第118回 成人式を迎える諸君に「泣かすな嗤うな」/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第118回 成人式を迎える諸君に「泣かすな嗤うな」/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第118回 成人式を迎える諸君に「泣かすな嗤うな」

2019年1月14日

「わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。」
(「コリントの信徒への手紙1・13章11節」

 

これまで通り泣きたい時に泣け
これまで通り笑いたい時に笑え

だが今日からは
泣かしてはいけない
嗤ってはいけない

臆病者でもいい
優柔不断でもいい
頑張らなくてもいい
背伸びしなくてもいい

しかし、泣かしても、嗤ってもいけない。
自分の生きる権利を守ることは
他者の生きる権利を守ることだ

守られた人間から守る人間になれ
寛容と忍耐を力に
おおきなおおきな大人になるのだ

 

何も変わるわけではない。
幼な子の時に泣いた気持ちを忘れてはならない。純粋な気持ちを持ち続けて泣くべき時に思いっきり泣いて欲しい。思い通りにならなかったり、人の悲しみを見たり感じたり、怒りを覚える時に、正しく泣き続けてほしい。これからも変わらずにやさしい泣き虫であれ。 変ってはいけない。
嬉しい時には、腹の底から笑うのだ。友と一緒に、愛する人と一緒に笑うのだ。大きな喜びにも、もちろん小さな喜びにも、満面の笑みを浮かべて笑うのだ。跳ね上がり鼓動する清らかな少女のように笑い転げるがいい。
しかし。だが、今日と云う日から、君らは刻印がされる。大人だと。
だから、どんなことがあっても、攻撃的に人を泣かしてはいけない。相手を絶対泣かしてはいけない。やんちゃな喧嘩も。取っ組み合いも。もう遠い過去だ。逆立った神経が君のこぶしを震わせようと。共に泣いても泣かしてはいけない。
だから。嗤ってはいけない。嘲笑してはいけない。相手がいかに君が考える礼儀と異なった考え方をもっていようとも、たとえ相手が罪を犯した人でも嗤ってはいけない。いかなる人に接しても嗤ってはいけない。
人権は自分が有していると同じに他者も有しているのだ。相手の痛みを共有することは出来ない。いかに愛していようとも、どんなに小さな擦り傷でも共有することは出来ない。
相手の抱えた大きな悲しみのひとかけらでも、自分は持つことが出来ないのだ。
互いの人権は分かち合えないから守るのだ。自分を守るように他者を守るのだ。自分の国を愛することは他国を愛することだ。無抵抗が偉大な勇気であることを忘れるな。
君たちは、家によって、学校によって、またある時は少年と呼ばれ守られてきたのだ。大人になるとは、保護者からの離別だ。君が保護者なのだ。これからは、周りの人たちが悲しみの波に飲み込まれそうになったら、その防波堤になるのだ。
寛容と云う言葉は、大人だけに使うことの許された言葉だ。忍耐とは、寛容を生み出す階段だ。一歩一歩進め、忍耐の階段を。そしてさらなる高みに大きな寛容が生まれる。寛容こそ愛の出発点だ。成人からの出発の源泉だ。

「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。 愛はいつまでも絶えることがない」(コリントの信徒への手紙1・13章4-8)

【追記 】
新成人の諸君から、明日館の成人式で挨拶を求められましたが、風邪をひき熱が引かず、欠席しました。申し訳なく一文を認めました。似顔絵は、南伸坊さんに新聞掲載用に書いていただいたものです。
夜の巷で千鳥足の私を見かけたら、声をかけてください。安くてうまい立ち飲み屋を紹介します。

 

2019年1月12日記す 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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