夢を描ける場所をつくり続けたい

夢を描ける場所を
つくり続けたい

竹川 陽一
Youichi TAKEKAWA

美瑛の丘のおもちゃ屋さん 店主
放課後デイサービス「にじのうた」主宰

男子部 48 回生

2019年10月11日談

自由学園記念講堂にて。

父が拓いた美瑛の丘で

 北海道美瑛に移住して10年、ここで地域の人たちとさまざまなことをしてきました。この写真はみんなで建てたツリーハウスです。窓の向こうは落差100mもある崖で、そこにせり出すウッドデッキを、子どもたちが「まるで空に続く駅みたいだね」と言ったので、古いベンチを置いて駅のようにしました。「クリスマスにはサンタのソリが着くかもしれないよ」と言ったりしています。子どもの想像の世界を広げることが大事だと思っているんです。

 

僕が最初に就職したのは、東京吉祥寺にある輸入玩具店でした。自由学園で木工の係をしていたときドイツ製の木のおもちゃに出会い、こんなステキな物を子どもに届けたいと思ったことがきっかけです。

 

その後、家族旅行で出かけた屋久島で、母がダイビングの事故で亡くなってしまいます。父は突然、美瑛に移住して美術館を開くと言いました。ところが建築を依頼した人に騙され、大金を失った。それでもあきらめず2年がかりで自分の手で美術館を建てるのです。その父も、完成後1年半ほどで肺を病み亡くなりました。僕の手には、父の夢見たフィールドと大きな建物が残りました。

 

当時、自由学園初等部の教員をしていた妻(竹川純子さん女子部68回生)と、自分たちにとって最高の子育てとは何なのかを何度も話し合いました。そして「たった一度の子育てを、美瑛という豊かな自然の中で丁寧にしたい」という気持ちで移住を決断しました。

「森のお遊び会」で建てたツリーハウス。前列右端が竹川さん夫妻。(本人提供)

地域の子どもたちと麦からパンを作る

 2010年、4年の準備期間を経て美瑛へ。僕たち夫婦の仕事や生き方は「子ども」という部分で重なります。子育てもそうですが、地域の子どもたちに自分たちの受けてきた教育をシェアしたいという思いも一致していました。そこで、僕はおもちゃ屋を開きながら、妻は美瑛町の小学校の教員をしながら、月に一度子どもたちを集めて「森のお遊び会」をスタートさせたのです。

 

集まった子どもたちと話してみると、美瑛に住んでいるのに土地の作物のことを案外知りません。「あれは麦だよ」と言うと「へー」。「麦がどうやってパンになるか知ってる?」と聞くと「わかんない」。それなら、種から麦を育ててパンまで作ってみようと考えました。

 

僕らのノウハウはゼロですが、わからなければ声を上げればいい。不安は微塵もありませんでした。「子どもたちと麦畑を作りたい。誰か一緒にやりませんか」と声をかけると、近くの農家さんが「その夢、一緒に叶えたい」とユンボを持ってきて廃材をよけ、場所を作ってくれました。

 

大喜びで子どもたちと石を取り除き雑草を取っていたら、今度はその人が種もみを持って来てくれました。本気度が伝わると町の人は熱く応援してくれます。春に種を蒔いて育て、秋に収穫、そして脱穀。その様子を見て近くの農家さんが、風で籾殻を吹き飛ばす「唐箕」をくださいました。子どもたちにとっては博物館級の道具です。最後に石臼で挽いて粉にし、パンを作って食べました。

 

生前父は、男子部1回生の竹下晃朗さんに石臼や石窯を作ってもらい、パンを習っていました。道具は全てその時のものです。僕らの移住を知った竹下さんは、「今度は君たちが学びなさい」と再び教えに来てくれました。これらすべてが繋がり、人の輪によって麦からパンが焼き上がりました。自分で育てた麦、自分で作ったパン。「今までで一番おいしい!」と笑う子どもたちの輝く瞳が心に焼きついています。

冬の庭で愛犬とくつろぐ。(本人提供)

発達障害の子どもたちと共に

 パン作りの他にも、身近な草で草木染をしたり、ツリーハウスを建てたり、太陽光パネルで発電するなどさまざまな体験を重ねてきました。全て子どもの「やってみたい」や「なぜ?」から始まり、キャッチボールしながら発展したことです。

 

集まって来る子どもたちの中には発達障害の子が大勢いました。そのことを知った時、次の形が見えた気がしました。「発達に課題のある子どもと親を応援する場所をつくろう」。大きな挑戦でしたが2019年春、放課後等児童デイサービスを立ち上げました。毎日放課後に5~10名の小学生を預かり、一人ひとりの課題に応じた活動をします。

 

ここでは自然が先生です。とはいえ、一人ひとりにわかるように噛み砕いて伝えるセンスが必要です。そこに男子部や女子部で受けて来た教育が生きていることを、僕も妻も実感しかけています。平日は発達障害の子たちが来ますが、土曜日はみんなが一緒に遊べるようにし、森のお遊び会を同じように続けています。

 

子どもが夢を描いた時、自分一人の力ではなくそれを持っている人と協力すれば、素晴らしいものを作り上げることができる。自分自身が学生時代に、先生や友と喧々諤々やってきたことを子どもたちに伝えたいのです。 「常にこの場所が未完成で、新しく来た子が夢を描ける場所にしたい」。僕たちはいつまでも道の途中です。

学生時代に出合い、人生を大きく変えたドイツ製のおもちゃ。

竹川 陽一(たけかわ よういち)

1969年生まれ。自由学園男子最高学部卒業後、株式会社アトリエ ニキティキに入社。2010年に北海道美瑛町に移住し、「美瑛の丘のおもちゃ屋さん」をオープン。2019年には放課後等児童デイサービス「にじのうた」を併設する。