第169回 寒中見舞い・ピートハミル・始業式・幸徳秋水・有馬晴信/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第169回 寒中見舞い・ピートハミル・始業式・幸徳秋水・有馬晴信/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第169回 寒中見舞い・ピートハミル・始業式・幸徳秋水・有馬晴信

2021年1月11日

寒中見舞い申し上げます。

今年もどうぞよろしくお願い致します。 

「めでたさも中くらいなりおらが春」そんな一茶の句が浮かぶような、不安の続く毎日、1月も半ばである。12年ぶりであろう。いつもの年なら、奥日光の温泉で親戚がそろって正月を迎えるのだが、今年は我が家で過ごした。

4日までは、このブログから多く選んだ、2月末刊行予定の、角川文庫「生きるために本当に大切なこと」の初校に追われた。「あとがき」を書く際に、昨年8月に85歳で亡くなった、アメリカの作家ピート・ハミルのことを思い出した。ハミルは、1960年代後半に学生生活を送った世代には忘れられない人物だ。彼は、ベトナム戦争に土足で踏み込んだアメリカの権威に正面からぶつかったジャーナリストだ。山田洋次監督の映画「幸福の黄色いハンカチ」の元になった話も書いていると云えば思い出す人も多いであろう。約一回り下で私と同年代の川本三郎氏は、彼のコラムを集めた「イラショナル・レイビンクス」(理性のかけらもないたわごと)の解説で、「ピート・ハミルの根底にあるのは、この「男の子」としての、「兄」としての、心やさしい怒りなのだ。温かい正義感なのだ。それはシンプルであればあるほど胸を打つ。「男の子」はやはりシニカルでいたり、斜に構えてばかりいてはダメなのだ。怒るべきところできちんと怒らなくては、それはもう「男の子」ではない」と記している。「男の子」と云った限定的表現に今では問題を感じるが、当時の若さにハミルの反骨精神が勇気を与えてくれたことは確かだ。

非常事態宣言で緊張感と不安が、ますます私の中で動揺を重ねたが、自由学園最高学部は、対面を原則とした授業再開となった。(もちろんオンライン授業との併用である)7日のオンライン始業式の挨拶では、おおよそ次のように述べた。

「礼拝で、学園長が述べたように、最高学部は授業を行います。原則として対面授業、オンラインも併用します。既に知らせが回っていると思いますが、オンライン講義希望者は、届けてください。原則として対面講義としたのは、このほぼ一ケ月が試験を控えさらに4年生並びに2年コースの最終学年の人たちにとって、自由学園での最終結果の表明である卒業研究・卒業勉強の提出を控えているからです。この時期の講義は君たちにとって、学生生活のしめくくりとして殊に重要であるからです。又、実習科目などや学年末講義の重要性も考慮に入れました。そしてそれを支える生活基盤である寮も開けることとしました。これは我々教職員のこの時期の講義の重要性を鑑みた決断の結果であります。クラスターなどへの危険を思いながら薄氷を踏む思いでの授業再開・開寮と云ってもいいでしょう。もとより、文部科学省の公立学校の小中高が休校措置を取らないという通達や、大学においても「対面授業の継続に工夫して欲しい」との通達を踏まえたものです。

しかし、この緊急事態宣言下での再開には、きわめて厳しい緊張感が必要です。従来に倍した緊張感をもって、この時期を乗り切って欲しいと思います。不要不急の外出を自粛して下さい。日誌を各自記すことを徹底して下さい。この時期の行動を君の息子や娘に伝え残すのです。体温測定もかならず報告して下さい。それは我々の少人数教育の信頼関係を築くことです。罹患した場合でも行動記録は必須です。食堂でも距離を保ち互いに話をしないように気を付けて下さい。今だけは、仲間たちと外で食事をするなどは許されることではありません。公共機関を使用する人は、十二分に注意して下さい。時間に間に合わせるためにラッシュアワーなどを使うということはないようにして下さい。朝早く出るとか工夫して下さい。時差で人込みを避けるのです。東京では陽性率10%を越えました。これは無症状者の10人に1人が感染している可能性を示唆したものです。帰宅及び帰寮時間にも厳しい自己規制をかけてください。寮の門限は働くという生活もあるでしょうからそのままですが、遊んで帰りが遅くなるなどと云うことは論外です。出来うる限り夜間の外出はしないようにして下さい。昼間も不要不急の外出はしないこと。寮の門限はそのままですが、9時には帰寮してください。自宅又アパートなどで住んでいる人も同様です。無理をせず、自宅から学校まで遠い人はオンラインを使ってください。体調の悪い人は、従来通り休んでください。そしてすみやかに報告して下さい。一人散歩し体力を維持し、くそ真面目に在室し勉学に励むことです。これを乗り切れば、我々の日常は戻ると確信しています。先が見えないのではなく、先を今の緊張で切り開くのです。孤独な勉学に励みましょう。しかし、いかなるきびしい緊張感を持ったとしても、コロナは我々に襲い掛かる危険を持っています。もしも、我々の中から罹患する人が出たら、熱いやさしさをもってその人を見舞いましょう。厳しさとやさしさは表裏です。自負と誇りを持った最高学部の諸君の健康を祈ります。なお、状況の変化によって、現在の方針に大きな変化があることは十分予想がつきます。極めて流動的です。かならず、情報をチェックして下さい。」

私の挨拶が終わると司会の委員長から一言あった。「学部長からは孤独な勉学に励みましょうとあったが、心と心の結びつきは大切にしましょう」

画面に向かって、私が大きくうなずいたことは言うまでもない。如何なる状況が生まれようとも、学生たちがこれを機に大きく成長することは間違いがない。私はそう確信する。

私の講義初めは、13日午前の「自由学原論」で110年前の「幸徳秋水事件(大逆事件)」と文学者を取り上げる。自由民権運動の破綻、国家権力の横暴、そして大正自由教育の出発を考えてみたい。テキストには、『二十世紀の怪物 帝国主義』(山田博雄 光文社古典新訳文庫)。

<「1911年(明治44年)1月18日、そのうち2名について単に爆発物取締罰則違反罪にとどまるとして有期懲役刑の言渡しをしたほか、幸徳秋水ら24名について大逆罪に問擬し、死刑判決を言い渡した。死刑判決を受けた24名のうち12名は翌19日特赦により無期懲役刑となったが、幸徳秋水を含む残り12名については、死刑判決からわずか6日後の1月24日に11名、翌25日に1名の死刑の執行が行われた。」(日本弁護士会声明文より)>
<「一月一八日 日本はダメだ。一月一九日 朝に枕の上で国民新聞を読んでゐたら俄に涙が出た。「畜生! 駄目だ!」さういふ言葉も我知らず口に出た。」(石川啄木日記より)> 
18日は1月で記憶すべき日だ。今、幸徳秋水・大石誠之助らは、その出身地、高知県中村や和歌山県新宮市などの市議会で議決され名誉回復され、僧侶の高木顕明・内山愚童らの僧籍も復帰され顕彰されている。

午後は、「経営と経済・社会」の特別講義で水俣を取り上げる。テキストは『苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神』(田中優子・集英社新書)これは学生にどうしても読んで欲しい本だ。

14日は、「日本文化史」でキリシタン大名有馬晴信を取り上げる。キリシタンの教理書である『ドチリナ・キリシタン』には、「万事にこえてデウス(神)をご大切に思ひ奉る事と、我が身を思ふ如くポロシモ(隣人)となる人を大切に思ふ事これなり」と記している。「神を愛し、隣人を愛しなさい」というイエスの教えを訳したものだ。「愛」を「大切に」と訳したのである。神に「ご大切」、隣人に「大切」と敬語も使う。「愛」という言葉は、当時、ヒューマニティな表現としてはなじんでいなかったのだ。宣教師たちは、誤解を避けて「大切」という言葉を選んだのである。有馬晴信の甲斐の流罪地(甲州市大和町初鹿野)と戒名「晴信院殿迷誉宗転大禅定門」切支丹霊名「ドン・ヨハンネ」の話で脇道にそれ、甲州ワインの話でもしたいところだ。

残り少ない教員生活のためであろうか、どうも力みが入っているようだ。コロナ禍のせいかもしれない。年の初めの講義には、目出度い江戸の小咄を一つといきたいのだが、どうもそんな気になれない。

いかんですな。熱燗で初めて、ぬる燗でダラっと飲んで、キリっと冷やでしめ、朝風呂の後は冷たいビールかな。温泉街ブラブラ、バカっ話に花を咲かせて・・。妄想は広がりますが、今は我慢ですね。桜は必ず咲きます。

吉野山花待つ頃のあさなあさな心にかかる峰の白雲 佐川田昌俊

【追記】
この歌新島襄が好んだ歌だそうだ。拙著『近世大名文芸圏研究』(八木書店)に一首管見の章がある。

2021年1月11日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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