第45回 惜別<浅草 アリゾナキッチン>/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第45回 惜別<浅草 アリゾナキッチン>/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第45回 惜別<浅草 アリゾナキッチン>

2016年9月28日

「正午浅草 アリゾナに飯す。」(荷風日記)
浅草の新仲見世の路地にあった洋食屋が来月には店を閉じるそうだ。
店の名は<アリゾナキッチン>
永井荷風が最後まで愛した名店である。

荷風が亡くなったのは、昭和34年4月3日。
3月1日、荷風は、日記に「日曜日。雨。正午浅草。病魔殆歩行困難となる。驚いて自動車を雇ひ乗りて家にかへる。」と記している。
この日の荷風を送ったのは、<アリゾナキッチン>。
「正午浅草」には、荷風の浅草への執着がにじむ。

荷風は最後まで、浅草の人であった。
この年の1月1日から3月1日まで、まる60日間も「正午浅草」と書き、そして、決まりきったように「正午浅草 アリゾナに飯す。」と記した。

<アリゾナキッチン>の御主人松本さんは、30年ほどの付き合いだ。松本さんは、私が立教大学へ赴任して直ぐに部長となった水上スキー部の後援会長だった。
松本さんは、浅草第一の粋人。
90歳を越えて現役をつとめた浅草のゆう子姐さんと一緒の席だった。松本さんのことが話題になった。
「十五代目よ。羽左衛門よ。あの方は本当の色男よ。」
もちろん私は、羽左衛門を知らないが、伝説的美男であることは知っている。

荷風が、好きだったのは、「チキンレバークレオーレ」だったそうだ。
鶏のレバーを玉ねぎと一緒にトマトソースで煮込んだものだ。荷風はこの味に若き日に訪れたフランスを思っていたに違いない。
フランスでの荷風の足跡をたどった一文を書いた折に、<アリゾナキッチン>で、「この路地は何だか、パリの下町みたいな感じがするよね。」などと、知ったかぶりの気障なことを云ったら、松本さんに「アリゾナはアメリカだよ」と云われ、一緒に大笑いしたことも思い出す。

私が好きだったのは、小股の切れ上がった江戸美人の奥さんのおすすめのカキのフライ。
「もうそろそろ行かなきゃね」などと、女房と話していた矢先の閉店であった。

暑かった夏が急ぎ足で過ぎ、秋が来た。
「こほろぎや古本つみしまくらもと」
昭和18年。もっとも嫌いなのは軍人だよと公言してはばからなかったと云う荷風の句である。

荷風の香りや、浅草の匂いや、アリゾナキッチンの風が遠のき、強く直立する力が道をふさぐ、そんな気がしてならない。
今週の日曜日、世話になった水上スキー部の後輩達が、松本先輩が寝るまで、宴を繰り広げるそうだ。

2016年9月28日 渡辺憲司 (自由学園最高学部長)

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