答えは自分の中にある

答えは
自分の中にある

石田 咲子
Sakiko ISHIDA

NPO法人山友会 相談室スタッフ (有看護師資格)

女子部 77 回生

2016年10月4日談

日々の四方山話から人生相談まで。おじさんたちの物語が紡がれる相談室

屋根とお金があっても孤独

 今私は、東京・山谷にある山友会というNPO法人で、看護師資格を持つ相談員として働いています。山谷はかつて日雇い労働者が多く住む地域でした。仕事を失って路上生活を余儀なくされた多くの方も生活保護を受けるようになり、だんだん減ってきていますが、お酒やギャンブルに浸ってしまう人が多く、屋根とお金があっても、深い孤独感の中に生きる現実があります。

 

そういう人たちが、日中集まってごはんを一緒に食べ、おしゃべりしながら、コミュニティを作っていく活動をしているのが山友会です。私の仕事は、病院に行かなくてはならない方と一緒に病院へ行き、医師の話を一緒に聞いて、その後の服薬のケアなどをすること。顔を出さない方を訪ねて、「最近どう?」と様子を聞くこともあります。

 

昨年まで4年間は、JLMM(日本カトリック信徒宣教者会)から派遣されて、カンボジアの教会で会計や村人の健康を支える仕事をしていました。任期を終えて帰国し、どこで働こうかと迷っていた時のこと。当時の私は髪の毛が長くて、顔も真っ黒に焼け、ほとんどカンボジア人状態だったのですが、山友会で料理を手伝っていたら、むかし路上生活をしていたあるおじさんに「お姉さん、日本語上手だね。どこから来たの?」と言われたんです(笑)。

 

それがとても嬉しくて。帰国したばかりで、日本に殺伐とした雰囲気を感じ、自分の居場所がないなと思っていましたが、そのおじさんの一言は、私に居場所を見つけるきっかけを与えてくれました。それで山友会で働くようになったのです。

子どもたちに連れられて村の家庭訪問に出かけます(本人提供)

友人の交通事故死

 看護師を志したきっかけは、中学2年の時の友人の交通事故死です。その時から命や、生きること、死ぬことについて考え始め、学園卒業後に看護学校で学び、資格を取りました。

 

その後は病院の救急救命センターに勤務。もともとホスピスで仕事がしたいと思っていたのですが、看護学校の先生の「人の病気や体調が刻々と変わっていく、緊急の場面を学んでからのほうがよいのでは」というアドバイスで選びました。

 

ですが、ここは相当過酷だった。一分一秒を争うし、薬も何ミリ単位で投与しなければならない。のんきな私にとって、命を預かる現場は緊張の連続でした。実は一度、大失敗をしています。看護師になって1年目、夜勤明けの朝の一番忙しい時間に、ある患者さんが狭心症と思われる胸の痛みを訴えました。先輩たちも忙しそうだったので確認できないまま、薬を間違った方法で投与してしまって。幸い患者さんの命に別状はありませんでしたが、担当医師からは「お前は患者を殺す気か」と怒鳴られました。

 

もう辞めようかとも思いました。でも私は、まだ看護の魅力すらわかっていない。今ここで逃げてしまったら、どの仕事からも逃げることになるのかもしれない。こんな私が看護師を続けていいのだろうか……と悩んでいたら、3年目の先輩に言われました。「続けていいかではなく、自分がやりたいかどうかでしょ」。その時自分の内側に、続けたいという気持ちが、わずかですが確かにそこにあることに気付き、続けることを選びました。

 

人間なので、誰にでも失敗はあります。自分が3年目になり、苦しんでいる後輩の話を聞いて一緒に考えている時などに、あの、どん底まで落ちた経験が生かされていると感じました。

カンボジアの子どもたちと、世界共通のジャンケンポン(本人提供)

純粋な信仰心に触れて

 その後、病院を退職してカンボジアへ行ったのは、学園時代に聖書を通して出会った「ともに生きる」という言葉に背中を押されたからです。

 

カンボジアのある村では、幼い子どものいる女性が結核にかかり、動けなくなっていました。病院へ一緒に行き、薬を処方してもらって帰宅。その後も薬を飲んでいるかどうかなどを聞きながら、フォローしていきました。すると、少しずつですがよくなって、最終的には自転車にも乗れるようになったのです。

 

彼女はキリスト教の信者ではありませんでしたが、子どもが教会の識字教室に来ていたため、一緒にお祈りをしていました。そして病気が良くなってきた頃、彼女は「私はイエスを信じます」と言いました。その信仰心は本当に純粋で、なんだか私はイエスが生きていた時代がそこに再現されたような感覚を覚えました。

 

貧しく小さくされた人たちと共にいるイエスに仕えていきたいと思い、帰国後、修道会に志願して入会しました。今は週に4日、修道会で学んだり働いたりしています。実は30歳を過ぎて、付き合っていた人との結婚を考えたこともありましたが、「より自分が自分らしくいられるのはどの道か」と考え、祈り、この道を選びました。

 

 人は、生まれた時からそれぞれの使命を与えられていて、それを探そうといろいろなことに挑戦します。でも実は、答えは自分の中にあって、ふとした時にそれに気付かされるように思います。私もまだ完全には気付いていないかもしれませんが、見つけるためには自分自身の感覚や思いを大切に。人と交わるだけではなく、時には孤独になって自分を見つめることも大事かもしれません。

石田 咲子(いしだ さきこ)

1981年生まれ。2001年自由学園最高学部卒業後、聖隷クリストファー大学看護短期大学部入学。04年に卒業し、看護師免許取得。同年聖隷三方原病院就職、救命救急センター勤務。09年、海外で働く準備のためイギリスへ語学留学。10年より4年間、JLMM(日本カトリック信徒宣教者会)よりカンボジアへ派遣。15年帰国。認定NPO法人山友会就職。無料診療所の看護師として勤務。16年援助マリア修道会に志願者として入会。山友会相談員として勤務。