地域の牛たちの主治医として

地域の牛たちの
主治医として

酒井 彬江
Akie SAKAI

産業動物獣医師

女子部 82 回生

2019年8月8日談

牛の直腸に超音波プローブを入れ、手元の画面で妊娠鑑定。常に農家と二人三脚で診療する。

牛は身を削りながら乳を出す

 伊那は長野県内でも酪農家が多いところ。国道から一歩入れば町の近くにも牛舎がたくさんあるんですよ。そのほとんどが家族経営で1軒につき40~50頭、多い家では70頭の搾乳牛がいます。私は今、伊那市にある家畜医院に所属していますが、この地域の約1500頭を、院長と2人で分担して診療しています。

 

今日の往診は、牛の妊娠鑑定。牛は99%が人工授精か受精卵移植で妊娠し、妊娠期間は人間と同じ280日。超音波プローブ(探触子)を持った手を直腸に入れて子宮を映し、超音波画像で診断します。機械も使いますが、普段の診療に使う道具は聴診器と直腸検査用の手袋くらい。触れたり聴いたり嗅いだり、五感を頼りにする仕事です。

 

乳牛は大人になれば自然に乳が出ると思う人がいるようですが、子牛を産まなければ出ません。分娩後すぐ搾乳が始まり、1年たつと乳量が減ってくるのでまた分娩させる。1年1産が目標といわれます。自分が子どもを産んでわかったのですが、泌乳しながら妊娠し、さらに泌乳し続けるのはとても過酷。乳牛はそれができるんです。また、乳量が増えるように年々改良されていて、牛は身を削りながら乳を出してくれていると感じます。

 

分娩は基本的には農家だけで行いますが、難産や問題があった時は私たちが呼ばれます。産科だけでなく、獣医師は内科、外科、整形外科、眼科などすべてを担当しなければなりません。牛は高額なお金がからむ財産でもあるので責任は重大です。

 

人に保険制度があるように、牛にも保険があるんですよ。国と農家が掛け金を半分ずつ出し合う家畜共済に加入すれば、一定の額まで診療費は無料。牛が死亡した時や回復の見込みがなくて廃用処分にした場合も共済金が支払われます。私たちは診療が終わると診療点数表に従って診断書を作成します。書類作りは苦手ですが、それも大事な仕事です。

一人で車に乗り往診に出向く。車には診療の道具や薬が積みこまれている。

子どものころから獣医師になりたかった

 私は子どものころから動物が好きで、アフリカで野生動物の診療をしている神戸俊平さんに憧れ、自分も獣医師になりたいと思っていました。そのため、学部には行かないつもりで自由学園に入学。でも学園が大好きだったので、在学中は学園での学びをまっとうしたくて受験勉強は一切しませんでした。当然浪人しましたが、北海道の酪農学園大学に行くことが決まり、入学までの間、那須農場で1か月働かせてもらいました。そこでの牛との生活がとても楽しかったんです。

 

大学の授業では大動物も小動物もすべて学びましたが、5年生の時には迷うことなく大動物のゼミを選びました。実習で印象的だったのは、農家と獣医師の関係です。大学の先生も実習先の診療所の先生も、上から目線ではなく謙虚にアドバイスしていて、農家と同じ目標に向かって協力していく仕事なのだと感じました。卒業後は釧路の診療所に就職。10人もの獣医師がいる中で3年間経験を積みました。その後、結婚して青森へ行き家畜保健所で勤めましたが公務員は向いてなくて、やっぱり牛の臨床が好きだと実感しました。

 

獣医師というと、犬猫などの病院を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、私のような産業動物獣医師もいれば、保健所で食中毒の調査をする人、家畜保健衛生所で家畜の伝染病について担当する公務員獣医師もいる。実はさまざまな仕事があり、ペットの獣医師以外は各地で人が不足しているのが現実です。

昨日は熱があったけれど、今日は大丈夫かな?

「お母さん、また牛のこと考えてる」

 夫も獣医師で、北海道の野生動物保護施設で働いていましたが、故郷の長野に戻ってからは保健所で勤務しています。私は出産と子育てで5年ほど主婦になり、下の子が1歳になるのを待って2年前に復職。今の仕事は、夫の同級生が酪農をしている繋がりで紹介してもらいました。5年もブランクがあると忘れていることが多く、感覚を取り戻すのに必死です。

 

今は私の技術が未熟でも、農家さんが温かく見守ってくれるのを感じます。毎回「もっとできることがあったんじゃないか」と思うことの繰り返し。牛の病状によって気持ちの浮き沈みもあり、5歳と3歳の子どもからは「お母さん、また牛のこと考えてるでしょ」と言われる始末。よくないと思いながら、家庭に仕事を持ち込んでしまっています。

 

でも最近は子どもたちが、診療に使う道具の準備を喜んで手伝ってくれるようになりました。隣には夫の両親が住み、私の両親も千葉県から近所に移住してきたので、家族の協力体制は万全。自分たちの家も建てたので、もう逃げも隠れもできません(笑)。

 

今はその場の火消し的な診療ですが、これからは予防獣医療のアドバイスもできる獣医師になりたいと考えています。そのためにエサ、堆肥、牛舎環境など、さまざまな勉強をして知識を身につけたい。収益を目的とする産業動物は治療にも制約がありますが、地域の牛たちの主治医として心を尽くして働きたいと思っています。

家では夫と2人の子どもの4人家族。子育ての真っ最中。

酒井 彬江(さかい あきえ)

1983年千葉県生まれ。女子部高等科卒業後、酪農学園大学獣医学部で学び、北海道釧路地区NOSAI鶴居家畜診療所、青森県の家畜保健衛生所で勤務。2人の子どもの出産を経て、2017年に復職。伊那市のゴザワ家畜医院で地域の産業動物の診療に当たる。