第47回 金木犀と野呂邦暢/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第47回 金木犀と野呂邦暢/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第47回 金木犀と野呂邦暢

2016年10月5日

金木犀(キンモクセイ)が体操会を待たずに散ってしまった。
今年は開花が例年より早かったのだから致し方ないのだがちょっとさびしい気がした。

学園には、大きな金木犀が4本ほどある。
正門から入った男子部側。事務室の前。裏門から入ったリビングアカデミーの前。そして最も大きいのが、女子部の奥にある。

今日の事務室前の金木犀 10月5日

9月30日撮影

同じ木 9月30日撮影

 

 

 

 

 

金木犀で思い出すのは、野呂邦暢(のろくにのぶ)だ。
20代半ばこの作家に夢中になった。雑誌『文学界』を毎月買っていたのもこの頃だ。
大学卒業前後、結婚前後、就職前後。ベトナム戦争、川端康成ノーベル賞、大学紛争、三島由紀夫自殺。こんなことが眼奥に交差する。

野呂が「草のつるぎ」で芥川賞を取ったのは、1974年下半期。
4度の候補作を経ての受賞。野呂は私より10歳ほど年上だった。

「草のつるぎ」は、彼が受験に失敗して、自衛隊に入隊した経験を書いたものだ。

その当時(私は函館の高校生だった)、貧乏な高校生は、北洋漁業の船団に二月ほど乗って受験料と入学金を稼ぎ、大学入試に失敗したら自衛隊に一年入るなどと計画を立てていたものだ。実際にそうした優秀な仲間もいた。

野呂の作品で一押しは、「白桃」(この作品も芥川賞候補作)。
父からの言いつけで、闇米を売りに行った幼い兄弟の話。闇のブローカーの情婦が出した白桃を拒絶する兄、手を出し叱られる弟。
ブローカーに騙されての帰り道、花の匂いがして兄弟は、防火用水桶のかげに父から預かった米の袋を置き、月明かりの中で木犀の在り処を尋ねる。

***

「がっかりしたな。皆ぼくたちを見てたぜ、まあ何だな、出された桃は食べなかったしさ」
二人は道ばたに腰をおろした。弟は鼻をうごめかせ、いい匂いがする、とつぶやいた。
「木犀だよ、秋になると今頃匂うそうだ」
「おまえ、その木を見たのか」
「見ない」
「さがしてみよう」
通りはすでに明かりを消した家が多く、木犀の匂いは暗い路地の奥から歌うように流れてきた。

***

木犀を探し当てた兄弟が、元の防火水槽のところに帰ると米が見当たらない。兄が悲鳴を上げる。弟は家に帰ろうとうながす。

***

「帰ろう」
弟は兄をうながした。結局こうなるよりほかはなかったのだ。
弟は木犀がふたたび闇の奥で搏動をうつように強く匂うのを感じた。
月の光が木犀の匂いのために冷たく凝結したようにではなく、さざなみだった水のように見える。
兄がふるえながらつぶやいた。
「まっすぐ帰ればよかっただが」

***

「歌うように匂う」木犀。木犀の匂いのために「さざなみだった水のように見える」月の光。
こんな描写が兄弟の思いと重なりながら、戦後すぐの世界をえがいた作品である。

野呂は、1980年、42歳で急死したが、長崎をテーマにした長編を執筆中であったそうだ。
長崎での<原爆体験>をモチーフにした「藁と火」も忘れられない作品だ。
これほどすさまじい、迫真の描写を読んだことはなかった。諫早湾の干拓にも先頭にたって反対していた。
「鳥たちの河口」は、環境文学の傑作だ。

今年の夏、長崎本線で諫早を通った時、湧き上がるように野呂邦暢を思い出し、そして、金木犀が学園で匂った時に又思い出した。
明日は、台風が来る。黄色い木犀の絨毯は跡形もなく消えてしまうに違いない。

2016年10月5日 渡辺憲司 (自由学園最高学部長)

カテゴリー

月別アーカイブ