第35回 久ノ浜復興/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第35回 久ノ浜復興/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第35回 久ノ浜復興

2016年6月28日

日立市十王の市民講座で、西鶴を講義した後、受講生から、伊勢志摩サミットに饗された日本酒をもらった。常陸笠間800年の歴史が詰まった酒だそうだ。
瓶のふたをとると、香気がはらわたに吸いこまれそうな気がした。
今にも降りだしそうなどんよりした空だ。
常磐線、四倉を過ぎ、トンネルを越えると海が見えた。

久ノ浜。
2011年3月、この地は、地震の後の津波、そして火災。町の火の手は海の上に運ばれ、その火が町に舞い戻って町を嘗め尽くした。
さらに、福島原発から30キロのこの地は、放射能被害にも襲われた。高級魚で栄えた港の時間も止まった。
惨憺たる震災直後の光景は忘れることができない。上野から3時間、一人でも、妻とも、校長時代は高校生とも何度か来た。

2013年3月11日、海に向かってたくさんの花束が投げ込まれていた。波に膝までつかり、幼子と泣き叫んでいた若いお母さんの後ろ姿。
年老いた漁師が、花供養の海に背を向けていた。パンくずをかもめにやりながら、「放射能で、空き巣ばっかり来る・・」とつぶやいた一言も忘れられない。

2016年6月24日、駅を降りると、大きな看板が飛び込んできた。「エコタウン 舘の山 歩き始めよう新しい「ふるさと」へ 平成26年6月分譲予定」とある。支所もガラス張りのモダンな防災交流センターに生まれ変わっている。
海岸線には、高い突堤が築かれ、松の苗木が植えられている。よく見渡せた海は見えないが、数年後には松林がこの浜によみがえるのである。

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復興のシンボルとされ、奇跡的に残った稲荷の鳥居は赤く塗り替えられていた。
震災直後、この神社には、「頑張ろう日本」の旗が、はためき、次に来た時には、「ここに故郷あり」とあった。その旗が神社の前に放置されていた。スローガンに変わってシャベルカーがある。
再生の故郷の足音だ。

宿から、波浪注意報が出た海が見える。震災前の同じ名前のこの宿は、海岸近くの木造建築の料亭風の宿であった。今はホテルにかわっている。近郊都市にあるような独身者用集合住宅だ。清潔で小さな部屋だが必要なものがそろっている。電気もエコ、お手洗いも自分が動くと電気がつく。

ここは、除染などの長期滞在の作業員の宿舎になっているようだ。
玄関には夕食注文のリストがあった。すべて会社名である。食事の呼び出しも会社名である。労働に個人の名前が消えていく。下請けの又下請けの会社が除染作業を担っている。

おそらく、日本の労働作業の中で、最も急がれ最重要な労働は、原発放射能の除染作業である。
このようなホテル住まいは恵まれているほうだそうだ。コンテナを三部屋に仕切り、風呂もなく、共同便所。そんな宿舎が数百も並んでいると聞く。
誰もがこの作業の必要を認めているはずだ。しかしその労働条件は過酷すぎる。
今年5月17日の朝日新聞は、久ノ浜、末続地区の建設会社の敷地の土中から16日夜、成人男性の遺体が見つかり、建設会社社長ら従業員ら6人が、死体遺棄の疑いで逮捕されたと報じ、遺体は、「昨年秋から行方不明の40代除染作業員とみて確認を進めている。」と記している。
末続の浜は、映画「釣りバカ日誌」の撮影場所。砂浜の続く遠浅の明るい海ではカレイがよく釣れた。

雨がクレーン車の向こうの海を激しくたたいている。冥い海だ。
サミットの酒はうまい酒だったが、眠れなかった。

2016年6月28日 渡辺憲司 (自由学園最高学部長)

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