神に捧げる伝統芸能 「能」の世界

神に捧げる伝統芸能
「能」の世界

佃 良太郎
Yoshitaro TSUKUDA

能楽師 囃子方 高安流大鼓方

2000年 男子部高等科修了

2020年3月25日談

掛け声を発し大鼓を打つ

囃子方の要は「掛け声」にあり

 能楽というのは、日本の伝統芸能の一つで、能と狂言に分類されます。能楽師は、「シテ方」「ワキ方」「囃子方 はやしかた」「狂言方」の4つに分類されます。「シテ方」は物語の主人公として「うたい」や「まい」を担当し、また地謡じうたいといって物語の進行を6人から8人で謡い勤めます。「ワキ方」は旅の僧や神官などシテ方の相手役を務めます。そして私が務める「囃子方」は四拍子しびょうしとも呼ばれ、「笛方ふえかた」「小鼓方こつづみかた」「大鼓方おおつづみかた」「太鼓方たいこかた」に分かれます。ひな祭りに出てくる「五人囃子」は囃子方ですが、「謡」を含めています。これは「四人しにん囃子」では縁起が悪いということで、本来は囃子方でない謡を含めているんですね。狂言などを担当する「狂言方」を含め、それぞれに流派がいくつかあり、私はその中の「高安流大鼓方」です。

 

笛方を除く囃子方は、「ヤ声」「ハ声」といった掛け声を謡の内容に合わせて発し、鼓を打っています。この掛け声こそが重要で、「間」を取ることでテンポをほかの人に知らせる役目を持っています。それだけでなく、どのような人物がどのように登場するかといった登場音楽も、「ヨォホォ」という掛け声の張りや抑え(高低)やシッカリかカカルか(速さ)だけで表現しているため、囃子方における掛け声の重要性は8割を占めるといってもいいほどです。メロディーは笛方が担当していると思われがちですが、実際には鼓方の掛け声も音色の役目を担い、反対に笛方がリズムを刻むこともあるのです。世界的にみても、これだけ掛け声を多用して、楽曲を成立させているのは能だけではないでしょうか。

 

能の原型は鎌倉時代に生まれ、約700年間途絶えることなく現在まで受け継がれています。新作能と呼ばれるものもありますが、基本的には古典の約200曲が現存する演目です。それぞれの演目は40分~2時間程度の長さで、1時間半程度の作品が多くあります。掛け声をしっかり出すためには、これら200曲それぞれの謡の言葉を覚えることが欠かせません。

東京新宿にある稽古場で

舞台で楽しいと感じたことは1度しかない

 多くの能楽師は幼少の頃から厳しい稽古を積んできていますが、実は私が稽古を始めたのは小学校4年生の時。双子の弟と一緒に父から稽古をつけてもらったのですが、最初の稽古では父が大きな声で掛け声を出すのがおかしくて笑い転げてしまい、こっぴどく叱られました。父からは「初めはつまらないと思うかもしれない。本当に良いものは続けてみなければわからない」と言われたことを今でも覚えています。中学の頃は稽古嫌いでしょっちゅう逃げ回っていました。父親からこの道を進むよう強制はされませんでしたが、高校2年生の終わりに進路を聞かれたとき、弟は別の道を選択しましたが、私は続けてみようと思い、日本で唯一専攻科を持っている東京藝術大学に進学することにしました。

 

当時の邦楽科能楽専攻は4学年合わせて15~16人ほど。最初に教わったのが、後に人間国宝になられた柿原崇志先生で、非常に厳しい方でしたが、大鼓を打つ姿勢や掛け声の気迫に感銘を受け、本格的に能楽師として生きることを考えるようになりました。当時は父親を見てもそう思わなかったのですが、年を取ってみると、やはり父親の掛け声が一番しっくりくると思うようになりました。

 

大学2年生の頃に初舞台を経験しましたが、現在に至るまで、舞台を「楽しい」と感じたことは実はほとんどありません。一度だけ、水の上を飛び跳ねる舞でそのリズムに掛け声の調子が乗れた時は楽しいと感じましたが、それくらいですね。囃子方というのは舞台でも目立つところに座るわけですが、背景と同化しなければなりません。手と口以外は極力動かさないようにする。常に半眼で、目立たないようにいるというのは大変難しいことなんです。とくに掛け声などで「登場人物の気持ち」を表現するとわざとらしくなってしまうため、シテ方の邪魔をしないように、無意識に滲み出るもので伝えられるよう努めています。

鼓の組み立ても自らの手で。かなりの力が必要となる。

能楽は神事。その魅力は想像の余地があること

 使われる言葉も独特で、私たちは「楽器」と呼ばずに「お道具」と呼んでいます。鼓も「叩く」ではなく「打つ」と言いますし、「踊る」ではなく「舞う」と言います。「舞」の語源は「回る」から来ており、極力背を向けることをしません。これは神様に対して捧げるものだからです。実際、自分のことを音楽家だと思ったことはありませんし、お客様に対して見せている意識もほとんどありません。すべては神様に向けてのものという意識なので、感覚としては神事として取り組みを奉納するお相撲さんに近いのかもしれません。

 

能の舞台は、自由学園の礼拝の空間と似ています。余分なものは何もない。余計なものをそぎ落として表現することで、見ている人に多くの想像の余地を残している。無表情の代名詞となっている「能面」も、表情がないからこそどのようにも取れる。ひたすらにシンプルな面や舞台から、いかようにも想像できることが能の魅力にほかなりません。

 

伝統芸能には後継者問題があります。自分の息子にもすでに稽古をつけていますが、少しでも多くの方に能楽に興味を持っていただけるよう、今後も積極的に活動していきたいと思っています。

2019年4月の能舞台『天鼓てんこ』より(写真提供:前島吉裕)

佃 良太郎(つくだ よしたろう)

1981年生まれ。幼児生活団より自由学園で学ぶ。2000年に男子部高等科を修了後、東京藝術大学音楽学部 邦楽科能楽囃子専攻に進学。父・佃良勝、人間国宝 柿原崇志、人間国宝 故安福建雄に師事。高安流大鼓方として1997年に「三輪サシクセ」で初舞台。今までに大曲 猩々乱 石橋 道成寺 翁を披(ひら)く。(公社)能楽協会東京支部会員。