第141回 白いタオル・希望の牧場/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第141回 白いタオル・希望の牧場/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第141回 白いタオル・希望の牧場

2020年1月17日

始業式の朝、学園へ向かう武蔵野線で、麓まで白い雪の積もった富士山がくっきり見えた。そこで始業式で一句披露。(こりゃセクシャルハラスメントだ!!)
「富士の山白いスカートめくりたい」
小学4年生くらいだったと思う。もう65年も前、スカートめくりが男の子の間で流行した。(函館の一部小学校かもしれない)雪で校庭が使えない季節だった。廊下で女の子とすれ違った瞬間にスカートをめくると云うものだが、もちろん実際にはスカートをめくるなどと云うことはできない、女の子のそば(3メートルくらい横に)にスライデングして、女の子達にキャアキャア「バカバカ」と叫ばれ、男の子側は「パンツ丸見え」などと悪態をつくのだ。
富士山の裾野に白い雪が積もっているのを見て、その頃のことを思い出した。それは男の子(悪ガキ)の仲間に入るための、踏み絵のようなものだった。「ケンジ。次はお前の番だ」などと云われて、おずおずと行い(いや、私が率先したような気もする)女の子たちの失笑をかった。

そんな休み時間の後、何となく罪悪感を持ちながら、それでも少し一皮むけて男になったような誇らしいような気分で、水飲み場でいつものように手を洗い、服に手をこすりつけたり、かじかんだ手をぶらぶらさせたりして水を切っていると、真正面にすらりとした担任の先生が立って道をふさいだ。
「いけねえ」これは怒られる、と思った瞬間、先生が真っ白いタオル(ハンケチかもしれない)を出して、私の前に差し出した。わたしは躊躇しながらもそのタオルを受け取り水っ鼻をすすりながら、「ごめんなさい」と頭を下げてお小言を待った。ぷーんと洗剤のいい匂いもした。
しかし先生はスカートめくりについて何も言わない。(教室の前でのことだから確実に先生はその騒ぎを知っていたはずだ。)何も言わないどころか、タオルを返そうとした私の手を握って、「いいのよ。そのタオル持ってて・・。」そう言ったのだ。
私はその白いタオルを奪い取るようにして、お礼も言わず思いっきりポケットに突っ込んだ。嬉しかったと云う気持でもない。ぞくぞくするようなドキドキするような不思議な気分だった。家に帰ってもおふくろにこの日のことは話さなかった。タオルを鼻に充て何度も深呼吸した。タオルは鼻水でぐしゃぐしゃになるまで使った。私の秘密の宝物だった。
先生は、その頃おそらく20代だ。結婚して苗字が変わったということだった。
タオル大!事件の後、私は変わった。授業中の鼻くそ戦争もしなくなった。今に至るまで、そのとき先生が話してくれた「クオレ物語 最後の授業」「次郎物語」「路傍の石」を覚えている。
今年の正月、その先生から、年賀状が届いたのだ。90歳近いはずだ。この数年音沙汰がなく、突然だった。札幌のその住所からおそらく老人ホームに入所されているようだ。富士山の白い雪の向こうに見えたのは白いタオルの懐かしい香りだ。

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始業式では、こんな裏話はしなかった。雪におおわれた美しい富士の山も、その白いスカートのような雪を一枚めくれば、ゴミの山だ。光の部分のみを見ていると多くのことを見落とすと云った話をした。

年の暮れ、福島、浪江に原発事故の跡地を訪れた話をした。駅周辺は3月の常磐線全線開通を目指してきれいに除染され、2年前とは見違えるようになった。しかし一歩山間部にはいれば、未だ立ち入り禁止地域は残され、10年たっても復興の見込みは立っていない。原発事故後、牛がそのまま放牧され命を長らえている「希望の牧場」のことも話をした。約50頭ほどであろうか、景色はまことに牧歌的、絵や写真であれば、なんと美しいほのぼのとした光景であろう。しかし、牧場周辺の異臭は鼻をつき、数日間体に染みついて離れなかった。見えるものは人を欺く。テレビもパソコンも感触を持てない。文字も画面も感性の一部を肥大化させ、実態を喪う機能を持つのだ。

<福島県の聖火リレーでは、福島県の復興のシンボルである「ナショナルトレーニングセンターJヴィレッジ」において全国の聖火リレーのグランドスタートを実施した後、東日本大震災からの復興の歩みを着実に進める沿岸の市町村を始め、福島県内各地で広くリレーを実施します。>

これは、福島県の広報に紹介された一文だ。私は天邪鬼ではない。オリンピック・パラリンピックの成功を心から願う一人だ。しかし、今年行われるこの祭りが何か大きな忘れものをしながら、忘れてはならないものを覆い隠しているような気がしてならない。
復興という名の歓喜のスタートが、放射能に汚染され多くの住民の帰還を拒否している悲惨な現実を覆い隠しているように思えてならない。浪江の海岸にうず高く積まれていた黒いビニールシート(汚染土)は真新しい壁に囲まれて見えなくなった。「オリンピックが過ぎたら汚染水も海に流せると思うよ」そんなつぶやきも聞こえてきた。富岡浪江間の代行バスの前方客席の前に設置されていた放射線量計数器は取り除かれた。悲惨さを直視せず、回避と密閉が進行しているような気がした。

2万人を越えていた浪江町の人口は、現在約1000人に満たない。多くの学校も閉校・統合された。一方でビジネスホテルもウイークリーマンションも建築中だ。町は、原発処理の工事従事者を引き入れ変わろうとしているのだ。それを復興と呼ぶのか。
役場の前のマルシェで会った観光ボランティアの方は、「それでもゼロの町からここまで来たんですよ。物があふれた世の中で何が大切かを、この事故を通じて伝えたい。」と静かに話す。
大きな祭りの時を今年は迎える。祭りとは、忘れてはならない記憶をしっかり根付かせるものだ。復興の美名の前に原発事故の汚点を忘れてはならない。
汚点は教訓です。忘れた悲劇は繰り返され、忘れぬ悲劇は新たな一歩となるのです。

寒中見舞い申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

2020年1月17日(金) 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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