国立国会図書館の壁に刻まれた「真理がわれらを自由にする」という言葉をテーマとした演劇『聴衆0の講演会』を観ました。敗戦から80年を迎える今年にふさわしく、人間の尊厳や言論の自由の尊さを深く訴える作品でした。劇団民藝の嶽本あゆ美さんが書き下ろし、演出も手がけています。羽仁五郎が重要な役割を担う舞台ということで、嶽本さんが自由学園図書館に知らせてくださり、この作品を知りました。

主人公は、初代国立国会図書館副館長・中井正一。その中井をこの任に抜擢したのが、当時参議院図書館委員長だった羽仁五郎です。
羽仁五郎は旧姓を森五郎といい、羽仁吉一・もと子夫妻の長女・説子と結婚して羽仁姓となりました。歴史学者・思想家として多くの著作を残し、『自伝的戦後史』『教育の論理』などには、国会図書館の成立過程や自由学園の教育についても詳しく記されています。

物語は、中井と彼を支える母・妻との愛情深いつながりを縦糸に、戦後、中井が力を注いだ民主的・文化的運動と、その周囲の人々の交流を横糸に進行していきます。
中井と羽仁は、どちらも戦中に特高や憲兵に追われ、治安維持法によって検挙された経験を持ちます。中井は転向を余儀なくされ、羽仁は獄中で拷問も受け、留置場で敗戦を迎え、10月4日の治安維持法廃止によりようやく釈放されます。
戦後、羽仁は第1回参議院選挙に当選し、言論の自由と人間の尊厳を奪われた経験を踏まえ、参議院図書館委員長として国立国会図書館の設立に奔走します。『聴衆0の講演会』のパンフレットには、羽仁五郎の次の言葉が紹介されていました。
「わが国民の悲惨の現状は、従来の日本の政治が真理にもとづかないで、虚偽に立脚していたからである。・・・人民主権によって選挙せられた国会の任務を果たしていくためには、立法の基礎となる調査機関を完備しなければならない。」
国会図書館のデジタルサイトで1948年に成立した「法律第八十四号 国会図書館法」の原文を確認すると、第1条には次のように記されていました。

「國会図書館は、内外の図書記録の類を蒐集保存し、議員の調査研究に資するところとする。
國会図書館は、別に定める規定に従い、一般にこれを利用させることができる。」
言論の自由を守り、戦前・戦中のような国家による思想統制や言論弾圧、情報の独占や隠蔽を繰り返させないために、政治に関わるすべての文書を、国民の代表である国会議員に公開すること―。それが国立国会図書館設立の第一の目的でした。
1948年に起草された「国会図書館法」に、羽仁五郎は次の前文を加えました。
「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」
舞台で「国会図書館法」が成立し、「真理がわれらを自由にする」という言葉が国立国会図書館の壁に刻まれる場面はとても感動的でした。この「真理がわれらを自由にする」という言葉について、羽仁五郎は『自伝的戦後史(下)』の中で次のように記しています。
「これは聖書の言葉だが、あるいは聖書よりももっと古い、ヘブライ時代の言葉だろう。ぼくがヨーロッパで勉強していた頃に、チュービンゲンだったか、大学図書館の玄関の上のところに “Wahrheit macht man frei(真理は人を自由にする)” という言葉が刻んであった。この言葉はいまでも国立国会図書館の受付の上に、金森館長が筆で書いた日本語と原典のギリシャ語とで刻みつけられている。」
ここで羽仁が語る “Wahrheit macht man frei(真理がわれらを自由にする)” は、真理を求める人間自身の決意の言葉です。自ら考え、行動し、真理に近づこうとする主体的な人間の意思が込められています。
一方で、聖書の “Die Wahrheit wird euch frei machen(真理はあなたたちを自由にする)” は、イエス・キリストが語った言葉であり、神を信じる者に与えられる救いの宣言です。ここでは人間が真理をつかむのではなく、真理、すなわち神の愛によって人間が罪から解き放たれる、信仰と恩寵に根ざした自由です。
これら二つの言葉は、立場は異なりますが、ともに「人間が真理によって自由になる」という一点で響き合っています。
羽仁の言葉は、市民社会の主体としての自由を、聖書の言葉は神の愛による内面的な自由を語ります。いずれも、権力や虚偽に支配されない人間の自由、人間の尊厳を尊重する思想の表現と言えます。戦後の混乱の中で、羽仁五郎がこの言葉を国会図書館の理念に刻んだことは、信仰と理性、個人と社会、過去と未来をつなぐ試みだったのかもしれません。
戦後中井は市民が協働する集団の力による民主化を目指しました。舞台では中井の志を継いでゆく若者や女性たちに光が当てられていました。しかしGHQと日本政府は占領開始直後の民主化への方向を、はやくも1950年前後に転換し、保守化に向かう方向へと舵を切ります。戦後日本の教育の方向転換もここから始まります。

「逆コース」と呼ばれるこの逆風の中で民主主義を守る砦として国会図書館は設立され、その矢面に立ったのが中井正一や羽仁五郎でした。

中井は副館長就任後も保守勢力からの妨害行為に悩まされ続け、激務から体調を崩し、1952年5月に志半ばで病死します。52歳という若さでした。羽仁五郎は「短い間ではあったが、中井君は副館長として、国立国会図書館の中にすぐれた伝統をきずいた」とこの死を悼んでいます。

舞台終了後には、脚本を書いた嶽本さんと戦後文化運動の研究者竹内栄美子さんによるアフタートークがありました。「生きることを選ぶ」と語り転向した中井が戦後民主主義を担っていったことが温かさをもって語られていたことが印象的でした。
「真理がわれらを自由にする。」
この言葉は、情報にあふれる今を生きる私たち一人ひとりに、「何を信じ、どのように真理を求めるのか」を問いかけ続けています。