最高学部の始業式。新入生一人ひとりに「JIYU」のバッジを手渡しました。これから2年間、4年間、私たち人間に、私たち一人ひとりに与えられている「自由」の意味とその使い方をじっくり考え行動してほしいと思います。
式では「これまで学園長と兼務していた学部長にこれからは専心。全ての力をここに集中できることは本当にうれしいこと」と喜びを伝えると、学生たちは温かい拍手を持って歓迎してくれました。
「スピード化する現代社会において、効率的に無駄なくすぐに役立つ専門知識を得ることが求められがちですが、情報に溢れる社会だからこそ、『いかに生きるか』とじっくり自分の心と頭と体を使って問う時間を過ごしてほしいとしいと思います。これこそが学生の特権です。今この世界をどう見るかという世界観・社会観、その背景の歴史を捉える歴史観、そして地球環境という自然をどう見るかという自然観を養い、真に価値あるものを見極める力を鍛え、生きる指針となる人間観、人生観、未来観を探求していってほしいと願います。」
始業式ではこのように伝え、これから最高学部での学びを始める1年生に向けて、J.S.ミルの古典的名著『大学教育について』から、以下の言葉を抜粋し紹介しました。
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大学は職業教育の場ではありません。・・・大学から学び取るべきものは専門的知識そのものではなく、その正しい利用法を指示し、専門分野の技術的知識に光を当てて正しい方向に導く一般教養の光明をもたらす類のものです。
・・・大学で学ぶべきことは知識の体系化についてです。つまり、個々に独立している部分的な知識間の関係と、それらと全体との関係を考察し、それまでいろいろなところで得た知識の領域に属する部分的な見解をつなぎ合わせ、いわば知識の全領域の地図を作り上げることです。
・・・勉学の究極的な目的、それは自分自身を「善」と「悪」との間で絶え間なく繰り返されている激しい戦闘に従事する有能な戦士に鍛え上げ、人間性と人間社会が変化する過程で生じて解決を迫る日々新たな問題に対処し得る能力を高めることであります。
・・・次の世代が遂行すべき使命を担っている大事業のほとんど全ては諸君たちの誰かが成し遂げなければなりません。
・・・(このような学びには報酬はありません。)ただ一つの報酬は・・・、「諸君が人生に対してますます深く、ますます多種多様な興味を感じるようになる」ということであります。それは、人生を十倍も価値あるものにし、しかも生涯を終えるまで持ち続けることができる価値です。
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ミルは、どんな専門分野の技術的知識を身につけるにせよ、その土台としてそれらを正しく導く一般教養general cultureが必要であると述べます。これは人間教育を目指す自由学園最高学部の立場に通じるものです。羽仁もと子先生は「自由学園の大学」という文章で、次のように述べています。
・・・これまでの学校は、ほとんど職業と教育とを混同していた。しかも人の生命の育成よりも職業のほうが重くなっていた。
・・・好きなことばかりやろうとするのは、その人一代ばかりでなく、後々までもその部分の能力が劣るだけでなく、全体に弱い生命をつくることになる。
・・・その人の長所という一部分のものよりも、なお大切なのは全体である、その人のもつ生命そのものである。
・・・今の職業教育専門教育の反対は、純粋に人間を人間として見る教育である。
・・・どうか私たちは長くかかっても何でもほんとうのものが欲しい。
・・・一口に人間教育といっているところの、人の生命をすべての害物から保護し、強くし豊かにする大切な力は色々ある。 決して一色ではない。そのさまざまの養分を吸収するのは被教育者のみずから教育する力である。その吸収力が活発であるばかりでなく、また簡単にあれが好きこれがきらいときめてしまうのでなく、必要として与えられるものを、本気に一生懸命に取り入れて、はなればなれでなく、綜合的な血液として自己を養ってゆくうちに、自然に争われないその生命の特長が目立ってくる。大学上級の専門教育は、このようにして人びとの個性の上に立てられてゆく。
私自身も志新たに共に学び続けたいと思います。
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文・写真:高橋 和也(最高学部長)