第75回 「大学教育における自由」シンポ雑感/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第75回 「大学教育における自由」シンポ雑感/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第75回 「大学教育における自由」シンポ雑感

2017年8月12日

8月11日(金曜日)、自由学園明日館で大正大学の大塚伸夫学長と立教大学の吉岡知哉総長をお招きし、渡辺が司会をしてシンポジュウムが行われた。
この企画は、重要文化財指定明日館の講堂が、3年にも及ぶ修復を終えて開館したことを記念したものだ。
この日は、心配された酷暑も一息ついたような好天気にめぐまれ100名以上の参加があった。

大塚氏は、学長を務めるとともに、密教哲学の研究者としても知られている。氏は釈尊による初期仏教の特徴から、その教えの輪廻のサイクルより解放される解脱の精神に仏教の自由の特徴があることを説き、その実践課程による大乗菩薩による民衆救済の思想的展開を説明された。そして、自分のみならず他の救済を願い求めることに、菩薩思想の登場があると述べる。そして、大正大学の建学理念がまさにその菩薩の求道的精神によるものであり、多様な社会の中でとらわれずに、自由自在に他者と協調して生き抜くことが自由の実践であり、自由への行動原理であると述べた。

吉岡氏は総長であるとともにヨーロッパ政治思想史を専攻されている。氏は古代ギリシャ・ローマにおける自由から話をはじめ、ヨハネ福音書の「真理はあなたたちを自由にする」を引用し、中世都市における自由の成立が自治権獲得などによって大学の誕生を生み、また近代国家の形成に大学が果たした役割を歴史的に述べ、その後のルターによる宗教改革などが与えた「良心の自由」など、歴史的キリスト教の成立な複合的に立教の建学にも影響を及ぼしていることを述べた。

シンポでは、仏教とキリスト教、それぞれの<自由>に対する方向性の差異を浮き彫りにしながらも、社会の現実の中で大学教育によって保たれるべき<自由>への自主的思考の中に学問追及の共通性が両学長から述べられた。フロアからも、自由学園出身の大学院生によるハイデッカーに関連する具体的事象に関する鋭い質問も発せられ、現代の大学が置かれている思想の自由の保持又その寛容性などについて討議があった。

キリスト教を理念とする大学と仏教を理念とする大学が同じ席で、その理念を語り合うということは恐らくあまりなかったのではないか。キリスト教系の大学で育ち、今、キリスト教を大きな理念としている学園につとめる自分としては、菩薩が自由を求め、人間が存在することそれ自体に自由への理念があるという指摘などは刺激的であった。
またこのシンポは、文化創造都市を目指す豊島区における文化共同体の新たな進展を期待するシンポジュウムでもあり、冒頭には、わざわざ激務の合間に突然来訪された豊島区長高野之夫氏の挨拶もいただいた。又その場では、8月8日に2019年の「東アジア文化都市」に豊島区が選定されたという最新の報告もされた。

そもそもこの企画の発端は、大塚氏と私が法明寺(鬼子母神堂)の重要文化財認定式典で同じテーブルに同席した時の会話から始まった。吉岡氏とは、私が立教大学に在職していた時からの旧知である。
現代において、今ほど大学の自立、また自由という存在が社会から期待されている時代はないであろう。大学の本来の根源的使命は、共生社会の実現であり、そのための自由の確立である。大学教育という場において、大学の基盤をなすキリスト教と大学・仏教と大学というわれわれが根源的に問わなければならない問題を歴史的に振り返りながら、まさに同じ地域<池袋>で歴史を歩み始め今日に至っている、三者の教育機関、大正大学・立教大学・自由学園が、その方向性を如何に模索していくべきかが問われている。<宗教>と大学、私立という主体性のなかでの論議が今後深まって行けたらばと痛切に思いを深くした一日であった。

2017年8月12日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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