第81回  荷風・村田喜代子さん・体操会/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第81回  荷風・村田喜代子さん・体操会/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第81回  荷風・村田喜代子さん・体操会

2017年10月10日

10月5日木曜日までは、『東京人』12月号の特集「永井荷風」への「荷風と阿部次郎」の原稿執筆。荷風と阿部次郎は共に大部の日記を残しているが、私の中でいつも振り子のようについてまわる二人の作家だ。江戸情調「すみだ川」と教養主義「三太郎の日記」の間と云ってもいい。

荷風と阿部次郎はパンの会会員・慶応義塾大学教師などで一緒だ。共に江戸文化への深い関心を持っていたが、次郎は、『徳川時代の芸術と社会』を刊行した、満州事変勃発の昭和6年頃から、江戸文化に決別する。荷風の江戸文化への耽溺ともいえるような思いは戦時下でも変わらない。

同じく昭和6年、阿部次郎と同じ夏目漱石門下の画家津田青楓から受け取った年賀状に「嘔吐」したと、荷風は「断腸亭日乗」に記す。青楓の俗臭を嫌ったのだ。
荷風と次郎の江戸文化への立ち位置の違いなどを書きながら、阿部次郎・津田青楓その背後にある漱石門下と荷風の違いなどに思いをはせたが・・・。次郎は、江戸時代の文化を「闇汁」と評す。私はこれからもこの「闇汁」に翻弄されながら流されていきそうだ。

 

「荷風と阿部次郎」を書き終えた翌日の金曜日、婦人之友社で作家村田喜代子さんと『明日の友』企画で対談。村田さんは、1987年「鍋の中」(黒澤明監督「八月の狂詩曲」の原作)で芥川賞受賞以降、各賞を総なめにし、現在も『文学界』などに連載を発表中。『西日本新聞』で村田さんの作品「ゆうじょ」を書評したことや、下関の梅光学院で村田さんが文章講座を持っておられることなどで、御縁があった。(梅光は、私の30代の勤務先)

今回の話題は「旅」。
鹿児島、五島列島、遠野、雲南、ルーマニアなど、旅先の失敗談、旅への準備など、同世代で意気投合、愛読書は今泉みねの『名ごりの夢』などと、話題も飛びに飛び、甘口好みの日本酒も含めて5時間ほどがあっという間に過ぎた。帰りに私の旅はこの中にというわけで「屋根屋」をいただいた。村田さんの作品はあらかた読んだつもりでいたがこれはまだ読んでいなかった。夢を自在に操る屋根屋と平凡な主婦が、夢の中で仏閣やヨーロッパの聖堂をめぐる。小説の醍醐味を味わいながらほぼ徹夜。私も久しぶりに夢で飛んだが、飛んだ先は家の前の電信柱だった。

 

土曜日、予想通り雨で体操会延期。
日曜日。これぞ東京の秋と云う感じで好天気。東京オリンピックもこの時期にやればいいのになどと話しながら妻を学園に案内。
リビングアカデミーの79歳から、4歳の幼児生活団までそろっての入場行進。寛容と真摯、前を向き歩く姿に自由学園の理念の確かさを見る。初等部の一所懸命さが童心を呼び覚ます。昭和元年から続く女子部のメイポールダンス。大芝生の緑に水色のスカートが妖精のように舞う。鍛えられた肉体から筋骨がほとばしるような男子部の組体操。オレロップ体操学校から来日の見事な演技に万雷の拍手。最後は、最高学部のデンマーク体操、ミュージカルを見ているような爽快さ、躍動美が私を若さに誘う。デンマークの風が吹く。

「野暮な大人の挨拶なんてないだろう。すっきりしていいだろう。グランドに先生がいな
いだろう。後片付けも全部子供たちが主役だよ。」と初めて見る妻に自慢。
白玉入りのお汁粉を売っているのも学部の学生。アイスを売っているのは、今年の卒業生だ。昔は、昼食の弁当まで生徒が作ったのよとOGが懐かしむ。

記念講堂では、吹奏楽の演奏。体操服を着替えたばかりの学生・生徒の演奏があった。壁面では、自由学園とデンマークの交流の写真展示、昭和初期の貴重なフイルムも公開。創立者が津軽の真っ赤なリンゴのように笑っていた。
若き感性が、暮れなずむ学園に秋の夕暮れを呼んでいる。

帰り、近くの銭湯でひと風呂浴びていると、手伝いに来た卒業生の一団と出会う。番台の前のロビー?、ビールで乾杯。向かいの立ち飲みでワイン。それから、駅前でひと飲み。こんないい気分。痛風なんか吹っ飛ばせと意気軒昂。翌朝やや宿酔、やや痛み。

 

2017年10月9日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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