第30回 本郷新さんと「嵐の中の母子像」/学園長ブログ - 自由学園 リビングアカデミー(45歳以上の方々の学校)

第30回 本郷新さんと「嵐の中の母子像」/学園長ブログ - 45歳以上の方々の学校【自由学園 リビングアカデミー】

学園長ブログ

第30回 本郷新さんと「嵐の中の母子像」

広島平和記念公園に設置された「嵐の中の母子像」。
自由学園とのゆかりも深い本郷新さんの1953年、47歳の時の「聖母子像」とも言うべき作品です。

本郷さんは1905年、札幌でクリスチャン家庭に生まれます。高村光太郎に師事し、ロダンなどの影響を受けつつ、人体像の制作を中心に具象彫刻の分野で活躍しました。
戦後は彫刻の社会性や公共性を重視する考えに立ち、「嵐の中の母子像」や「わだつみのこえ」像など、平和の希求をテーマとする人間愛にあふれた作品を多く手がけ、野外彫刻の制作に熱意を傾けました。

本郷さんは「嵐の中の母子像」について次のように語っています。
「この作品のモチーフは、広島の惨害です。胸に乳飲み子を抱きかかえ、背にもう一人子どもを背負って、立ち上がろうとする母子の必死の姿は、まさに突進の形です。普通母子像は、暖かい愛情を表現するものですが、『嵐の中の母子像』は、いつ離れ離れになるかも知れぬという不安と、非常な事態の中での愛情の危機、もしくは極限の状態です。この、とことんまで生きようとする母子の像を通じて人間の生命の尊厳を象徴づけたつもりです。だから単なる母子像というより、母子二代にわたる悲しみ、二つの世代に横たわる悲劇の記念碑というわけです。」
また母子像は「愛のかたちの追求」であり、「永遠のテーマ」であると語り、74年の生涯で17点を制作しています。

1952年に海外を旅行し多くの西洋美術作品に触れたことから、帰国後逆に日本的な美を求めて京都、奈良を訪れ、その上でマリアとイエスをモチーフとするキリスト教の聖母子像とも仏教美術とも異なる新しい母子像を模索し生まれたのが、この「嵐の中の母子像」といわれています。
本郷さんの17点の母子像はすべて本郷さんによる独自の「聖母子像」なのだと感じました。
今なお日本で世界の各地で様々な形で同様の不安や極限状態が続くことを思うとき、この像の母と子の姿は、忘れてはいけない過去を伝えるのみならず、今このときも母と子が置かれている厳しい状況と母親の深い愛を伝えるものとして胸に迫ってきます。

本郷新さんが自由学園の美術指導者となったのは1942(昭和17)年、自由学園の美術教育の土台を作った山本鼎からのバトンを受け継いでのことでした。
この頃本郷さんが生徒たちのために製作した「健康を讃えるブロンズ製のレリーフ」は、今も学期末に全校で一番出席状態のよかったクラスに贈られ、次の1学期間、その教室に飾られています。

最後に当時の生徒の一人、女優の岸田今日子さんが記した「本郷先生の思い出」を紹介します。
「2 学期の美術は木彫でした。荒物屋で売っている、ゴツゴツした木のお玉じゃくしが一つずつ渡されます。私たちは彫刻刀や糸のこを使って、それを美術作品に仕上げなければなりません。本郷先生はその 1 本を取り上げ、太い指で撫で回しながらおっしゃったのでした。『目をつぶって撫でてみなさい。手ざわりがいいカーヴが出ている』。私たちは真剣に目をつぶり、心をこめてお玉じゃくしを撫で回しました。先生はいつも、生徒のいいところだけを見つけようとしていらっしゃる様でした。私たちの作りかけの、ぶざまなお玉じゃくしを、愛情をこめて撫でていらっしゃる先生を見て、私はいつも『本郷先生はバクにそっくりだ』と思いました。ほんとに夢を食べて生きていらっしゃると聞いても、私は驚きません」。
岸田さんの強烈な個性が本郷さんの個性と響きあっていることが感じられる文章です。

 

2017年8月6日 高橋和也(自由学園学園長)

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