第21回 『子供之友』原画展/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第21回 『子供之友』原画展/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第21回 『子供之友』原画展

2016年2月28日

DSC00273板橋区立美術館で開催中の「描かれた大正モダン・キッズ」『子供之友』原画展を、2月27日土曜日、学生と一緒に見に行きました。

羽仁もと子・吉一両先生によって、自由学園が創設されたのは、大正10年(1921年)です。
『子供之友』が創刊されたのは、これより早く、大正3年(1914年)です。
この雑誌には、学園創設への夫妻の思いが込められたものであると云っていいでしょう。
展示は、婦人之友社の全面協力によってなされものです。
婦人之友社を代表して、千葉公子氏は、
「時代背景が画面にも文面にも色濃く存在しますが、それらを超えて、現代に失われつつある日本の文化が浮き上がっているのも事実です。心の文化とも表現できるでしょうか。」とメッセージを送っています。
大正モダニズムは、明治の富国強兵の物質文化とも、戦中の精神文化とも大きく異なった<心の文化>です。
羽仁もと子先生は、千葉氏も引用していますが、編集に際して
「短い歌にも絵画にも、多くの含羞がほしいということでした。」
「それらの含羞が、長い間に『子供之友』の風尚を語り、顕著なる特色をつくりだすのであります」
と述べています。
<心の文化>にひそむ、「含羞」と「風尚」を見て取ることが、この絵画展の提起です。
大正モダニズムの開花は短いものでした。
その耽美性的性格は、一方で西欧の文化への夢を追い、一方で江戸文化への追憶を背景としました。
その交差に「含羞」がありました。
時代を超える心の品格「風尚」があったと云ってもいいでしょう。
『子供之友』の画家たちと私の出会いは、信州上田の山本鼎の美術館が始まりでした。その時は、彼が自由学園の美術科主任であり、今も自由学園の美術教育にしっかりと根を下ろす自由画教育の源を担っていたことを見過ごしていました。北原白秋の妹の夫であること、又その波乱に富む半生に興味がありました。
そして今年の夏、戦後池袋とヤミ市の展示を、東京芸術劇場で行った際、戦中戦後の絵日記を記していた、武井武雄が、大きな存在として浮上しました。
岡谷にある、武井武雄のイルフ童画館(イルフはフルイの反対・・)にも足を運びました。
今回の出品作品では、1921年の「はねや」に注目しました。不用になった羽を鳥たちが大安売りで売っているというものです。画面前方には、旭日旗を掲げる軍隊の行進が描かれています。私は、「羽」が、武井が求めていた「自由」に思えてなりません。「童画」という新たな言葉を生み出した武井には、子供を犠牲にした戦争や権力への嫌悪が強くあります。この絵にコミカルな遊び心のみを感じることは出来ませんでした。
北沢楽天の「飛行機に乗ったサンタクロース」1917年12月号の原画も、連想が深まる絵でした。1917年は、中島飛行機の会社が創設された年です。国産飛行機への関心が高まったのです。飛行機が日本の子供たちの夢を乗せていたのです。飛行機に乗ったサンタクロースは、小学校の校庭を見下ろしています。飛行機の下に描かれている夜の光景はどこなのでしょう。川は、隅田川でしょうか。森と鳥居。少し雪が積もっているようです。昭和の広重ともいわれる川瀬巴水の雪の夜の情緒を思いました。
クリスマス関連の絵も多くありますが、私を釘づけにしたのは、1933年深沢紅子の「クリスマスの晩」です。北原白秋の詩がともにあります。

「     クリスマスの晩
雪の教会、クリスマス
なんときれいなあのあかり
      なかでおいのりきこえます
      今夜オルガン弾いてます。
雪の教会、クリスマス
ここは街角、ふきさらし
      僕はこごえて佇(た)つてます
      なにかしんしんしてきます。
雪の教会、クリスマス
星も出ましたあの屋根に
      はひつてみよか、どうしよか
      僕は無いんだ、母さんが。
雪の教会、クリスマス
あゝら、誰だか出て来ます
      マリアさまではないかしら
      かはい赤(あか)さん抱いてます。  」

赤い帽子をかぶった、少年が街角に立って、教会を見ています。明りのともった夜の教会。教会の扉の向こうに黒いシルエットの聖母像が浮かんでいます。小さなシルエットです。カタログではどうしても見落としてしましそうな小ささです。原画で、初めて母マリアが御子イエスを抱くシルエットが浮かび上がります。原画ならではです。
クリスマスの教会の外でのあまりに寂しい孤独な少年を、子供たちの教育雑誌「子供之友」に見せる必要があったのでしょうか。残酷な思いがしてなりません。
しかし、この深沢紅子の絵と北原白秋の詩によって、子供たちは、クリスマスの持つ意味を、心に刻み込んだに違いありません。マッチ売りの少女の物語が、残酷であればあるほど、子供たちに、悲しみや幸せに真正面から向き合う心を伝えたように・・。
原画展、最後の絵は、1943年防空壕の少年少女の絵です。これも深沢紅子の作品です。
深沢紅子は、戦後、盛岡短期大学の勤めの後、1955年、52歳から18年間自由学園で美術科講師をつとめました。
彼女の「野の花」美術館が、盛岡と軽井沢にあります。そこにはまだ行ったことがありません。
『子供之友』をめぐる画家たちへの私の旅は、始まったばかりです。

2016年2月28日 渡辺憲司 (自由学園最高学部長)

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