第171回 如月読書/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第171回 如月読書/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第171回 如月読書

2021年2月8日

目まぐるしく読書傾向が変わった一週間だった。締め切り原稿を前にするとどうもこうなる。

『FACE いじめをこえて』(角川書店)は、NHKで配信された動画サイトを書籍化したもの。無力感に襲われ、暗い気持ちになった。しかし、読まねばならない本だ。こんなコメントを書いた。

「教師生活50年を越えました。遅すぎた自分を責めることしかできません。分かっているような気持ちだけは持ちたくないと思いました。月並みですが、子供たちのよさを、一人一人の大切さをどうにか伝えたいと思いました。この本を読んだ後、作中登場する筆者の『学校へ行けない僕と9人の先生』も購入。教師としてどうすればいいのかわかりません。分かったことは目の前に多くの生徒がいるということです。目を閉じず、教師であるかぎり、教師であった限りはどうしても読まねばならない本です。読んで欲しい本です。」

次は、『へいわってどんなこと?』(浜田桂子著 童心社)半月ほど前、『毎日新聞』の夕刊で、立教時代の教え子の書いた記事に魅かれて読む。

「せんそうしない」「ばくだんなんかおとさない」「だって、だいすきなひとにいつもそばにいてほしいから」「ともだちといっしょにべんきょうだってできる」「それからきっとね、へいわってこんなこと」「いやなことはいやだってひとりでもいけんがいえる」「わるいことをしてしまったときはごめんなさいってあやまる」「どんなかみさまをしんじてもかみさまをしんじなくてもだれかにおこられたりしない」「おもいっきりあそべる」「あさまでぐっすりねむれる」「いのちはひとりひとつ、たったひとつのおもいいのち」「だからぜったいにころしたらいけない。ころされたらいけない。ぶきなんかいらない」「さあ、みんなでおまつりのじゅんびだよ」「たのしみにしていたひがやってきたパレードのしゅっぱ―つ!」「へいわってぼくがうまれてよかったっていうこと」「きみがうまれてよかったっていうこと」「そしてねきみとぼくはともだちになれるっていうこと」

これらが全ページに記された文字。浜田さんの絵がいい。子供たちの目がいつまでも心に突き刺さる。日中韓の翻訳があり、2019年には、新たに「香港版」が刊行され、デモ下で出版賞を得たものだ。素朴な言葉こそ理想を追う。子供たちの声に耳を傾けなければ平和は訪れまい。

3番目は、旧友白石良夫さんの『虚学のすすめ 基礎学の言い分』(文学通信)資料読解の名手とも云うべき彼の学問遍歴を述べながら、人文学の基礎を学ぶことがいかに重要かを記す。「学問は即効薬ではない。即効薬ではないが、それなくして即効薬はつくれない」現代社会(と云ってもこの20年くらいだろう)受講生が少なければ講座が無くなるという状況が大学で続いている。「亡所」という言葉に引っかかったことがあるが、これは「亡学」だ。「亡国亡学」論の横行に一矢を投じた本だ。毎週、恩師松崎仁先生宅での翻刻作業(私は弁当運びをしただけだが)をした『学海日録』(岩波書店)の思い出も語られている。30年以上も前のことだ。

4番目は、『江戸漢詩集』(岩波文庫)これは、この1週間寝る前に10ページほど読んでいる。著者は畏友揖斐高さん。I氏・K氏逝き雀友とはもう言えない。

そのうちの一つ、唐詩千首をそらんじたという、伊藤仁斎門下の詩人笠原雲渓の一首。

農を憫(あわ)れむ
雨を帯びて耕耘(こううん)し、月を帯びて耕す
百般(ひゃっぱん)の辛苦、豈に栄を謀(はか)らんや
稲粱(とうりょう)は畝(うね)に満つるも吾が食に非ず
只(た)だ祝(いの)る官庭鞭朴(べんぼく)の軽きを

正しい訳は、是非、揖斐さんの訳を見ていただきたいが、以下は私の意訳。

哀れ百姓
「雨が降っても草を刈り、月の光を浴びても働きづめ。どんなに苦労しても、これは自分の栄えを得るためではない。稲や粟が畑いっぱいに実ったとしても、自分の食い扶持になるわけでもない。ただひたすら願うのは、お上の庭に引き出されて年貢のことで鞭うたれるのが軽いことを祈るだけだ。」

英訳する力などないが、英文にしてみれば、まさしくプロレタリア詩人の詠じたものと見紛うであろう。生没年不詳だが、貞享の飢饉の頃には生きていたはず。江戸時代、世間に向き合う詩の多いことにも驚く。

5番目は、『東京人』隔月連載の赤坂歴史散歩で取り上げる「高橋是清翁公園」の参照資料。高橋是清の傑作快男児自伝については同誌の人物散歩で既にふれた。今回、原稿に反映することが出来なかったが、是清を銃殺した中橋基明とその愛人のことでなどを記した、澤地久枝『妻たちの二・二六事件』を読了。もちろん暴力的な陸軍将校の決起に、シンパシィなど感じる者ではないが、是清83歳、基明30歳、愛人O女23歳など思うと、何ともやるせない。腐敗政治に怒る青年たちの行動を否定しながらも、自分のどこかに言い知れぬ疼きを感じることも事実だ。

6番目は、正岡容著『艶色落語講談鑑賞』。この中の一編「東京パレス紀行」。昭和26年のこと。小岩にあったアパート造りの慰安所私娼窟めぐりだが、奇妙な旅情のようなものがある。容は米朝を世に送りだした。落語好きなら何んともたまらない人物。関連資料が豊島区立中央図書館にあることはもっと知られていい。墓は谷中の玉林寺、句碑に

「おもい皆叶ふ春の灯点しけり」

コロナ禍、こんな容(いるる)の句も浮かぶ。

2021年2月7日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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