第40回 太平洋考古学の第一人者、篠遠喜彦先生逝く/学園長ブログ - 自由学園 リビングアカデミー(45歳以上の方々の学校)

第40回 太平洋考古学の第一人者、篠遠喜彦先生逝く/学園長ブログ - 45歳以上の方々の学校【自由学園 リビングアカデミー】

学園長ブログ

第40回 太平洋考古学の第一人者、篠遠喜彦先生逝く

自由学園男子部3回生で太平洋考古学の第一人者、ハワイ・ビショップ博物館人類学部名誉上席特別研究員の篠遠喜彦先生が、10月4日ホノルルの病院でお亡くなりになったとのニュースが新聞各紙で伝えられました。93歳でした。自由学園に最後においでくださったのは2014年でした。

 

あらためて篠遠先生のご著書を開き、先生が歴史に残る大きな仕事をなさった方であることを再確認しました。以下、1994年に出版された荒俣宏さんとの共著『楽園考古学』(平凡社)及び「学園新聞」を参考に、「ポリネシアのインディ・ジョーンズ」との異名を持つ篠遠喜彦先生のご生涯を紹介します。

 

『楽園考古学』は、タヒチやハワイに調査に出かけた荒俣さんが、現地の人から「どこの島でも、シノトといえば、知らない人はいない有名人」、「とてもすごい日本人」、「ポリネシア研究の最高権威」と篠遠さんを紹介され、面会を申し込む場面から書き起こされます。

「イースター島とポリネシア」「考古学事始め」「釣針に魅せられて」「マルケサス諸島をめぐって」「フアヒネ島の大発見」「ポリネシアの島めぐり」「楽園の実際」の7章からなります。

 

博識の荒俣さんによってインタビューはテンポよく進み、遺跡や遺物などたくさんの興味深い写真と合わせ、読みやすくまとめられています。

 

 

篠遠先生は、1924年東京都生まれ。

自由学園男子部時代に学園内の縄文遺跡の発掘に取り組んだことから考古学研究に目覚めます。中学3年生の頃には、鉄の棒を地面に差し込んで土器や石器を探す荒業をあみだし、実際いくつかの土器を掘り出したとのこと。卒業研究では校内出土の黒曜石と他の遺跡のものとを顕微鏡観察によって比較。研究雑誌にも取り上げられます。

卒業後は華北農事試験所、日本考古学研究所を経て、ハワイ大学で人類学、考古学を学び、のち北海道大学で理学博士号を取得。ビショップ博物館を拠点にハワイ諸島、ニュージーランド、イースター島を結ぶ太平洋の三角地帯=ポリネシアの島々の調査研究に力を注ぎ、太平洋・ポリネシア考古学を切り拓かれました。

 

しかし意外なことに篠遠先生はそもそもハワイに関心はなく、アメリカインディアンの旧石器文化を研究するために、サンフランシスコの大学へ留学する予定でした。ところがその途中にハワイで下船したことから、生涯の師となるケネス・パイク・エモリー博士(民俗学・人類学・言語学・考古学)に「拉致」されて、ポリネシアの世界に引き込まれたそうです。

早速エモリー博士にハワイ島のサウス・ポイントの遺跡に連れていかれ、発掘作業に関わります。しかし予想していた土器は一切見つからず、遺跡の古さを測定する指標そのものがないという事実に直面します。その代わりその遺跡からはいろいろな形の釣針3500本が見つかりました。

 

 

その後、ポリネシアの多くの島々をめぐり、釣針に注目しつつ発掘調査を重ね、この釣針の形の分類を通じて年代の前後を見極める指標を考案します。またハワイでは古代ハワイ人が住んでいた洞窟をいくつも発見し、タヒチからハワイ諸島への移住者の流れなど、古代ポリネシア人の移動経路も明らかにしていきます。イースター島のモアイなど、数々の遺跡の修復作業にも取り組み、若手研究者の育成にも力を注ぎます。篠遠先生が「ポリネシアのインディ・ジョーンズ」といわれるのはこのような活動によるものです。

 

1987年にはタヒチの国民的アーチスト、ボビー・ホルコム(Bobby Holcomb) さんが篠遠先生に敬意を表して「タオテ・シノト」という曲も作っており、アルバム「キング・ストリート」にも収録されます。「タオテ」とはタヒチ語で「博士」という意味です。

2007年には「サー・ヨシヒコ・シノトー」と名付けられたハイビスカスの交配種も発表されています。文化を愛する人として、その土地の人たちから慕われていたことが感じられるエピソードです。

 

1995年には日本から勲五等双光旭日章が、2000年にはフランス領ポリネシア政府からタヒチ・ヌイ勲章のシュヴァリエ章(ナイトの爵位)が授与されています。1996年にはポリネシア古代文化研究の業績によって吉川英治文化賞を、『楽園考古学』は2016年に英訳本が出版され、ハワイ出版協会ノンフィクション部門賞を受賞しています。

 

『楽園考古学』の結びの章は「楽園の実際」というタイトルです。当時のタヒチなどは西洋人からユートピアのような「南海の楽園」としてイメージされがちだったけれども、土地の人たちはそんなことは思っていないのではないか、というのが篠遠先生の考えです。

 

篠遠先生が熱心に続けてこられたハワイの遺跡や環境を保護するための活動に対しても、現地の人から「いいかげん、もう飽きないのか」「あれはわれわれの過去のものだよ、それに金を使うのは無駄だ」と言われ、がっかりすると語っています。

しかしその背景には、植民地として自国の歴史を否定され、キリスト教などヨーロッパの文化を押し付けられ、自分たちの文化はろくでもない文化だと刷り込まれてしまった、虐げられた生活の歴史があるということなのです。その結果、現地の人は、かえって西洋の文明世界に「楽園」の幻想を見出しているのです。

 

では「いったい楽園とは何を指すのか」。

篠遠先生の問いかけにとても考えさせられました。この楽園幻想の図式は、世界中いたるところで生まれていたものと考えられるからです。戦後の日本もその典型かもしれません。今はどうでしょう。『楽園考古学』というタイトルには複雑な思いが込められているのです。

 

巻末には「タオテ・シノトからの手紙」として、「これを読んでくださる特に若い方々になにかを感じとっていただくことになれば幸いと思います」と記され、篠遠先生からの「自分のすすむ道を目標をもって実行に移す」上での2つのヒントが紹介されています。

1つは「求めれば与えられる」ということ。そしてもう1つは「人生には自分が予期せぬことから思わぬ方向に道がひらけることもあるということ」です。

 

篠遠先生は、「中学時代校庭から出土した縄文土器に興味を」もったことから、世界を舞台に前人未踏の分野を切り拓かれました。篠遠先生への心からの敬意と追悼、そして次世代の「タオテ・シノト」の出現を願って、この短い文章を書かせていただきました。

篠遠先生と一緒に冒険と発見の旅に出てみたい生徒の皆さんは、図書館で、ぜひ『楽園考古学』を手に取ってみてください。

 

(写真は男子部時代の「考古学班」のものも含め『楽園考古学』より、平凡社の許諾をいただき掲載させていただきました。)

 

2017年10月18日 高橋和也(自由学園学園長)

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