第13回 老猿年賀挨拶 /前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第13回 老猿年賀挨拶 /前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第13回 老猿年賀挨拶 

2016年1月1日

猿猴狙蜂図monkey_looking_at_wasp (プライスコレクション)

森狙仙
「猿猴狙蜂図」
The Price
Collection

明けましておめでとうございます。

こんな戯れ句を年賀状に書きました。
「老猿が跳んで胡蝶の夢を追う  平成丙申七十二歳」
還暦からまた一回りです。

『荘子』斉物論。荘子が胡蝶となった夢を見、目覚めた後で、自分が蝶となったのか、蝶が自分になったのかを疑ったという話も踏まえたつもりです。
又、「偽狙仙」として、猿が蝶を追う下手な絵を書き添えました。
森狙仙は、江戸時代後期の画家です。
猿をはじめ動物の絵を得意としました。
ロサンゼルスの心遠館には、狙仙作の「蜂を狙った猿」を描いた淡彩の墨画がありますが、この蜂を、蝶に変えてみたのです。
何とも、ふざけたものですが、老猿が、もう一度夢を追ってみたいという思いを新春に託したつもりです。

貞享元年(1684)、富士川のほとりにさしかかった松尾芭蕉は、3歳くらいの幼児が、捨てられているのを見ます。
芭蕉は、明日をも知れぬ命を前に、天を仰ぎ次の句を残しています。(「野ざらし紀行」)

猿を聞く人 捨て子に秋の 風いかに

この句は、中国の詩人杜甫の「猿ヲ聴キテ実ニ三声ノ涙ヲ下ス」という詩を踏まえたものです。
猿の鳴き声は、詩人たちによって、悲痛な叫びであると云い伝えられてきました。
猿の鳴き声は悲哀であるという、固定概念が文学的形象によって生まれたのです。

猿の声を聞く人とは、風雅を愛する人のことです。詩人です。
詩人は、猿の声を聞いて、涙を流すというけれども、今現実に、この川の畔で命を落とそうとしている子どもをどのように感じるのだろうかというのです。
文学的形象によって作為された詩人の嘆きは、現実を前にして有効か、否か。
芭蕉は詩人たちに問うているのです。勿論それは、詩人である自分自身にもっとも鋭く向けられている言葉でもあります。

貞享元年は、信州の安曇野での貞享一揆でも知られるように、飢餓に覆われた年でありました。
道行く旅人の前に、多くの子どもが捨てられていたと云います。
現代社会においても、子供の貧困問題は、地球上に広がっています。
日本でもその問題は大きく顕在化しています。

私たちの教育理想は、「猿を聞く人」の嘆きになっていないだろうか。
教育、ことに、いのちの教育を目指す学園の理想が求めているものは何か。
今年は、もう一度直視しなければならない節目の年です。
老猿も、理想と現実の間を跳躍します。
理想を追うことを、夢に終わらせてはならないと思います。
教育が、ヒューマンを追うものであることを肝に銘じていくつもりです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2016年(平成28年)元日
渡辺憲司 (自由学園最高学部長)

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