自分がしたい「暮らし」を紡ぐ喜び

自分がしたい
「暮らし」を紡ぐ喜び

安部 智穂
Chiho ABE

森の暮らし案内人

女子部 67 回生

2019年7月19日談

自分で開墾した畑には季節の野菜の他にブルーベリーや養蜂の箱も。

春から秋は森の中、冬は手仕事の日々

 遠いところ、よく来てくださいました。まずはお昼ごはんを召し上がってくださいね。野菜は全てうちの畑で採れたもの。サラダに入っている木の実は、カヤの実を洗ってタネを炒ったものです。このびん詰めは山椒の実のオイル漬け。森で伐採されそうになっていた木を家の前に移植したら、毎年たくさんの実をつけてくれるんです。わが家では山椒の恩返しと言っているんですよ(笑)。

 

春から夏に採れる木の実はすぐにジャムや果実酒にできますが、秋の木の実は保存が効くものが多いのでちょっと大変です。クルミや銀杏は外皮の果肉をすぐそばの滝つぼでジョリジョリ洗って取り除き、よく乾かします。採り損ねると次にできるのは来年。旬を逃さぬよういつも真剣です。

 

梅雨時は、木の皮をはぐのも大事な仕事。暮らしに使う道具もなるべく自分で作ろうと思っていて、冬になったら手仕事をします。北東北は太い竹が少ないので、その代わりにさまざまな木の素材でかごを編むんですよ。お茶碗を入れているかごはマカバ、スリッパを入れたかごはサクラ。地元のじいちゃんに皮をはぐ方法を教わり、自分で編みました。今日着ている洋服も冬の間に自分で作ったものです。これは自由学園のおかげですね。

 

今は娘が大学生になり、桶職人の夫と2人暮らし。寂しくないかと聞かれることもありますが、お客さんも多いし、自然や動物たちが話題を提供してくれる。なぜこんなに忙しいのかと思うほど、毎日飽きずに楽しく暮らしています。

畑の野菜と森の恵みで手作りの食卓。お気に入りの古道具や食器に盛りつけて。おひつは夫が作った「南部桶正」の製品。

冬の寒さも、オラには恵みだ

 タイマグラと呼ばれるこの集落に暮らし始めて25年。ここに来たきっかけは、大学時代に槍ヶ岳の肩の小屋でアルバイトをしたことでした。「肩の小屋で働いていた人が、東北で面白い山小屋を始めたよ」と聞き、仲間と遊びに行ったのです。すっかり気に入って、同級生だった山代陽子さんに「絶対あなたも気に入ると思うよ」と紹介したら、彼女もいつの間にか通うようになっていました。

 

しばらくして、山代さんは山小屋の主人と結婚。私は山小屋を手伝っていた弟と結婚することに。当時の私は草木染をしていたので、いつかは田舎で染物をしながら暮らしたいと思っていました。夫は大学の卒論テーマに炭焼きを選んで以来、田舎に憧れて桶職人になろうとしていました。

 

一人で田舎暮らしを始める勇気はなかったけれど、同じ価値観を共有する相棒ができた。二人なら経済的にもなんとかなるさ、と楽観的なスタートでした。当時夫は桶職人の修業中だったので、私が草木染のストールやのれんを作って収入を得ました。

 

タイマグラは、戦後すぐに10キロ下の集落の人が開拓に入った場所。開拓時代の家を修理しながら暮らし始めましたが、私が一番不安だったのはお金より冬の寒さでした。一人で暮らしていた開拓者のばあちゃんに「ここの寒さに耐えられるか心配」と話したら、「なあに、オラにとっちゃ冬の寒さも恵みだ」と言われたんです。私は寒さと戦う気でいましたが、考えてみれば戦って勝てるわけがありません。ばあちゃんみたいに寒さを恵みと思えるよう、知恵を蓄えればいいんだ。そう思ったとたん、肩の力が抜けていい具合に暮らせるようになりました。ばあちゃんの言葉は、今も心の支えです。

マカバの皮を採取し、自分で編んだかご。

「暮らす、生きる」が私の仕事

 学園卒業後、大学で保育士の資格を取り幼稚園に1年勤めたことがあります。でも私は、混雑するバスや電車に乗る生活が耐えられなかった。社会人としては不適合でした。

 

ここに来てからは生計を立てるため染物を頑張ってきましたが、ある時期から楽しめなくなりました。それでも無理して続けたのは、「染織家という肩書きがなければ」とか「何者かにならなければ」という思いに捉われていたからです。しかし、2011年の震災で「生きている」と実感した時、私の仕事は「暮らす、生きる」だとふっきれました。

 

その後、すがすがしい気持ちで楽しんでいたら、ここでの暮らしを伝えることが少しずつ仕事になってきました。また、ここでの暮らしとは別に、年に2回は小岩井農場でクラフト市を主宰しています。私は作り手ではなくプロデューサーが向いている。道具の背景にある歴史や物語を聞いたり、人と人をつないだりすることが好きなんです。

 

今思うのは、自分が楽しく生きることが一番だということ。夫は桶作りを職業にしていますが、なり手がなくて途絶えそうな手仕事は他にもたくさんあります。そういう仕事や暮らしがしたい若い人と、若い人に継いでほしいと思っている職人さんのマッチングができれば、両方が嬉しいですよね。もちろん苦労だってあるでしょう。でも自分で選んだ道なら苦労も醍醐味です。したい暮らしを紡げるタイマグラと出会えた私は、本当にラッキーだと思っています。

桶職人の夫、奥畑正宏さんと。一人娘は大学生で現在山形で暮らしている。

安部 智穂(あべ ちほ)

1968年神奈川県生まれ。自由学園女子最高学部卒業後、日本福祉大学へ。川島テキスタイルスクールで染織を学ぶ。山登りに明け暮れた学生時代に、岩手県早池峰山麓の集落タイマグラと出会い、1994年に結婚して住人に。小岩井農場で年2回クラフト市を主宰するなど、手仕事にも深く関わる。著書に『森の暮らし たいまぐら便り』『森の食卓 たいまぐらのおやつ』などがある。