「引き返す勇気」をいつも心に持って飛ぶ

「引き返す勇気」を
いつも心に持って飛ぶ

西﨑 圭
Kei NISHIZAKI

ジェットスター・ジャパン エアバスA320型機 機長

男子部 50 回生

2020年10月27日談

成田空港、自分が操縦するA320機の前で。(写真提供:ジェットスター)

常に学習し、引退するまで試験を受け続ける

 初めてお客様を乗せて飛んだのは、2001年8月です。最も小型のジェット旅客機で、副操縦士としてでした。みなさんが思い描くジェット機よりも小さいかもしれません。しかし、旅客機資格は、その大小にかかわらず審査基準は変わりません。むしろ小さな飛行機は、運航や気象環境の厳しい小さな空港に飛ぶので技術が必要です。大きな空港は誘導電波などの設備が整っている一方、ローカル空港は限られるため、当然パイロットの技術や知識が重要になります。

 

当時の勤務先には、ANAやJALの国際線を飛んでいたベテランの機長たちがいて、「この飛行機をちゃんと飛ばすことができれば、大型機でも世界中どこを飛んでも大丈夫だから、しっかり勉強しておけよ」と鍛えてもらいました。

 

旅客機の資格は機種別になっていて、例えば現在の乗務機種エアバスA320型機に乗るためには、同機の試験をパスする必要があります。航空会社の中で訓練を受け、最終的に国土交通省の審査官が「今日は西﨑さんの試験をします」とやって来ます。「操縦系統を説明して」「この部分が故障したらどうする?」と徹底的に質問された後、シミュレーターを操縦。ここでは、悪天候のなかエンジンが壊れたり機内の減圧が起こったり、約4時間トラブルが起こり続ける。普通のフライトでは滅多に起きないことばかりですが、こうした試験が年に3回ほど行われます。不合格ならば乗務停止。テクノロジーは進化していくので、常に勉強し試験をクリアする必要がある。学習し技術を維持することで事故を防ぐのです。

A320機のコックピット内で。(写真提供:ジェットスター)

「左席に座ると、足が震えることが必ずある」

 パイロットになるにはいくつかの方法がありますが、私は民間の訓練所で免許を取りました。まずは身体検査があり、無線、自家用免許、事業用免許を取得。その後、計器飛行などの資格を得て航空会社へ入り、訓練生を経て副操縦士となりました。

 

副操縦士が座るのは右席で、機長が座るのは左席。先輩方からは「左に座ると、足が震えることが必ずある」と言われていましたが、その本当の意味は、自分が右にいる時にはわかりませんでした。

 

機長としての初飛行は忘れられません。仙台→成田便でしたが、離陸後、右の計器で速度が足りないと表示されている。左の計器と予備の計器は正常に作動していたので、その計器がおかしいことはわかりました。とはいえ、対応を誤れば他の装置が誤作動するため難しい判断を迫られました。引き返したほうがよいのか、冬で気流が悪い中、どこに降りるのが一番安全かを考え、成田に行くことを決めました。対応に追われながらも無事着陸し、整備士に見てもらったところ、「コンピューターに記録がないので、次の便もこのままこの機材に乗ってください」と言う。これには「機体を預かれません」と答えました。断ることも、機長の役目です。

 

その時、足は震えませんでしたが、一年程経って、いつも以上に緊張を覚えるできごとがありました。副操縦士の操縦が安定せず、引き継いで着陸を一度やり直した後、本当にあれでよかったのかと思ったらすごく怖くなったのです。判断は間違っていなかった。しかし、もっと早く対応すべきだったのでは。油断していなかったか。機長としての重責を改めて感じました。自信がついていい気になっていた心に、ストップがかかったのだと思いました。

JAL機長だった卒業生、野副倫正さんの本を読んだことがきっかけでパイロットを目指した。

本質を見て判断するのが機長の役目

 一度だけ、規定値の範囲内の条件でしたが、降下前から絶対に着陸はしないと決め、引き返したことがあります。雪と暴風で前日も欠航していたので、地上ではなんとか規定値に入れようと懸命に除雪していました。彼らの思いもあるし、お客様にも誠意を尽くさないといけない。しかし、決して無理をしてはいけないのです。通常、規定値のみならず着陸を試みるなどしてその可否を総合的に判断しますが、この日だけは着陸しないと決めていた。「基準は満たすのになぜ降りようとしないのか」との思いに応えるため、一度滑走路が見えるところまで降下することにしました。しかし、機体は揺れ滑走路は判別できないほど真っ白。引き返して降機の時、お客さまに「安全に飛んでくれてありがとう」とのお言葉をいただき、地上スタッフからも「粘っていただき感謝します」と交信がありました。

 

すべて最後は機長の判断。その対応で本当にいいのか、数値やマニュアルばかりを見ていると判断を見失うことがあるので、総合的に見なくてはなりません。つまり本質を見きわめることが大事なのです。

 

だから、自由学園で学んだ考える力は、すごく生きています。高2の遠足で涸沢岳に登った時、天候は良好だったにもかかわらず、ガイドの方が「雪庇が見えるからやめよう」と判断され、途中で引き返したことがありました。後日、仲間の一人が「引き返す勇気」と習字に書いた。その言葉をいつも自分の心に持ちながら飛んでいます。

「この仕事をやっている以上、試験は常にある。一生勉強です」

西﨑 圭(にしざき けい)

1971年生まれ。幼児生活団より自由学園で学び、最高学部卒業後、飛行機の自家用操縦士、事業用操縦士資格を、国内飛行学校・JALフライトアカデミー、米国・カリフォルニア州ANA訓練センターにて取得。2000年にアイベックスエアラインズに入社。カナダ・モントリオールにてボンバルディアCRJ型機資格取得。副操縦士として12年間乗務した後、機長に。訓練課・各種教官歴任。副操縦士、機長養成に携わる。2018年にジェットスターへ。マレーシア・クアラルンプール、韓国・ソウルにてエアバスA320型機資格取得。国際線・国内線の機長ほか、副操縦士の昇格指導機長なども務める。