選手に最良の環境を用意することが使命

選手に最良の環境を
用意することが使命

宮本 拓巳
Takumi MIYAMOTO

柏レイソル 主務

男子部 57 回生

2019年11月29日談

三協フロンテア柏スタジアムの練習グランドにて

電話がつないだ奇跡

 柏レイソルで働き出して19年目になりました。元々ホペイロ(用具係)として6年、その後は主務(マネージャー)として働いています。

 

そもそも僕は自由学園在学中、サッカーしかやってこなかったため、将来に不安を持っていて、なんとかサッカークラブで働けないものかと思って、学部2年生の春に北から順番にサッカークラブに電話をかけていきました。そうしたらたまたま、とあるクラブでホペイロを探していると言われ、1週間お試しで行ったら、そのまま契約してもいいよ、という流れになったんです。しかし親を含めて周囲に反対されて、その時は諦めました。そのまま3年生では1年留年。なんとか4年生になった5月。周りが就職活動に励んでいる中、行きつけのスポーツ店から電話があって「柏レイソルがホペイロを探しているから行ってみたらどうか」と教えてもらいました。お店に何度も通って、以前に手伝ったクラブでの話などもしていたので、店員さんが覚えていてくれたんですね。

 

そして、その段階でレイソルで仕事をすることが決まりました。やっぱり周りの納得は得られなかったけれども、学校で授業を受けた後は仕事に行って、戻って卒論を書くという日々が始まりました。

ホペイロから主務へ。管理するものが物品から時間に変わった

自分の仕事は何かを考え続ける日々

 ホペイロの仕事は、選手やスタッフのウェア類から練習用具まで、すべての物品管理。試合のときには全員のウェアや靴をそろえて、終わったら洗って磨く。最初は仕事についていくのがやっとでしたが、そのうち選手が毎日使う用具を通じて、選手やスタッフの生活の仕組みを作る役割なんだと気づきました。選手がもっと練習に集中できるような環境を作るための工夫をする楽しさを見出したんです。ロッカーに入ってから試合場に出るまでの時間の質を高くするために、服の置き方もそれぞれの選手に合わせたり、自然に取ってもらえるような水の置き場所を考えたり。ユニフォームやパンツ、ストッキングなどをあらかじめ分けて置いておくことで、分別を意識しないでも洗濯物を出すことができるよう自分だけでなく選手の負担を減らす仕掛けを施したりして、選手がより競技に集中できる空間を作り上げる努力をしていきました。

 

2005年に、前任者が辞めたことで主務となり、それまでの物の管理から時間の管理が仕事になりました。年間を通した大まかなスケジュール管理だけでなく、それぞれの1日のタイムテーブルも組んでいます。合宿の準備では、飛行機やホテルの手配と食事の手配、市役所や県庁などとの折衝に至るまで、細かい管理が求められます。主務になって5年目に、ネルシーニョ現監督から「お前はもっとこのクラブがリスペクトされるような仕事をするべきだ」と皆の前で怒鳴られたことがありました。言われたことを自分の中で考え抜いたことで、クラブにとって何を最優先すべきかを考え直すきっかけとなり、「選手や監督にとって、このクラブで仕事をすることが日本で一番幸せだという環境を作ることによって、勝たなければならないという使命を彼らに果たしてもらうことになる。それはすなわち言い訳ができない環境をつくることだ」と軸が定まりました。

 

それからというもの、チームは立て続けに国内メジャータイトルを獲得。国際大会にも進出していきました。その中で常に先頭に立ってアジア諸国を飛び回り、チームにとってベストの選択を譲らずに交渉をしてきました。

「最近は英語の勉強が楽しくてたまらない」と語る宮本さん

欲しいものがあったら手を伸ばせ

 2011年に参加したFIFAクラブワールドカップや、2012年、13年に参加したAFCチャンピオンズリーグなどの国際大会では、各国のチームの代表者と英語でのやりとりが必要になりました。在学中は勉強が全然ダメだったのですが、英語学習の必要性を感じ、仕事の合間を縫ってスクーリングとオンラインでの学習を5年以上続けています。TOEICのスコアアップが最近趣味になりつつあるんですよ(笑)。英語を話す選手やスタッフとは意地でも通訳を介さず、自分の言葉でコミュニケーションを取るようにしています。英語でも自分の言葉に責任を持ちたいですね。

 

ネルシーニョ監督とは今年で通算8年間一緒に仕事をしていますが、いつも冗談を言って笑いながら厳しい要求をしていただいています。常に勝敗と隣り合わせで、想像以上に厳しい世界に生きています。それでも「欲しいものがあったら手を伸ばす」ことを続けてきたからこそ、20年近くもの間ここで働けているのだと思います。これからもずっと、このチームを支え続けていけたら本当に幸せです。

宮本 拓巳(みやもと たくみ)

1977年生まれ。初等部より自由学園で学び、2001年自由学園最高学部卒業。在学中の2000年より柏レイソルでアルバイトを行い、2005年まで用具係を務め、その後主務に就任。2019年のJ1復帰への環境づくりに貢献した。