匂いや感触、全ての感覚を子どもの記憶に刻みたい

匂いや感触、全ての感覚を
子どもの記憶に刻みたい

飯田 雅子
Masako IIDA

わさび農家

女子部 73 回生

2020年06月19日談:オンライン

静岡県下田市にある「まるとうわさび」にて

わさび田は1年かけて循環する

 画面奥の緑の山が見えますか? あそこが、うちのわさび田がある山です。今は紫陽花が見ごろでちょうどホタルの最盛期。目の前の沢にも飛んでくるんですよ。 「わさびの旬はいつ?」とよく聞かれますが、特に旬はありません。自家採種なので種を採る季節だけは決まっていて、それが5月末。暑さが落ち着いた秋口から、タイミングをずらしながら種を蒔き、苗を育てて沢に植え付けます。種を蒔いてから苗が育つまで約2か月。植え付けてからは約1年で収穫です。どの沢にいつ植えるかは大体決めてあり、1年で循環するようにしています。

 

わさび田は、畳石式という静岡独特の方法で、底に大きな石を置き、次に中くらいの石、小石、砂とだんだん細かくして積み上げ、水が浸透する層を造っています。こうすることで水に含まれる酸素が行き渡り、根腐れすることなくわさびが育つんです。とはいえ、私はここに来るまで本わさびを食べたことすらなく、農業についても知らないことばかりでした。

「この山奥から何ができるか、楽しみでなりません」(本人提供)

清流が流れ、山が迫る環境に惹かれて

学生時代は教育に興味があり、卒業後は勉強を続けたいと思っていました。でも、4人兄弟の末っ子なので家族に迷惑はかけたくない。迷いましたが、卒業ぎりぎりに婦人之友社への就職が決まり働くことになりました。

 

どこか不完全燃焼だと感じていた20代半ば、初心者でも挑戦できる帆船レースに応募。最終メンバーの8人に残り、大西洋でのレースに参加しました。さまざまな国の人と協力して大きな船を動かす、とても面白い経験だったんです。

 

レースの後もトレーニングを続けていた時、趣味で同じ船に乗っていたわさび農家の夫と出会い、2か月後には結婚を決め、翌春式を挙げました。仕事は面白くなっていましたが、清流が流れ、山が迫るこの環境にとても惹かれ、伊豆に来ることへのためらいはありませんでした。

 

結婚後もしばらくフリーで編集の仕事を続けていましたが、子どもができてからはブログなど自分のペースで発信していくことにしました。3人の子どもは今、高3、中3、小6です。この地域は高校までしかないので、いつかは巣立っていきます。限りある時間の中で、この土地を存分に味わってほしい。そう思って、日々の細かいことも子どもと一緒にやってきました。

 

たとえば、今の季節は川でウナギが捕れます。モジリという竹で編んだかごを作り、ミミズを10匹くらい取って来て、エサにして捕る。ウナギって、ガラスをぶち破るくらいのすごい生命力があるんですよ。そういうリアルな感覚や、捕ってきたカニのなんともいえないおいしさ。匂いや感触って絶対に残るので、できる限り子どもの記憶に残したいんです。わさびも忙しいけれど、そういうことに割く時間は減らしたくない。地域の小中学校でも米作りや筍掘り、アユ釣りなどを経験させてもらいます。長男は高校進学のときに家を出ましたが、ここで育ったことに誇りを持って……と送り出しました。

「コロナ自粛時はお店が休業した分、個人のお客様にたくさんの注文をいただきました」

川のせせらぎに浄化されていく

 うちは義父母と一緒の7人家族。今は長男が外に出たので、6人暮らしです。朝は日の出と共に起き、陽があるうちは外で働く。やることは際限なくあるので、お盆と正月以外は土日もありません。でも、天気のいい日は早起きをしてちょっと海まで出かけたり、夜走りで各地に旅行や山歩きに出かけたり、時間はフル活用しています。

 

最初は体がついていかず疲労がたまるばかりでしたが、今は体も慣れたし多少ストレスがあっても大丈夫。川のせせらぎを聞きながら働いていると、浄化されていくんですよ。イライラしても「ま、いいか」となるし、「次はこういうことをやってみよう」と新しいプランも浮かんできます。

 

そうやって実現したのが、母屋を解放した縁側カフェや、田舎の暮らしを味わってもらう里山コテージです。国内外から見学の問い合わせをいただくのですが、一つひとつに対応するのが難しいこともあって、月に一度お菓子やお料理をふるまう縁側カフェの日を設けました。そこでは、新しい人とのつながりも生まれ、よい刺激をもらっています。

 

昨年は、大きな台風で主要なわさび田が被害に遭い、1か所は手放しました。自然環境は年々悪化しており、いつかは被害が出るのではないかと恐れていた中での出来事でした。人間の力でどうこうできる話ではありません。

 

ただ、夫とよく話すのは、わさびの種の選抜、色つや、辛味など、手をかけることによってほんの少しずつ進化しているということ。この先、私たちがわさびの種を採るのはあと20回あるかないか。そう考えると、毎日が真剣勝負です。少しでもわさびを作る環境を守り、いいわさびを作り続けたい。そして、わさびを通して自然環境や昔ながらの手仕事も学び、周囲に伝える暮らしができたらと思っています。

コロナで学校がお休みの中、久しぶりに家族が勢ぞろいした

飯田 雅子(いいだ まさこ)

1974年生まれ。自由学園最高学部卒業後、婦人之友社に入社し営業と編集に携わる。マウンテンバイクやヨットレースなど、プライベートでアクティブな活動をする中で「まるとうわさび」4代目の智哉さんと出会い結婚。わさび栽培のほか、月に一度自宅を解放した縁側カフェや、宿泊できる里山コテージも開いている。智哉さんの両親、子どもたちと共に静岡県下田市に暮らす。