自分でも気づかない得意分野を伸ばしていく

自分でも気づかない
得意分野を伸ばしていく

明石 謙太
Kenta AKASHI

セイコーウォッチヨーロッパ オランダ在住

男子部 48 回生

2020年12月19日談

自由学園・学園長宅にて。

広い世界が見たかった

 2020年の8月から、オランダのロッテルダムにある、セイコーウォッチヨーロッパに勤務しています。その直前までイギリスで11か月働いていましたが、グループのヨーロッパ統括機能がオランダに移ったため、こちらに引っ越して来ました。60人の会社でヨーロッパ全域を見ており、日本人は私一人です。

 

自由学園を卒業し、すぐにセイコーに入社。学部での就職活動中、10歳上のセイコー勤務の卒業生が説明に来てくれたので、迷わず手を挙げました。生活必需品を扱う企業に入りたいという思いがあったんです。また学部時代には、ネパールのワークキャンプに行き、「世界は広い」と感じた。セイコーなら、広い世界を見る仕事ができるだろうと思いました。最終面接では、中3のときの授業で組み立てたセイコーの時計(*)を持って行って、「自分で作りました」と。そのおかげで入社できました(笑)。

 

漠然と海外で仕事がしたいと思っていましたが、英語が喋れるわけではありません。そこでまず、英語の書類作りの事務部門にいきました。その後、販売部門へ。当時は世界中から、ファクスで注文が届いていました。毎月一回、各国から20枚くらいのファクスが送られてきます。それを見ながら係の人が、注文をコンピュータに打ち込んでいく。まだネットは繋がっておらず、メールもなく、コンピュータは社内システムだけ。巨大な計算機のようなものでした。

 

(*)時計の組み立て:当時はセイコーの技術者が来て、男子部生に腕時計の組み立てを教えてくれた。

オランダの事務所で、現地スタッフと。(本人提供)

世界各国でネット受注システムを繋ぐ

 ちょうどその頃、インターネットが世の中に登場しました。アメリカ留学経験のある上司が、「世界中からインターネットで注文を受けよう」と自ら仕組みを作り、「俺はヨーロッパに行く。お前も勉強して中南米と中近東にシステムを入れてこい」と言われました。その人にプログラミングや繋ぎ方を教えてもらったら、意外に自分に向いていたんですね。そこで、台湾、メキシコ、パナマ、アルゼンチン、サウジアラビアなどに一人で行って繋いできました。1995~1996年のことです。

 

世界中回っても、誰もインターネットなんて知りませんでしたが、コンピュータは世界共通です。プロバイダと契約してもらい、たどたどしい英語を使いながら、1か国3~4日でがんばって繋ぎました。インターネットで受注できるようになると、夜中までの残業もなくなりました。

 

その後、北米とヨーロッパの販売担当になりましたが、やりたかったはずの海外営業は向いていませんでした。「システムや数字に強いから、経理をやってみるか」と言われ、経理部に異動したのが12~13年前。東京で4年働き、英語も喋れるようになっていたので、経理で海外へと言われ、香港に5年間赴任しました。仕事で何度も海外に行く機会はありましたが、暮らすのは初めて。刺激的で面白かったですね。最初は単身赴任でしたが、反抗期で難しかった長男を香港に呼び、2人暮らしをしたのもいい思い出です。その後、日本に戻って4年。今度はイギリスに赴任して、そのままオランダに移りました。

 

違う国に暮らすと、毎日いろいろなことが起こります。忘れてしまうので海外にいる間は日記をつけるのですが、どの国でも最初は切符の買い方もわからないところから始まり、いつの間にか普通に暮らせるようになっている。日本語を話す相手がいないので、日記をつけながら自分自身と会話し、自分の成長を感じたりしています。

オランダ在住の友人たちとチューリップ畑へランニング。左から2人目が明石さん。(本人提供)

社会人になってやりたかった3つのこと

 入社した時、広い世界で働きたいという思いと共に、やってみたいと思ったことが3つありました。仕事で世界中を旅したい、海外に住んでみたい、日本百名山に登りたい。最後は仕事とは関係ありませんが、すでに3つとも達成しています。山が好きなので、世界のどこにいても一人で山に行っているんですよ。オランダの別名「Netherlands」は、低地の国という意味。海抜マイナス7メートルの地点もあるくらい低い土地です。3つの目標を達成した今、自分が次にすべきことは何だろうと考えています。

 

今、時計は自分が就職した頃の扱いとは大きく変わっています。誰もが携帯電話を持つようになって腕時計を持つ人は減り、スマートウォッチなどにも圧されている。時計離れが世界的に進む中、差別化を図るためにセイコーは高級路線にシフトして、宝飾品に近いものになっています。

 

そうなると、自分が思っていた生活必需品というところからはどんどん離れていく。50歳になった自分は、この先どういう働き方をすればいいだろうか。システムを入れることや経理が向いていることは、正直自分ではわかりませんでした。でも、言われたことを素直にやってみたら苦もなくできたんです。やりたいことと、向いていることは違う。まだ気づかない、自分の得意分野があるかもしれません。それが、後輩を育てることなのか、まったく違う業種なのかはわかりませんが、オランダでの勤務が終わる3年後までに、新たな可能性を探りたいと思っています。

セイコーウォッチ東京本社にて。(本人提供)

明石 謙太(あかし けんた)

1969年生まれ。自由学園男子最高学部卒業後、株式会社服部セイコー(現在のセイコーホールディングス)に入社。2001年にセイコーウォッチ株式会社へ転籍。服部セイコー入社以来、輸出入事務部、販売計画部、経理財務部などの部門で働き、香港駐在、イギリス駐在も経験。現在はオランダのロッテルダムにあるセイコーウォッチヨーロッパで勤務。