夢をあきらめない

夢を
あきらめない

咲花 正弥
Masaya SAKIHANA

フィジカルトレーナー(Athletes PERFORMANCE)

男子部 54 回生

2017年6月30日談

ドイツ代表トレーナーとして参加した2010年ワールドカップで。

年間200日は出張

 アメリカ・アリゾナ州にある、プロアスリートにトレーニングを指導するアスリーツ・パフォーマンスという会社に所属し、14年前からフィジカルトレーナーとして働いています。選手やチームから求められれば、世界中どこにでも出向いてトレーニングをサポートするので、年間200日くらいは出張で家にいません。

 

スポーツの種類はサッカー、ゴルフ、テニス、アイスホッケーなど多岐にわたります。種類が多くて大変というイメージを持たれますが、私のトレーニングは、まず体全体の改善点を見つけ出し、運動の基盤となる体作りのサポートにかなりの時間を費やします。なので、最終的なゴールは競技ごとに違うフィジカルパフォーマンスを最大限に発揮することであっても、アスリートとして共通の土台部分を鍛えることを重要視しています。

 

選手と会うと、まず選手の体をスクリーニングし、それぞれの競技への肉体的な要求度も考慮しながら必要なトレーニングを組み立てます。今まで使えていなかった筋肉を鍛えたり、意識していなかった体の部分を刺激するトレーニングを重ねることで「痛みが減った」「パフォーマンスがよくなった」と選手から言われます。

 

以前からアメリカではこのトレーニングが非常に重視されていましたが、ここ10年くらいは世界的にもよさが認知されてきました。

2010年W杯ではドイツと日本、2チームの指導に携わった

夢をあきらめきれず転職

 フィジカルトレーナーになりたいと思ったきっかけは、高等科3年の時の1年間のアメリカ留学です。私は初等部から自由学園に在学していましたが、どこか閉そく感があり、外の世界を見たいと思って留学しました。

 

実際に向こうの公立高校でサッカー部に入ったら、部活なのにきちんとフィジカルトレーナーがついて、怪我をすれば手当だけでなくリハビリもしてくれる。トレーナー職に興味がわきました。

 

高校留学を経て、フィジカルトレーナーになりたいという夢は見えましたが、具体的にどうするかは考えておらず、どちらかというと消去法で学部に進学しました。進路についても考えあぐね、結局4年になってから就職活動を始めて日本の会社に就職しました。

 

海外営業部を希望しましたが、配属されたのは人事部。忙しかったので、社会人になってからはトレーナーの夢はなくなりかけていました。でも、1年半くらいたって「この先30年この会社で働き続けるのか?」と自分に問うた時、やっぱり夢をあきらめたくないと思い、そこから大学院留学の準備を始めました。

 

周囲からはずいぶん反対されましたが、入社から3年半で退職し留学。アメリカの大学院修了後は現地で就職活動をし、今の会社に入りました。

 

最初は無給のインターン。掃除や雑務をしながら、「この人に習ってみたい」と思うトレーナーに師事して技術を学びました。28歳でキャリアもほとんどない自分が、エリートに教えるための唯一の説得材料は、自分自身で完璧なデモンストレーションを見せること。そのためのトレーニングに力を入れました。走るフォームや、バランストレーニングは、1回でぴたっと見せることができれば選手の信頼感も違います。

 

ある時、急にベテラントレーナーから「この選手に指導してみろ」と言われたのですが、上手く指導できず、わかっているのと教えるのは全く別だと思い知らされました。基本は同じでも、スポーツの種類や相手によって伝え方は違う。そういうことを考えながら指導するようになりました。その後は徐々に若い選手を担当させてもらうようになり、4年経ったころようやく一流のアスリートの指導がゆるされました。

 

この仕事の喜びは、選手がどんなに小さな目標でもクリアできた時に一緒に喜べること。そうした日々の積み重ねが信頼関係を生み、それがまたよい結果につながります。

自由学園にて

あせらずに辛抱する

 2004年に所属会社が初めてサッカードイツ代表と契約。トレーナーが派遣されてうらやましく思っていましたが、2008年からは自分自身がドイツ代表トレーナーとして派遣され、2010年のワールドカップでは3位となってメダルを獲得できました。当時は日本代表の指導にも携わっていたので、南アフリカW杯は自分が指導した2チームが同時に出場するという珍しい経験もしました。

 

2011年からはサッカーアメリカ代表チームのトレーナーとして約6年勤め、2016年末に監督と共にチームを離れました。現在は海外のアイスホッケーチームや、ゴルフ選手のトレーナーとして、また国内のプロサッカーチームのコンサルタントとして働いています。

 

サッカーの世界ではある程度結果も出してきたので、独立してその世界で仕事をする選択肢もあるのですが、あせらず与えられている仕事をやりながら、先のことを考えていこうと思っています。

 

いまだに、変化が激しいプロスポーツの世界の中でどう生きぬいていけるか、コツはわかりません。ただ、辛抱することはどの環境でも大切だと思います。学園での学部進学も、日本での就職も、ある意味消去法で選んだ道でした。でも、企業で働いた経験は、その後のさまざまな場面で非常に役立っています。その時は大きな意味が見出せなくても、辛抱してやってみることで、その先に待つ大きな舞台の準備ができたのかもしれません。

咲花 正弥(さきはな まさや)

1974年生まれ。自由学園最高学部を卒業後、オリンパス(株)に就職。3年半の会社員経験を経て、2003年米国 ニューヨーク州のイサカカレッジ大学院で運動生理学の修士課程修了。同年から米国アリゾナ州に本部を置くアスリーツ・パフォーマンスでスタッフとして勤務。サッカードイツ代表、サッカー日本代表、サッカーアメリカ代表のフィジカルコーチを歴任。NFL、MLB、NHLやプロ野球選手等、多岐にわたるアスリートのフィジカルコンディショニングをサポートしている。米国アリゾナ州フェニックス在住。