第69回 『スロー・イズ・ビューティフル』/学園長ブログ - 一貫教育の【自由学園】/ 幼稚園・小学校・中学・高校・大学部・45歳以上

第69回 『スロー・イズ・ビューティフル』/学園長ブログ - 幼稚園・小学校・中学・高校・大学部・45歳以上【一貫教育の自由学園】

学園長ブログ

第69回 『スロー・イズ・ビューティフル』

2019年4月27日

4月27日、文化人類学者で社会活動家の辻信一先生をお迎えして地球市民教育フォーラムが行われました。テーマは「グローバル経済社会のその先へ」。
経済史と経済人類学、アダム・スミス、ミルからシューマッハ、ポランニー、さらにヴァンダナ・シバ、ヘレナ・ノーバークホッジ、サティシュ・クマールといった人たちの考えたこと、ブータンのGNHという指標・・・「ローカル、スモール、スロー」をキーワードに、参加した中等科生にも配慮して、難しい内容を丁寧にかみ砕きつつお話くださいました。深く、また広がりのある充実した内容でした。

終了後、男子部高等科1年生の生徒の「難しかったけどもっともっとお話を聞きたかった」という感想に辻先生は、「よかったー!でもよくばって詰め込みすぎたね」とひとこと。11月の「幸せの経済」フォーラムの実行委員会への参加のお声がけもいただきました。学生たちにとってよい学びの機会になることと思い、今から楽しみです。

私が辻先生と出会うきっかけは、先生のご著書『スロー・イズ・ビューティフル』を読んだことがはじまりです。生き方を見直すさまざまな視点を与えてくれた1冊でした。その後、2015年に先生が婦人之友社を会場に「ゆっくり小学校」を開校されると知り、第1期生として入学させていただきました。今回お話いただいた内容も含め、経済史や文化人類学などについてじっくり学び、さまざまな方との交流の機会ともなりました。その年、イギリスのシューマッハカレッジで学ぶことになったのもこのつながりからでした。
「ゆっくり小学校」には「卒業論文」というものがあり私は「答えを生きる」というタイトルで以下のような文章を書きました。長い文章ですが、自戒の念をこめて引用します。

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「答えを生きる」2015年2月6日
ゆっくり小学校第一期生 高橋和也

「今はそれどころじゃない」、「今は忙しい」。こういった言葉を見聞きすると必ず思い出す1つのシーンがあります。それは、今は大学3年になった娘めぐみが小学生だった頃のことです。
めぐみは床に腹ばいになって寝転んで漫画「ドラえもん」を読んでいました。私は何か手を貸してほしいことがあり、「めぐ、ちょっと手伝って」と声をかけました。洗濯物を干す、といったことだったかもしれません。このときのめぐみの答えがあまりに予想外のものでした。読んでいる漫画から目をあげることもなく、寝転んで折り曲げた足をパタパタさせながらごく自然に一言、「ちょっと待ってくれる。今忙しいから」と言ったのです!

完全なリラックス状態で漫画を読んでいる小学生の娘からそのような言葉を返されるとは思っていなかった私は意表を突かれてびっくりしました。めぐみがそのような言葉を発するのを聞いたのも初めてでした。えーっ、めぐ、「今忙しいから」という言葉の使い方が違うよ、「今忙しいから」という言葉は、大切なことをしているときに使うんだよ、めぐは漫画を読んでるじゃないか!その時の私はおそらくとっさにそう感じたに違いありません。

しかし同時に、「ちょっと待ってくれる。今忙しいから」というその言葉は、普段私自身がめぐみのお願いや問いかけに対して自覚なく繰り返し発してきたものなのだ、と悟らされたのでした。振り返ってみると、家に仕事を持ち帰りパソコンに向かっているときには、体中から「今忙しいから」というオーラを発し、子どもを寄せ付けず、実際そのような言葉を口にしていたのです。

「ちょっと待ってくれる。今忙しいから」という言葉は、「私は今あなたの用事よりも大事な用事に取り組んでいる」ということですが、それは突き詰めてみると、「私の用事はあなたより大事」「あなたは二の次」というメッセージにもなります。大人になれば当たり前のように使うこの言葉ですが、この言葉は幼い子どもを傷つけていたのかもしれません。
そのうちにめぐみは「今忙しい」父親に適応し、さらにそのような言葉を学習し、「ちょっと待ってくれる。今忙しいから」と事もなげに応答したのでした。

教育は常に今ここに、目の前にいる生徒のいのちの動きを共に感じることから始まります。子どもたちは、ときに「ちょっと」も待てない「問い」や「お願い」を抱えています。それは幼稚園や小学校の子どもたちに限ったことではなく、思春期の子どもたちも同様です。彼らは胸の内に様々な問いや不安、不満を抱えつつ日々を過ごしています。彼らのそのような思いに寄り添うことこそが教師の基本です。

教員の忙しさがたびたび話題になりますが、学校で最も長く彼らと接する大人である教師が、生徒を前に「心」を「亡くす」「忙しい」生活を送っているとすると、これは教員自身にとってのみならず、生徒の心の成長にとってもゆゆしきことです。教師が問題解決に追われ、今、目の前にいる生徒と共に創り出す豊かな時間を生きていないならば、生徒たちは、教師の姿そのものから、「あなたは二の次」というメッセージを受け取ることになります。

『スロー・イズ・ビューティフル』が出版されたのは2001年。最初に読んだのは今から10年以上前で、その後何度も共感を持って読み直し、そのたびにラインや折り込みが増えていきました。今回読みなおしてみて、あらためて多くのことを感じました。

「本来私たち人間はみな答えを生きるものだと思います。しかしそれがいつの間にか、問いを立てて、答えを生きるかわりに、その問いを生きるようになっていないでしょうか」という川口由一さんの言葉、そしてそれに続く本文の「問題を立ててその解決に取り組むことが、いつの間にか、『生きる』ということのかわりをするようになってはいないか」、「『今』は未来の手段に成り下がってはいないか」、「問題を解決できる人とは、答えを生きている人であるはずだ」という言葉には、とてもハッとさせられました。

特に「問題を立ててその解決に取り組むことが、いつの間にか、『生きる』ということのかわりをするようになってはいないか」ということばは、よくよくかみしめたいと思います。ここで言われる生きられた時間は、「『生きる』ということのかわり」であって、いのちの豊かさが内側からあふれ出て、その一瞬が永遠となるようなすてきな時間とは似ても似つかないものだと思います。

「何事も何か他の目的のためになすべき」という「功利主義と効率主義」がますます広がっていくこの時代状況の中で、生徒と共に「今を生きる」自分でありたい、今そのものが、今日一日が自分が生を受けていることの「答え」になるような「答えを生きる」ことの出来る人でありたいと思います。今回の再読で最も強く心にとまったことでした。

またイギリスでスモールスクールを建て、シューマッハカレッジを運営するサテュシュ・クマールの「E=4H」、教育はヘッド、ハート、ハンズ、ホームのバランスの上に成り立つという考え方を知った時には、そのコンセプトが自由学園と一致していることに本当にうれしくなりました。

私の勤務する自由学園は幼稚園から大学部までの一貫教育を行っていますが、一学年一クラス、全校生徒800人というスモールスクールです。「学校は一つの家庭、一つの社会」というモットーを掲げ、「生活のすべてを生きた教材に」という方針のもと「こころ、からだ、たましい」を育てる教育に取り組んでいます。毎日の昼食を生徒が作り、教師生徒が共に食卓を囲む家庭的な学校です。またご飯を薪で炊くこと、野菜や豚を育てて食べること、自分の机を自分で作ること等々、ホームメイド、ハンドメイドを大切にしています。創立者は「教育は不便なるがよし」と述べていますが、ある意味で非常にスローな学校です。

農場で生徒たちと共に炭焼き窯をつくり炭焼きに没頭したこと、生徒一クラスを河原に連れ出して行った沈黙のキャンプ、ツリーハウス作り、学内のごみ委員会の立ち上げ、非電化工房訪問等々、『スロー・イズ・ビューティフル』が、私の様々な試みの後押しをしてくれたことに気づかされます。この本の一部を教材テキストとして高校生と一緒に「自由・自律」について考えたこともありました。この本の内容がまったく古びないどころか、今もって新しく多くのことを語りかけてくることを感じています。

スローな生き方、思想が、「功利主義と効率主義」のこの時代に通用するのか。競争時代を勝ち抜く人材こそが生き残るのではないか。生徒を育て現実社会に送りだすことを使命とする学校として考えた場合、これは重大な問いです。『スロー・イズ・ビューティフル』にその直接の答えはありませんが、シューマッハカレッジの訪問気『最高の人生をつくる授業』を読み、その道が示されていると感じました。

羽仁もと子は世界が戦争に向かう1932年、ニースで行われた世界新教育会議において次のように述べています。
「学校は単に社会に人材を送り出すところであるという思いにかえて、教育は新社会をつくるものであるという信念を打ち建ててゆきたい。」
この志を私自身も大切にしたいと思っています。

2019年4月27日 高橋和也(自由学園学園長)

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