ポジティブ精神が切り拓いた道

ポジティブ精神が
切り拓いた道

浅野 友介
Yusuke ASANO

株式会社人間力ラボ 人材研修トレーナー

男子部 47 回生

2018年12月1日談

自由学園しののめ茶寮にて

自由学園でのリーダー経験が活きた

 私は卒業後、25年という時間をTOTO株式会社の社員として過ごしてきました。学生当時はバブル崩壊前で就職難とは縁の遠い時代。TOTOをはじめ、SONYやTBS、住友スリーエムといった錚々たる企業を受けましたが、最も早く内定をもらえたTOTOに就職することに決めたため、あっという間に就職活動が終わった記憶があります。

 

TOTOでは、最初の新人研修を終えた後、名古屋支社の営業部に配属となりました。当時はがむしゃらに働き、1日の睡眠時間が3時間ということもザラでした。お客様の下へ、何十回と足を運んで粘り強く関係づくりをすることで、営業成績もトップを取ることができました。

 

そんな私の転機となったのが、4年目に研修部に転属となったことでした。研修部というのは、社内の研修を受け持つ部署なのですが、社内的な評判はあまり高くない部署でした。そこに私を引っ張った上司は、私が新人研修を受けていた時の姿が目立って印象的だったため、「研修担当に向いている」と感じたそうです。新人研修では、ワークショップや発表を行う機会がありましたが、自由学園でさまざまな行事のリーダー等を経験していた私が、苦もなく場を取り仕切り、発表を行っていたことが印象に残ったのでしょう。とはいえ、たかだか26歳の若造が、40代の社員を相手に課長研修を行うのは大変なことでもありました。もう少し若手向けの「ナンバー2研修」も30代の社員がほとんどで、皆、私よりも年上です。

 

しかし、ここでも自由学園で上級生等との関係で培ったコミュニケーション能力が発揮され、しっかりと研修を実施できたことが、今の仕事を行うベースになったと感じています。

製造現場改善研修会での研修風景(2018年╱本人提供)

独立して目指すは「人間力を鍛える研修」

 研修センターでの仕事は4年。その後、東京支社の営業部で3年、広告宣伝部で3年と働き、その後のリフォーム事業部では11年に亘って仕事をしていました。四半世紀という長い時間、会社に勤めてきましたが、だんだんとこのまま成り行きの人生でいいのかと自問する時間が増えてきたことから、退職することを決めました。

 

とりあえずは無職の状態で、失業手当をもらいながらしばらく生活し、次の仕事を探していました。私より先に辞めた上司や先輩など、私が自分のメンターと思っている方々が11人いるのですが、そのひとりが経営する会社を受けようとした際、「君は自分でビジネスを立ち上げる方が合っている」という助言を受け、起業することにしました。

 

では何をやるか。自分の持っているスキルの資産価値を考えたとき、一番大きなものが研修ビジネスでした。研修にはさまざまな種類がありますが、私が重視するのは「人間力を鍛える研修」です。人間力とは「心技体のバランス」です。たとえば運送業の中では、ドライバーの技量を競う全国大会があります。そこで入賞した人が、その後あおり運転で捕まってしまうというケースもありました。技術があっても「人間力」が伴わなければ意味がありません。そういう意味で人間力を鍛える研修というのは、これまでの世の中にないものでした。そこで、前職の経験を活かし、人手不足が課題となっている運送業と建設業をメインターゲットとした研修ビジネスを立ち上げ、とくに心と体を鍛えることにしたのです。

 

私が行う「人間力を鍛える研修」とは、すなわち「先人たちの知恵に学ぶ」ということです。具体的な事例を参考に、自分の頭で考え、良いものを取り入れ、真似をすることで自分自身の成長に役立ててもらう。その手助けを行えるよう、心がけています。

人の縁を大切にしていきたい

困難を支えてくれたのは人の縁だった

 もちろん、最初は本当に大変でした。4ヵ月ほどの間で横浜の運送・建設業関連企業約5,000社を飛び込み訪問しましたが、8割は門前払い。残りの2割も、話を聞いてもらっただけでビジネスにはつながりませんでした。貯金もどんどん削られていよいよ食うに困るぞ、というときに、例の11人のうちの1人から、名古屋で研修をしてほしいとの依頼があり、その人のつながりから芋づる式に研修の仕事が入ってきたのです。

 

そして面白いことに、先が見えて、なんとか借金の返済もできそうだという話を例の11人のうちの1人にしたところ、「人を雇った方がいいんじゃないか」と言われて、その方の娘さんを紹介されました(笑)。いわゆる面接受けしないタイプだったのですが、実際に雇ってみたら能力は素晴らしい。企業の面接がいかにいい人材を見落としているか、と思いましたね。そして、その話を聞いた別の人からもお願いされて、その方の娘さんも雇うことになりました。巡り巡って恩返しができたというべきでしょうか。

 

今思えば、11人の方との縁は非常に大きなものでした。この人たちは皆、後輩を育てようとしてくれる「教えたがり屋」で、自分がポジティブに物事に取り組んでいたことを評価して可愛がってもらえたことが、結果として困難なときに大きな支えとなりました。非常に狭い人の縁ですが、そのつながりを作るのも、やはり「人間力」がモノを言うのではないでしょうか。

浅野 友介(あさの ゆうすけ)

1968年生まれ。1991年自由学園最高学部卒業後、TOTO株式会社に入社。名古屋支社での営業部を経て、研修部、東京支社営業部、広告宣伝部、リフォーム部を経験。2016年3月に退社し、2016年6月に独立。2019年4月、株式会社人間力ラボに社名を変更。