発明の本質を発見し、知的財産権を守る

発明の本質を発見し、
知的財産権を守る

田辺 恵
Kei TANABE

弁理士 日本弁理士会副会長

女子部 75 回生

2018年11月12日談

日本弁理士会の応接室にて。

知的財産権を扱う弁理士の仕事とは

 弁理士という仕事をご存知の方はどれだけいらっしゃるでしょうか。なかなか日常で関わる機会は多くない職業と思いますが、知的財産権の専門家であり、発明品の特許を取得したり、商標としてブランドを保護することが最大の業務です。

 

例えば、特許出願は、自分の技術を概念化して、書類として国に提出する手続です。登録から1年半が経過するとその技術は公開されますが、代わりに独占権が得られます。登録されない限りは、誰が同じ技術を使っても問題になりませんが、登録してあれば真似をされた時に「特許侵害」であるとして、自分の権益を保護することができます。また、国としては技術を文献として蓄積できることから、技術資料としても大事な側面をもっています。

 

世界で初めての特許は中世のイタリア・ベネツィアで生まれた、発明者に対する権利保護システムです。その後、1623年にイギリスで制定された専売条例により、独占権や損害賠償請求等を規定した、現在の特許制度の基本的な考え方が確立されました。日本では、1871年の専売略規則、それを改めた専売特許条例が1875年に施行され、現在の特許法の礎となっています。

 

特許は「知的財産権」と呼ばれるものの一部です。知的財産には、著作権(著作物保護)、意匠権(工業デザイン保護)、商標権(トレードマーク・ブランド保護)等、さまざまな種類があり、弁理士はこれらの知的財産権を保護するために欠かせない存在です。自由学園も以前、「自由学園」という名称の使用に関して商標侵害の裁判を行い、「自由学園」の名称の著名性が争点になりました。最終的に勝訴となりましたが、知的財産権は非常に扱いが難しい権利であり、専門知識を持つ弁理士の資格試験も狭き門と言われています。

弁理士の仕事は聞き取りから始まる。

仕事の基本は「ヨクミル ヨクキク ヨクスル」

 私はもともと、父親が弁理士で事務所を開設していました。子供の頃はとくに弁理士を目指していたわけでもなく、南沢の生活団から最高学部までの17年間を自由学園で過ごしました。勉強が嫌いではなかったこともあり、近所の成蹊大学に進学。2年生のときに所属ゼミを選ぶ際、第3希望に「知的財産権法ゼミ」と書いたら、実は唯一の希望者で、あれよあれよという間に同ゼミに所属することになりました。知的財産権法の研究者であった紋谷暢男教授から、大学院修了までマンツーマンでの指導を受けていたのですが、4年生のときに先生から「弁理士試験を受けてみたら」と声をかけられました。実家が弁理士事務所であったこともあり、なんとなく受けてみる気になったのです。先生のおかげで、すでに知的財産権の勉強をみっちりしていたため、修士課程の1年次に試験に合格。当時、丸の内にあった特許法律事務所でのパートタイマーを経て、卒業後は別の特許法律事務所に就職。そんな流れだったため、私は「弁理士になろう」と決心したというよりは、「弁理士という仕事が向こうからやってきた」という、非常に受け身な就職だったんですね(笑)。

 

弁理士は日々、様々な書類の作成をしています。私は感想文を書くのは苦手でしたが、主観を入れないで済むレポートの類は好きだったので、そういう点でも相性がよかったのでしょう。

 

弁理士に求められる最大の能力は、ヒアリング能力と出力能力です。まだ世に出ていないものを発明者から説明を受け、それを理解した上で書類にする必要があるため、しっかり内容を把握しなければなりません。形状から機構・機能までを決まったスタイルで一つひとつ、穴がないように定義をするのは、非常に緻密で時間のかかる作業です。しかも、発明者には、町工場の職人のおじさんなど口ベタな人も多くいるので、聞き取りが大変なんです。そういう技術を持った人たちは、自分の発明が特許に値するものと気づいていないこともあるので、まずはその発明がとてもいいアイデアなんだということに気づいてもらうことから始めます。発明の本質的な部分を理解するには、自由学園で学んだ「ヨクミル ヨクキク ヨクスル」は非常に大切なことでした。

理系男性が多いのですが、女性も働きやすい業界です。

専門家を作らない教育が、専門家の素地を作る

 振り返ってみれば、自由学園の教育は弁理士の仕事を行う上で非常に役に立っていると感じています。自由学園は専門家を作らない教育をしていますが、それこそが専門家の素地を作る教育となっているように思います。例えば、電気回路や豚舎の構造に至るまで、すべてではなくとも「なんとなく知っている」ことが多いので、どのような発明に対してもフラットに構えていられる。国際会議に出席すると、音楽や芸術に造詣の深い方ともお会いしますが、学校で「メサイア」を歌った経験などを通じて対等に話ができるのはすごいことですよね。

 

また、弁理士は理系の男性が9割という特殊な世界ですが、女性としては実に働きやすい業界だと思います。

 

法律に関わる士業はいろいろありますが、弁理士の仕事は依頼人が皆、ホクホクした顔で帰っていくのが見られる楽しい仕事です。今は弁理士会の副会長として知的財産権に関わる法律改正の議論などにも参加していますが、150年の歴史を持つ知的財産権法を通して、過去を記録し、未来を形作る制度の担い手として、今後も力を尽くしていきたいと思います。

田辺恵(たなべ・けい)

1976年生まれ。幼児生活団から自由学園で学び、1996年自由学園女子最高学部卒業後、成蹊大学に進学。2000年、弁理士資格を取得。修士課程を終え、都内の特許事務所で特許・商標等の業務を行う傍ら、東京理科大学の2部において電気工学を学ぶ。2005年より実家が営む田辺・小野国際特許事務所に戻り、現在に至る。2018年、日本弁理士会副会長に就任。