
(「婦人之友」大正5年5月号より)
自由学園のテニス仲間のSNSを眺めていると、中高大をともに自由学園で過ごした同級生の宇佐川厚君が、先日の「第20回東京都ベテランテニス団体戦」で優勝したといううれしい投稿が目に入りました。
この大会は東京都テニス協会加盟団体の選手が参加でき、「ベテラン」は55歳以上が対象とのこと。在学当時から宇佐川君は抜群の腕前でしたが、私自身、60代半ばとなり体力維持の難しさを実感する今、なお現役でプレーを続け、しかも結果を残している姿に、あらためてそのすごさを感じました。
さらにベテラン大会について調べていると、4月に行われた「第62回DUNLOP東京オープンテニス選手権大会65+」の準優勝選手が、なんとやはり自由学園で学んだ同世代で、熱心にテニスに取り組んでいた女子部の卒業生藤井澄佳さんでした。こちらもまた、長く競技を続け、第一線で活躍されていることに深い敬意を覚えました。
そんなSNS上のやり取りの中で、さらに目を引かれたのが自由学園卒業生でテニススクールを主宰する藤井正之さんと樫村亮さんの会話でした。話題に上がっていたのは「大東建託オープン」でした。
藤井さんは、
「カッシー優勝!嬉しい決勝対決でした。これがさらにグレードの高い大会で繰り返される時を求めて、皆様、引き続き応援よろしくお願いします!」
と投稿。
それに対し樫村さんは、
「ありがとうございます。まだまだ駆け出しですが応援よろしくお願いいたします。」
と応じていました。
藤井さんは宇佐川君や私と同世代。今から40年以上前、自由学園最高学部1年生の時に、後に錦織圭選手も所属することになるニック・ボロテリー・テニスアカデミー(現在のIMGアカデミー)へ、日本人として初めて留学した開拓者です。現在は「Fテニス」を主宰し、ジュニア育成に力を注がれています。
一方、樫村さんは20歳ほど年下の世代。自由学園時代に熱心にテニスに取り組み、Fテニスでコーチ経験を積んだ後に独立し、「H.Y.Sテニスアカデミー」を立ち上げました。近年は所属選手が全英・全米・全豪ジュニアでベスト8、ベスト16という見事な成績を残しています。
同級生たちの活躍に続き、共にスクールを経営する藤井さんと樫村さんが「決勝で対決した」というその言葉に私はとてもわくわくし、藤井さんのサーブ姿まで想像してしまいました。
ところが「大東建託オープン」を調べてみると、その大会はなんと女子テニスの国際大会。私の想像は全くの妄想だったことがわかりました。決勝で対決したのはお2人自身ではなく、所属選手同士。Fテニスの辻岡史帆選手と、H.Y.Sテニスアカデミーの沢代榎音選手でした。
「大東建託オープン」の主催はSquare Plus。このSquare Plusは、杉山愛さんをはじめ、世界で活躍した元トッププロたちが設立した組織とのことです。日本女子テニス界の底上げと、次世代育成を目指して活動しているそうです。
Tennis.jpには「17歳の沢代榎音がITF大会初優勝!」とのタイトルのもと、以下の記事がありました。
「一般社団法人Square Plusが主催する、女子テニス国際大会『大東建託オープン supported by Square Plus』富山大会 week1(ITF World Tennis Tour W15)は、2026年5月17日(日)に最終日を迎えた。
2人ともに初優勝がかかった決勝は、終始沢代榎音(H.Y.S)が安定したストロークで主導権を握る展開となった。第2セットでは、辻岡史帆(Fテニス)も健闘し、長いラリーを繰り広げ、ウイナーをとる場面もあったが、精神的にもテニス面でも淡々とやるべきことをし続けた沢代が勝利。ストレートで自身初のITFタイトルを獲得した。
優勝した沢代は、『この大会にはワイルドカード選手権から出場し、ずっと優勝したいと思っていた大会でした。今回優勝することができてとてもうれしいです』と喜びのコメント。」
若手選手をグランドスラムへ導く大会の決勝で、藤井さんと樫村さんが育てた選手同士が対戦したその喜びを、遅ればせながら私も共有させていただきました。
あらためまして沢代選手、辻岡選手、そして藤井さん、樫村さんに心から拍手をお送りします。これからこんなシーンが、さらにグレードの高い大会で繰り返されることを願っています。
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さてあまり知られていないことですが、藤井さん、樫村さんの取り組みに通じる、テニスをめぐる自由学園創立者羽仁吉一先生に関するエピソードを書き留めておきたいと思います。
羽仁夫妻とテニスの縁は実はとても古く、自由学園創立以前、夫妻が目白の婦人之友社に隣接した土地に運動場とテニスコートを設けたことにまでさかのぼります。羽仁夫妻は読者を迎えての運動会の構想を温めていたようですが、長女・羽仁説子さんによれば、羽仁夫妻が親しい友人安部磯雄さんから、「身体の弱い説子さんの健康のためにテニスコートを」と勧められたことがコートづくりのきっかけだったそうです。今からちょうど110年前、1916年のことです。
運動場とテニスコートが完成すると、早速婦人之友5月号誌上で、「運動場の公開」記事が掲載され、雑誌「新少女」の読者を対象とする「大運動会」の開催が告知されています。この運動会プログラムにテニスが入っており、翌6月号にははかま姿でラケットを握る少女たちの写真が掲載されています。
そして「父(吉一先生)はもちろん、運動神経のない母(もと子先生)まで加わり」、テニスは羽仁家の、そして婦人之友社の社員の日常の一部となっていきました。安部磯雄さんの長男・民雄さんは後にデビスカップ選手として活躍しますが、中学生だった民雄さんが腕を磨いたのもこのコートだったといいます。吉一先生は「世界的選手を生んだ名誉あるテニスコート」と語っています。
このテニスコートには、次第に多くの愛好家が集まるようになります。芸術家たちの「ポプラ倶楽部」や早稲田大学の学生を交えた対抗戦も行われ、婦人之友社チームには、腕を上げていた説子さんや民雄さんに加え、当時友社で働いていた竹久夢二さんも参加したとのこと。そしてこの頃、婦人之友読者向けのテニス教室も開かれたそうです。
こうした活動にとりわけ熱心だったのが羽仁吉一先生で、その熱中ぶりは相当なもので、「試合や練習での熱中はさておき、仕事場が朝からテニスの話で沸き・・・時に編集部は近隣のテニス党の寄合い場の観」を呈して、仕事に迷惑と感じる社員もいたようです。
その後、自由学園が開校するとこの地に講堂が建てられ、テニスコートは姿を消しました。しかし説子さんは、このテニスコートで若い人の成長にふれることを通じ、「父と母に、後に自由学園を始めるきっかけが用意されていたのかもしれません」と記しています。
吉一先生、もと子先生の、若い人を育てようとする思いは、長い時を隔てて、いまテニスコートに立つ藤井さん、樫村さんの姿にも、どこか響き合っているように感じます。
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藤井正之さんには2018年に、「自由学園100人の卒業生+」でインタビューをさせていただきました。ぜひこちらもご覧ください。
「世界に通用するテニス選手を育てたい」
https://jiyu.ac.jp/jgs100/fujii.html
また、宇佐川君から、宮城黎子さんが監修を務めた日本女子テニスの歴史本『遙かなりウィンブルドン:日本女子テニス物語』の中で、「自由学園のテニスコート」という章が設けられており、羽仁説子さんらが、日本の初期女子テニスにおける重要なプレイヤーとして紹介されている旨、ご教示いただきました。私もぜひ読んでみたいと思います。

















