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学園長のブログ

8s 自由学園は学校内にプロのパン職人の方々が運営するパン工房を持ち、生徒・教職員が共にする昼食で、パン食の日には毎日、おいしい焼きたての手作りパンをいただいています。

毎日のことなので私たちにとっては当たり前のことになっていますが、保存料、甘味料、着色料などを一切加えず、安心安全な原材料により心を込めて焼き上げられたパンを、子どもたちが毎日食べることができるということは本当に恵まれたことです。

「作業開始は人によって違うけど、早い人は毎日5時前。その日の食パンなどの仕込みがその時間から。
自由学園のパンの特徴は、粉と水と砂糖と塩というオーソドックスなものを作り続けているところ。余計なものは加えない。
一番心がけているのは、学生が喜んでくれるようにということ。
焼き上がりの色など、見た目にもきれいであるように温度管理には気をつけている。」
現在の責任者緇荘(くろそう)恒雄さんのお話です。

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自由学園に最初の「パン小屋」ができたのは昭和15年。石窯や発酵室も備えたものでした。米不足を補うためもあり、女子部卒業生岡田言子さん(14回生)、米村小夜子さん(17回生)の指導で生徒たちが雑穀パンを焼きます。しかし2年後には原料の調達が困難となり、パン焼きは中止となりました。

現在の自由学園のパン工房のルーツは、大正2年京都に創業した由緒あるベーカリーショップ「進々堂」さんです。
「進々堂」創業者は続木斉さん。日本人で初めてパリへパン留学し、帰国後、ドイツの窯を輸入してパンの製造販売を開始。今でこそ当たり前のスライスした食パンの販売は「進々堂」の考案。斉さんの奥様ハナさんが羽仁もと子先生の「明治女学校」時代のご友人ということもあり、昭和10年、お子さんの満那さんを東京の自由学園男子部に送ります。満那さんは男子部1回生です。

昭和30年1月、完成したパン工場でコンコンブル作りのお手伝いをする女子部生徒

昭和30年1月、完成したパン工場でコンコンブル作りのお手伝いをする女子部生徒

時はめぐって、昭和30年。自由学園は何とか戦中戦後の食料不足の時代を乗り越えていましたが、創立者の羽仁もと子先生はかさむ学校でのパンの購入費をどうにか改善できないものかと、「進々堂」の続木満那さんにご相談。満那さんはこれに応えて腕のよい職人さんを次々と学園に送って下さり、学園内に本格的なパン工場が完成。学校でパンが焼けるようになりました。以来、自由学園のパン作りのバトンは幾人もの職人さんの手で受け継がれ、60年を越える歴史を刻んできました。そして多くの生徒たちがこのパンで育っていきました。

現在の「進々堂」の代表は満那さんのご子息で男子部34回生の続木創さん。偶然にも、この続木さんと男子部1回生の竹下晃朗さんが、京都を代表するパン屋さんとして、「コムギケーション倶楽部」というウェブサイトに、お2人並んで紹介されています。

竹下晃朗さん  http://www.comugication.com/choju/kyoto_interview01.html
続木創さん    http://www.comugication.com/choju/kyoto_interview02.html

「『パン造りを通して神と人とに奉仕する』という斉の原点の思いは、1世紀を超えた今も『進々堂』に引き継がれています」という続木さんの言葉には、襟を正される思いがしました。また、竹下さんの、「石臼も、石窯も、すべて私がつくりました」というその技術と精神、95歳現役というパワーに、男子部1回生の大先輩の迫力を感じました。12月5日発売「うかたま」第45号「パン特集」でも竹下さんの取り組みが紹介されるそうで、そちらも楽しみです。

今日もパン工房では朝早くから、人知れず生徒のためのパン作りが始まりました。
そして午後2時を回った頃にはすべての作業が終わり、工房内はすっかりきれいに片づけが終わり、器具類も整えられ、床も掃き清められていました。
そこには厳かさのような静かな空気が感じられました。

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作業が終了後、清潔に整えられているパン工房内

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パン工房の皆さん

 

 

 

 

 

 

春夏秋冬、雨の日も風の日も雪の日も、電車が止まってしまうような日にも、真暗な朝早くから仕事にとりかかり、私たちの「日用の糧」であるパンを心を込めて焼き続けてくださるパン工房の皆さんに、生徒・教職員一同を代表して心より感謝申し上げます。
ありがとうございます!そして明日もよろしくお願いいたします。

2016年11月22日 高橋和也 (自由学園学園長)

 




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