第32回 『中国四千年の智恵』解説/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第32回 『中国四千年の智恵』解説/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第32回 『中国四千年の智恵』解説

2016年5月30日

鉄筆文庫から野口定男先生(1917-1979)の『中国四千年の智恵 故事ことわざの語源202』が、5月26日に刊行され、その解説を書かせていただいた。以前にも、『菜根譚 世俗の価値を超えて』(同文庫 2015年)で解説を書かせてもらったことがある。
野口先生は、私の学生時代の恩師である。先生は中国文学、殊に『史記』研究によってよく知られている。又、長く立教大学野球部の部長をつとめられ、学生野球界にも貢献された。
かって、私が、野球部の部長をつとめたのも、先生への思いがあったからである。

以下は、その解説の一部。

「匹夫も志を奪うべからず」
本書の中で最も短い引用である。
「匹夫とは、一人のおとこ、または、いやしいおとこ。ここの匹夫はその両方をあわせたものだろう。大軍で守備している大将を捕虜にすることはできても、匹夫の精神を奪いとることはできないの意。」と述べた後で、先生はきっぱりと云う。
「きわめて簡単な表現であるが、人間の心の尊厳がよく示されている。」と。
「匹夫の勇」で使われている「匹夫」は、卑しい男の意味である。そもそも、匹夫に、「一人の男」といった、肯定的とも思える解釈を施した例は、ほとんど無いようだ。
匹夫は男一匹とも言い換え出来よう。
新渡戸稲造は、「自警録」の中で、「男一匹」の項を第一に立てている。「男子は須(すべか)らく強かるべし、しかし強がるべからず。外弱きがごとくして内強かるべし。負けて退く人を弱しと思ふなよ智恵の力の強き故なり」と。
戦中・戦後の混乱の中で、先生は個人の尊厳を強く思い、敗戦によってもたらされた悲劇の中で、魂の行方を探していたに違いない。
     *
「その眼鏡の奥には、世の中を冷静に見つめる視線がある。
本書の初版刊行は、昭和48年。戦後はまだ30年を経過していない。
戦争の記憶は、先生の中で鮮明であった。戦争の犠牲者は「万骨」である。多くの庶民が戦争の犠牲になった。戦後一部の指導者は、あたかもその時の記憶を追いやるように横行したのである。
     *
先生を誰もが人情味のある先生であったと懐古する。もちろん、司馬遷について講義しながら涙し、退学せざるを得ない学生に手を差し伸べた先生は情愛の人であった。
「小汚い店に行くか」(これは先生の口癖)そんな先生の言葉に何度か誘われた。
池袋の路地の奥。「飲めケンジ・・。教師はくそまじめ、貧乏じゃなくちゃいかん。」と、盃を上げた時の先生の言葉の意味がこの本を読んでようやくわかったような気がした。
当時、定時制の教員と大学院生の二足の草鞋を履いていた私に先生が語ったのは、<教育は、理想を失うな>ということだったのだ。「匹夫の志」の高さを語っていたのだ。
先生はいつも同じ背広を着ていた。いつもゆっくり歩いていた。
先生の名が、立教大学の「野口定男記念奨学金」にその名を刻していることも最後に付記しておきたい。
先生は情によって貧乏学生を愛していたのではない。教育の義によって愛していたのだ。
本書「中国四千年の智恵」で先生が語りかけているのは、大陸の長い歴史が培った「義」である。

私は70歳を越えた。先生の亡くなった歳をはるかに越えた。しかし、今、目交に浮かぶのは私の青春を包む先生のめがねの奥底の光である。
「初心を忘れるな」 先生の声が聞こえる。

2016年5月30日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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