今日10月5日は高村智恵子の命日「レモン忌」です。1938年10月5日、東京南品川の精神病院「ゼームス坂病院」で光太郎に看取られ息を引き取ります。52歳でした。

智恵子の作品は雑誌『青鞜』創刊号の表紙絵や晩年の切り絵作品しか知りませんでしたが、今年度、学生たちが光太郎・智恵子の研究に取り組んでいることから、私も共にニ人について学ぶ機会になっています。
智恵子と光太郎が運命的とも言える出会いにより同棲を始めるのが1914年。1931年、精神に明らかな異変が現れ、翌年自殺未遂。1935年に「ゼームス坂病院」に入院します。
先日行われた研究進捗報告会では、封建的な家制度から脱して芸術家としての共同生活を始めた二人が、なぜ智恵子の死という悲劇的な結末に至ったのか、それぞれが残した資料からまとめた内容が報告されました。今後はここから羽仁夫妻との比較検討に進みますが、学生たちがどんな結論を引き出すのか楽しみです。

レモン哀歌 高村光太郎
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう