【学部長ブログ】自由学園北京生活学校、99歳の卒業生来校/学部長ブログ - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

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【学部長ブログ】自由学園北京生活学校、99歳の卒業生来校

2024年6月4日

戦時下の北京で自由学園の教育を受けた99歳の劉鳳祥Liú fēng xiángさんが来校。中高の共学化による第1回の記念すべき入学式にご家族と共にご列席くださいました。
「自由学園北京生活学校」は、1938年、日本の軍政下にあった中国の北京で15歳から18歳の少女を対象に羽仁夫妻によって開校された学校で、終戦を迎えた1945年まで続けられました。
当時日本政府は北京での民心掌握活動を進めており、多くの日本の民間団体が戦時協力に応じ、日本人による学校もいくつも作られています。
自由学園北京生活学校は開校にあたり軍部から校名に「自由」がついていることが認められず、交渉を経て「黙認」という形での出発となったエピソードがあります。ここでも「教育に自由は不可欠」という姿勢が貫かれていることに感銘を受けます。

 

 


開校に寄せて、羽仁もと子先生は婦人之友に「悲しいのは、これまでの日本は、世界の舞台に何を以って働きかけたか。まず戦争でした。次には商売でした。それで名高くなればなるほど、世界は日本を恐れても憎んでも、心から親しくしたいという気にはならないはずです」と書きました。
また「中国の人でも日本の人でもどこの人でも、人類としてのおとう様は一人、ただ一人の神様です。私たちはその子ども、同じおとう様の子どもたち、みな兄弟姉妹です 」と、愛のもとに共に学ぶ志を明らかにしています。
学校設立の要因の一つに、1932年、ニースでの教育者の集まりに参加したもと子先生が、中国の教育者から日本の中国侵略に対する非難を受けた経験があるように思います。
若い自由学園女子部の卒業生を指導者として送り出し、起居を共にし、生活技術、日本語、美術工芸など、生活即教育の学びを実践しました。吉一先生も8度にわたって北京を訪れ、直接その教育に当たっています。
今から11年前、北京で行われた開校75周年の記念会でお会いした劉さんは、「私たちは愛の教育を受けた。若い先生たちは生涯を捧げて、私たちの教育にあたってくださった。愛に基づく教育は永遠に続く」とお話くださいました。
今回も北京生活学校校歌「太陽は一つ」を歌い、ご自身が受けた「羽仁先生の教育」「若い指導者の献身」に対する感謝の想いを熱心にお話しくださいました。戦時下の中国での活動の評価には難しさがありますが、私にとってこの劉さんの証言は大きな意味を持つものです。
劉さんは戦中に日本人の学校で」学んだことにより、戦後様々なご苦労をなさっていることと思います。文化大革命のときには下方も経験されています。その劉さんが80年以上前に受けた教育を「愛の教育」と語り続けてくださることに、今回も感謝と共に深い感銘を受けました。
生活学校で工芸に親しんだ劉さんは、刺繍作品を100枚、自由学園100周年へのお祝いとしてお届けくださいました。毎日少しずつ作ってきたとのことです。

 

 

 

劉さん、ありがとうございました。来年は100歳の劉さんをお訪ねしたいと思います。お元気でお過ごしください。

4月28日・Facebook

 

文・写真:高橋 和也(自由学園最高学部長)

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