第10回 「経験として魂に積もる」時間/学園長ブログ - 一貫教育の【自由学園】/ 幼稚園・小学校・中学・高校・大学部・45歳以上

第10回 「経験として魂に積もる」時間/学園長ブログ - 幼稚園・小学校・中学・高校・大学部・45歳以上【一貫教育の自由学園】

学園長ブログ

第10回 「経験として魂に積もる」時間

第10回 「経験として魂に積もる」時間

第10回 「経験として魂に積もる」時間

いよいよ明日は美術工芸展。img_0489
ここ数日、私も何度か準備が進められている会場を回りました。年齢に応じてそれぞれの部の特長がそれぞれに現れていると感じました。

昨日男子部の会場に足を運んだときのこと、男子部中等科2年生が書いたパステル画がとてもよかったので、私は先生に「この作品はいいですね」とお伝えしました。
すると先生は「びっくりしましたよ」とおっしゃいました。自分にも描けないすばらしい絵だということです。それは椅子に座り足を組んだモデルを後ろから描いた絵でした。先生は羽織っているカーデガンの中にしっかり人の存在が感じられる、これは子どもの絵ではありません、という評価でした。

私は「それを本人のお伝えいただいたでしょうか」と伺うと、「伝えましたけどね、本人は真に受けないんです。自分もそうだったのでその気持ちはよくわかります。お世辞を言ってる、あるいは恥ずかしい、そんな気持ちでしょうね」とのこと。

別のところには風景を描いたはずの油絵に、ばらばらにした自分の名前の漢字の部首が書き込まれた作品がありました。先生はその作品についても「よい色使いで迷いがないところがいい」とおっしゃいました。描くべきものは風景なのにそれを描いていないからだめだという評価ではない軸で先生が評価されていることがわかりました。さっさと描いた雑なように見える絵の前では、「雑だからだめだということでもありません。これもよい作品です」ともいわれました。

自分自身の中にどのような力があるのか、これは中々わからないものです。生徒各々がどのように自分に気づき、自分を受け止め、どのように自分を磨く人となっていくか。また教員がどのようにそこに関わっていくか。自己教育力を高めることを目指す自由学園の課題です。
本人も気づかない自分の中の光るものに、専門家である先生方が気づいてくださり、それに心を留めて評価してくださっているということはありがたいことだと感じました。

その後、最高学部の会場に行きました。最高学部にも素晴らしい作品がimg_0533-1たくさんありました。
男子部女子部と最高学部が一番違うところは、美術の時間だから取り組む、時間が終われば終わりということではなく、主体的に自分の関心を自分で見出して、それを自覚的に磨いているということです。

陶器のすばらしい椅子がありました。作ったO君がちょうどそこにいたので聞いてみると、夏休みに何度も通って取り組んだとのことでした。その作品からはそこに込められた丁寧な時間が感じられました。O君のことは初等部時代から知っていますが、読書家かつ「歩き読書」の達人で、駅から学校に向かう道で二宮金次郎のように本を読みながら歩いていたものでした。

img_0532男子部学部とサッカーに打ち込んでいたA君のティーポットとカップをセットにした作品にも感心しました。サッカー少年の中にこのような作品を生み出す可能性が秘められており、授業を通じてそれに気づきが与えられ、さらに本人が自覚的にその力を磨いているということを知り、私はとても嬉しくなりました。
じっくりと丁寧に作りこまれた作品を前にすると、心を込めた時間がそこに注ぎ込まれたことが伝わってきます。そしてそこからその人が持つ集中力や、創造力、工夫、忍耐力、喜びといったものが感じられます。中高の段階から生徒たちを見てきた私は、それらの作品を通じて学生たちの人間的な成長、成熟を感じました。

今回美術作品を出品しているこの学生たちは、美術だけを専門に学び授業や研究に取り組んでいるのではなく、数学や経済img_0540等々、様々な分野を学んでいます。また先月は全員で体操会で演技発表を行い、最高学部1年生はその後、全員で全国体操祭に参加し体操を専門とする他大学の学生と共に演技発表も行っています。その翌週には音楽会で楽器を演奏する者もあり、無農薬の米作りに取り組む者や農水省の食のフェアでの発表準備をしている学生たちもいます。

自由学園の学びの特徴は、一人ひとりが様々な活動を通じてまさに丈夫な人間の生地を織り、豊かな人生の土台を作る人間教育にあります。美術もこのような自由学園の人間教育の大切な要素の1つです。

私の好きなロシアの映画監督タルコフスキーの言葉に次のようなものがあります。
「ソロモン王の指環の銘には〈時は過ぎ去り戻るものではない〉と刻まれている。だが私はそれに反してこう述べたい。〈時間とは精神的なものであり、消え去ってもその痕跡を残していく。我々の生きた時間は経験として魂に積もるのだ〉」

私は昨日男子部の食堂で昼食をとりましたが、ちょうど昼食時の報告で、生徒の習字作品の講評が行われていました。その一枚に「体操も美術も」と書かれたものがありました。

「体操も美術も」、そして勉強も生活も、この学校で心を込めて生きた時間が、経験として一人ひとりの魂に豊かに積もり、丁寧に織り込まれるものとなるようにと願います。またそのような時間が、毎日が、一生につながるものとして、これからの一人ひとりの人生の歩みをも深く支えるものとなっていくことを願っています。

2016年11月18日 高橋和也 (自由学園学園長)

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