自分で価値を創り出す

自分で価値を創り出す

纐纈 あや
Aya HANABUSA

映画監督

女子部 73 回生

2019年1月16日談

やしほ映画社にて

よき先輩たちとの出会い

 2014年、2作目の映画製作をきっかけに「やしほ映画社」を立ち上げました。いわばフリーランスですが、もともと私の身近には組織に属して働く人が多く、フリーで働くイメージは全くなかったんです。卒業後は半導体の商社に就職。楽しくOLをしていましたが、1年たった時「このままでいいのか」と疑問が湧きました。上司に相談したら「人の働き方には2通りある。1つは、仕事は給料をもらうものと割り切ってプライベートを充実させる。もう1つはこれしかないと思えるものをライフワークにして全力を注ぐ。君は後者じゃないか」と言われたことがずっと心に残り、3年勤めて退職しました。

 

納得できる仕事を探していろいろな経験をする中で、北海道寧楽の共働学舎にも通いました。共働学舎は、今の社会で生きづらさを抱えているさまざまな人が、農業をしながら共に生活する場です。責任者だった福澤和雄さん(男子部25回生)は、人も事象もとことん受けとめ祈る人でした。でこぼこの人間同士が助け合って生きていく。そこには上下や大小などまったくないことを体現されていました。

 

同時期、環境教育のアースマンシップを主宰する岡田淳さん(男子部33回生)にも出会いました。自然の中で野生の勘を取り戻し、目に見える現象の裏にある見えないものを読み解くことで、この世界はすべてがつながっていると学びました。

 

その後、写真家で映画監督の本橋成一さん(男子部19回生)の事務所で働くことになります。本橋さんは「こうあらねば」や「こうすべき」ではなく、自分はこれをしたい!ということに突き進む人。正義感を振りかざしたり体裁を繕ったりとは無縁でした。それまでの私の仕事観は、見事に覆されました。模索が続いた20代。人生が変わるような先輩との出会いがいくつもあり、そのことが今も映画製作をする上での指針になっていると感じます。

『ある精肉店のはなし』の撮影風景。左から2番目が纐纈さん。(提供:やしほ映画社)

映像は人と関わるきっかけ

 私に「映画を作るといい」と勧めてくれたのは、本橋さんでした。「技術的なことは勉強すればできるようになる。大切なのは人とどう関わるかだ。君はきっと向いているよ」と。

 

冗談だと思って聞き流していましたが、5年働いた本橋事務所をやめ派遣事務に戻って働いていた時、ある映画を見ながら「本橋さんが言っていたのはこういうことか!」とようやくつながったんです。以前仕事で訪れた祝島で映画を撮ろうと決意。「一人ではなくチームで作りなさい」という本橋さんのアドバイスのもと、同世代の女性カメラマンと撮影を始めたのが32歳の時です。

 

今まで『祝の島』と『ある精肉店のはなし』の2本の映画を作りました。原発建設に抗い続ける人たち、そして部落差別と闘う人たちのもとへ通いましたが、私は彼らが大切にする暮らしや共同体のあり方にとても惹かれました。

 

映画の始まりは、どちらも直感と衝動です。出会いがあり、「その人をもっと知りたい、理解したい」という一心で何度も足を運び、映画を作ることを了解いただき、それから年単位で撮影を進めていく。その地域で時間を共にし、相手を理解し、私自身も変わっていくことの結果が映像になっていくという感覚です。映画作りはそこへ通わせていただくため、人と関わるための口実のようなところがあるんですよ。

広島で被爆した女性のドキュメンタリー映画を製作中

したいことと経済をどう結ぶか

 私の映画は、テレビ局や大手制作会社とは違って、最小のスタッフチームで制作をするので、企画から映画を配給するところまで、すべてに関わりマネージメントします。大きなスポンサーもいませんが、制約もありません。だから自分が本当に大切だと思うことにまっすぐに向かっていける。組織に属さないからこそ作ることができる作品を発表し、社会に問うていくことが、自分の役割ではないかと思っています。

 

映画を作る上で、不可欠なのは資金集めです。小さな映画であっても、製作には数千万単位でお金がかかります。資金投入から回収まで数年に及ぶことがほとんどなので、経済的な持久力も必要です。精神的にタフでないとできません。

 

『祝の島』では、本橋事務所に製作についてもらいました。私は監督を請け負う形で、上映などの権利は持っていませんでした。しかし、ドキュメンタリー映画という小さな市場では、映画を作るだけでなく自分で権利を持って配給、上映していくところまでプロデュースしなければ、経済的に成立しません。1作目でそれを痛感したため、自分の会社を立ち上げました。

 

でも、お金があれば映画ができるということではなく、まずは自分が心から作りたいと思うものがあって、そこに経済をどう結びつけていくか、ということを常に考えています。自分で価値を創り出していくことこそが、仕事の醍醐味ではないでしょうか。まさにサバイバルですが、それも含めて生きている喜びを感じます。

『祝の島』(2010年作品)、『ある精肉店のはなし』(2013年作品)

纐纈あや(はなぶさ・あや)

1974年生まれ。自由学園最高学部卒業。さまざまな職業についた後、2001年本橋成一氏が代表を務めるポレポレタイムス社へ。映画『アレクセイと泉』『ナミイと唄えば』の映画製作に携わる。’10年に『祝の島』を初監督。その後やしほ映画社を立ち上げる。2作目の『ある精肉店のはなし』は釜山国際映画祭、山形国際映画祭招待作品。文化庁映画賞文化記録映画大賞、ニッポンコネクション(フランクフルト)ニッポンヴィジョンズ観客賞、第5回辻静雄食文化賞。