人が活躍できる場をつくりたい

人が活躍できる場を
つくりたい

三塚 はるか
Haruka MITSUZUKA

インターネット・ビジネス・ジャパン株式会社 採用担当

女子部 80 回生

2019年5月30日談

インターネット・ビジネス・ジャパン社にて

「責任が人を作る」

 私は祖母と両親が自由学園の卒業生で、自分が3代目。生活の中にも当たり前のように自由学園が息づく環境のなか、幼児生活団から最高学部2年課程修了まで学園で学び、卒業後、フェリス女学院大学の3年次に編入しました。

 

就職は氷河期で、思うようにいかず大変な思いをしましたが、最終的に大手企業の人事と人材派遣業のベンチャーの2社から内定をいただきました。どちらにしようと迷ったときに父親から「責任が人を作る」という言葉をもらい、それならば若い頃から責任を持つチャンスが多い規模の小さい会社の方がいいだろう、とベンチャーのインターネット・ビジネス・ジャパン(IBJ)に就職しました。

さまざまな働き方を受け入れる土壌をつくりたい。

さまざまな働き方と挫折を知る

 最初は人材派遣事業に従事し、求職者の方と接する仕事をしていましたが、1年目の終わりから自社の新卒採用に携わるようになりました。1年目でも様々な提案ができたこと、また優秀な学生が入社し、活躍をしてくれたことで、仕事の面白さを感じると同時に自信にもなりました。

 

その後人材事業に戻り、顧客企業に常駐するクリエイターチームを作ることになりました。クリエイターはそれぞれスキル、得意分野、希望の働き方などに違いがありました。これをいかに組織にフィットさせ実績を出すか、チームリーダーとして試行錯誤の毎日でした。仕事の振り方やチームの組み方、声のかけ方ひとつで、雰囲気やアウトプットが変わることを知り、チームの可能性、面白さを学ぶことができました。この仕事でもやりがいや仕事の面白さを大いに感じたのですが、さらなる挑戦を求め、子会社の立ち上げに参加することになりました。

 

新会社は在宅ワーカーやフリーランスを支援する事業で、買い叩かれがちな彼らの実績や実力が適正に評価されるように努めました。新会社の形が見えてきたところで、第一子出産のために1年ほど育産休を取って復帰。ところが時短勤務となったため、短時間で成果を挙げることが課題となったことに加え、数字を厳しく求められる責任あるポジションで、どうしてもその負荷に耐えられず、3~4ヵ月でポジションを変えてもらうことになってしまいました。出産前までは、困難な仕事は時間をかけてなんとかするスタンスで働いてきてしまったので、結果を出すための最短ルートを見つけること、優先順位と効率を考えること、他人の力を借りることなどがうまくできなかったのです。これは自分の中で大きな挫折経験となりました。

 

しかしこれまでの仕事を通じ、正社員、派遣社員、フリーランスといったさまざまな働き方を身近に知り、自分自身も出産・育児を通じて働き方を変えてきたことで、人と組織の関係、人が働くことについてなど、様々なことを考えるようになりました。2018年から再び人事に戻り、グループ全体の新卒採用に携わっています。

家族や友人の支えで3人の子育てと仕事の両立が実現している。

出産後も働き続けるということ

 子育てをしながら仕事を続ける大変さは、経験してみて初めて知ることばかりでした。突然の熱に、長期間休まなければならない感染症、あっという間の退社時間。現在私は3人目の子どもを妊娠中ですが、家族や周囲の協力と職場の理解があって働き続けることができています。

 

私は入社してからずっと「自分が仕事を作っている」という感覚が面白かったので、どんなに大変でも、仕事を辞めるという選択肢はありませんでした。自分の仕事に誇りを持って働いている母の姿を見続けてきたことも、理由の一つかもしれません。夫も真剣に仕事に向き合う私を応援してくれました。家事も育児も同じ家庭の一員として、「2人でやるもの」という認識でいてくれることが大きな支えでもあります。

 

また、両親や親戚がそばに住んでいるので、何かあれば協力してもらえることや、近所に住む同級生と、子供の送迎などを協力しあえることが、どれだけ恵まれた環境であるか、日々痛感しています。こうした「家族・地域の協力」というのは、共働き世帯にとってはもちろんですが、これからの子育ての環境として大事な要素だと思います。

 

そして、職場の理解も重要です。会社として制度を整えることも大切ですが、大事なのは制度そのものよりも、一人ひとりに向き合って、その人がどうすれば活躍できるかを考えることではないでしょうか。企業が「働き方改革」で求められていることは、人によって置かれている環境は違うため、まずはその多様性を受け入れる土壌、考え方だと思います。

 

近年よく「女性が輝く社会に」と言われますが、女性がひとりで頑張って輝くのは無理な話だと感じています。家庭も仕事も、周囲の支え、連携があってこそ、自分らしい働き方ができるものです。

 

これからも人事や人材の仕事を通じ、女性に限らず、多様な働き方を許容できる社会を実現していきたいと思います。

三塚はるか(みつづか・はるか)

1982年生まれ。幼児生活団より自由学園で学び、2002年自由学園最高学部2年課程卒業後、フェリス女学院大学国際交流学部3年次に編入。2004年にインターネット・ビジネス・ジャパングループに入社。2012年、ホームワーカーズコミュニティ株式会社の立ち上げに関わる。その後2度の産休・育休を経て、2018年より再びインターネット・ビジネス・ジャパン株式会社に転籍。2019年8月に第3子出産予定。長男は自由学園幼児生活団幼稚園に在籍。