸留酒)や肉を食べて祝うということを集まりの際に生活調査の人が丁寧に皆に説明をしてくれました。

植林をする人たちは7時に出発しました。昨日木を倒したチョウタラは、新しく植える苗が今日は手に入らなかったので今日はチョウタラの仕事はなしになり、枝打ちと捕植の2グループに分かれて仕事を進めました。枝打ちはプロット2の約100本を枝打ちし、捕植は崖崩れなどでだめになってしまった場所に、44本の木を植えました。土の悪い場所では、別の場所からいい土を取ってきて使います。帰りはジープには乗らず、全員バスの止まっている場所まで歩いて降りました。今日はバスに乗っているとき、子どもたちが道路の前にロープを張って何やら叫んでいる姿が何度も見られました。これはハロウィンの様なお祭りで、お金をくれなきゃ通さないと言っていたようです。

昼食をいただいて、午後からはスェットガネッシュとスリカンダプールの2つの学校に分かれて授業をしました。スェットガネッシュは体育グループと文化グループの紙芝居と折り紙、スリカンダプールは美術グループのきょうけつ染め、科学グループの静電気の実験を行いました。準備不足の面も、準備をしていても想像のつかなかった面も多々あったようですが、臨機応変に対応して子どもたちにも喜んでもらえることができました。しかし、準備不足や確認不足で起こってしまった失敗を、なんとかなったからといって臨機応変の一言で片付けてしまうことについての反省も出ています。今回の授業でそれぞれのグループが改善を行い、これからの交流でこちらの自己満足で終わらない活動をしていきたいと思います。

交流の前後に不健康になる人が数名居て、折角準備をしてきた発表を自身の手でできなかった人や、明日の午前中の活動に参加できないことが決まっている人も居ますが、休むときにはゆっくり休み、これからの活動に備えていければと思います。

わたしはあまり子ども好きではないせいか、最初にスェットガネッシュの子ども達と接した日にはしつこい位の写真への執着を見せる子どもたち、そしてその勉強の環境を目の当たりにし、手放しに無責任な感想を言うわけにはいけないような気がしていました。しかし今日ほんの数時間ですが交流をしているうちに写真への執着も強引なまでのスキンシップも全て正直な気持であり、それをどう感じるかはわたし自身の問題、子どもたちは本当に素直なのだと思いました。同時に、ネパールに来るまで色々と複雑考えすぎてしまったけれど、実際にネパールに来て思ったのはネパールの人たちも私たちもそれぞれ別の環境で違うバランスを保ちながら生活していること、人間が生活している以上それがどんな環境であろうと確実に喜びも悲しみを存在しているという当たり前の事実でした。まだ先は長いですが、リーダーの北村さんの言っていたように私もネパールで新たな目的を発見して、この先の活動で今までの自分を塗り替えていきたいと思います。






ネパールワークキャンプ


ネパールワークキャンプ

●7月14日   橋本雄太(4年)より報告


午前中はProt2とProt3の剪定とチョウタラ(木陰で腰をかけて休憩するためのポピュラーなもの)の修理を行った。剪定には女子6名があたり、1人20本近く剪定した。チョウタラ直しは体力勝負なので、男子7名と選りすぐられた女子2名があたった。まず、矢野(2年)がその絶妙なノコギリ捌きで腐食した枝を次々に切り落とし、その後つるつるになった幹を切り倒した。明日、新しい苗を植える予定である。

このチョウタラは自由学園に在籍していた田中ラダさんの基金で建てられたものである。近年、その構造がたたって根が腐っていた。昨年、土壌改良を試みたが空振りに終わった。このチョウタラがネパールワークキャンプの象徴的存在だっただけに、木がめきめきと音を立てて倒れる瞬間は感慨深いものがあった。新しい苗が新しい息吹をネパールに、ワークにふかせてくれれば幸いである。

午後はグループに分かれて明日からの交流活動の準備に使った。植えるだけでは木は育たない。育てていくためには現地の協力が不可欠との考えから始まった交流活動だが、毎年マンネリ化することはない。今年は(ここで言ってしまったらネタばれだが)豆腐作り、エイサーの実演、静電気の実験、きょうけつ染めなど目白押しである。夕食にはモモ(ネパール風餃子)に加えて、文化グループが準備時間中に作った豆腐が並んだ。間違えて冷凍庫で冷やしてしまったようだが、歯ごたえが違うだけで味はまさに豆腐だった。

夕方、散歩をしながら、宿舎の裏でサッカーに汗を流す子供たちを見た。小・中学生くらいだろうか。退屈そうに寝そべる牛の横を裸足で行き来するその姿は、夕焼け空に映えた。日本との時差は約3時間、彼らと同じ年頃の日本人は塾でノートとにらめっこをしている時間だろう。誤解を恐れずに言えば、日本でまっとうな生き方をしていくためには学歴は必要不可欠である。学歴という地盤があって最低限の生活力が成立する。その先に幸せがある。私が昨年カナダでホームステイした際に、ホストファザーがネパールの写真を見て、"There are unfortunate people around the world" と口にした。しかし、その写真に写っていたおばあさんは「私は今のままが一番幸せです」と言っていた。それぞれの国にはそれぞれの幸せの形があっていいと思う。幸せの基準を画一化することはできない、してはいけない。夕焼け空の下でボールを追うことも、参考書にかぶりつくのも、それぞれの幸せの価値の中に包含されればそれでいいのだ。4年目で得た、私の私自身に対する答えである。

今回、ワークキャンプを健康上の理由により断念せざるをえなかった人が3人いる。日本に残る3人のことを常に心に留めて、持てるものをすべてここに置いてきたい。



ネパールワークキャンプ

●7月13日   小野塚ちひろ(2年)より報告


一日の予定
05:30 起床
06:00 朝食
06:30 生活調査、出発
07:05 BDT発
07:35 道路の都合によりジープで移動
08:10 チョウタラ見学。木が死んでいたため、木を切り倒し、根を掘り、土を入れかえて新しい苗を植えることに決定、 PROT2・3の見学、見当補殖の苗数の見当、木の下見
10:50 生活調査団、みんなと合流、DFOでサンタタムラガルさんとミーティング
12:00 SJ見学
12:40 昼食
13:30 SG・SK見学
15:00 ジャレスワール見学
16:15 出発
18:00 夕食
19:00 ミーティング

私は、午前中に生活調査に行きました。初日だったこともあり、とても緊張しすぎたせいであまり積極的に行動できませんでした。残りの2日では、後悔のないように積極的に行動しようと思います。午後には、SG、SK、ジャレスワールにも見学に行けたので、これからの、授業にむけて気合が入りました。子供たちはどこに行っても写真を撮ってもらうことが本当に好きで、何度撮っても撮られたがるので対応に困ってしまいました。撮ってあげたいという気持ちと、どうするべきかという気持ちが混乱して、どうしたらいいかわからなくなることも何度もありました。これからの生活では見えるところだけではなく見えにくいところにも着目していきたいと思います。





ネパールワークキャンプ



写真:福井 篤(2年)

●7月12日   國井大輝(2年)より報告


曇りのち晴れ
朝の7時半にホリデイ・インを出発した。予定通りに空港に着き、9時50分に出発ロビーに集まった。その後飛行機に搭乗し、10時35分に離陸。12時15分に着陸した(現地時間)。バスに乗り込み13時35分に出発、トレーニングセンターには14時15分に到着した。到着後は荷物の整理などをしてその後、ライさん一家に挨拶し、軽食のヌードルスープを食べた。とても美味しかった。その後は夕食までの時間に現地の子供たちと遊んだりと楽しく時間を過ごすことができた。夕食後はミーティングをとって明日の日程の確認や箭内の礼拝を聞いた。

今年のワークに来て思ったことだが、僕自身がネパールという環境に入っても動じていないことに驚いた。懐かしさとか気持ちは色々あるがそれでもすんなりとネパールに溶け込めたのではないかと思った。今年は去年より多くの事を見つめることが大切なのであると思っているし、また自分自身の義務であると思う。皆で協力しながらこのワークを良いものにしたい。