スポーツカメラマン・赤木真二さんの写真集『海外サッカーの世界』出版記念会に参加しました。会場となった自由学園しののめ茶寮は、赤木ファン、サッカーファンの方々で満席となり、熱気に包まれていました。

赤木さんは1979年、自由学園最高学部卒。1982年のスペイン・ワールドカップをきっかけに海外サッカー取材の世界へ入り、その後、サッカーワールドカップ10大会、ラグビーワールドカップ7大会、オリンピックなど、世界のスポーツの現場を撮り続けてこられました。
今回刊行された写真集は、その44年間にわたり、世界各地のスタジアムで渦巻いた熱狂を封じ込めた作品集と言えます。会では、写真集未収録作品も含め、赤木さんご自身が思い入れのある写真を解説する約1時間のスライドショーが行われました。

そこで私が最も驚かされたのは、赤木さんが数十年前の試合について、「まるで昨日のこと」のように語られたことでした。どの試合で、どの瞬間に、誰がどのようなプレーをしたかを熱く語る。その熱量と記憶の鮮明さに、サッカー門外漢の私は圧倒されました。
しかし帰宅後、写真集を開き、「はじめに」を読んだとき、その理由が少し分かった気がしました。
赤木さんの原点として記されていたのは、1982年3月21日、リオデジャネイロのマラカナンで行われたブラジル対西ドイツ戦でした。ジーコ、ソクラテスらを擁した“黄金のカルテット”のブラジルと西ドイツ代表との対戦は、ワールドカップ直前の世界的注目試合だったそうです。
南米放浪中だった赤木さんは、偶然新聞で試合の記事を見つけます。急遽国際電話で日本のサッカー誌から取材許可を取り、全勢力と資金を注ぎ込んでリオへ向かいます。そして初めて立ったマラカナンで、10万人を超える観衆の熱狂、独特のリズム、生々しい匂い、芝の感触を体感します。
国歌斉唱の最中、選手を撮るため人々の足元を四つん這いで進み、ジーコの目の前でシャッターを切った、その写真が、写真集冒頭の見開き写真でした。赤木さんは「すべてがこの一枚から始まった」と書かれています。
この文章を読み、私は非常に驚きました。というのも、その翌年の1983年夏、当時自由学園最高学部の学生だった私は、自主制作誌『自由人』の編集長として、卒業生だった赤木さんに寄稿をお願いしていたからです。そして、その原稿に書かれていた内容こそ、まさにこのリオでの体験でした。
今回あらためて、その時の文章「フォークランドか? マルビーナスか?」を読み返しました。そこには、南米を旅しながらサッカー取材へと引き寄せられていく、若き日の赤木さんの姿が記されていました。
政情不安の続く中南米を旅するなか、リマの食堂で偶然「ブラジル対西ドイツ」「アルゼンチン対西ドイツ」の国際試合の記事を「読んでしまった」赤木さんは、所持金を投げ打ってリオへ向かいます。
マラカナンの熱狂については、次のような印象深い言葉がありました。
「観衆は代表チームのプレーを楽しむためにエネルギーを貯めているのだ。彼等は観戦しながら頭の中で自分もプレーしているのだ。そしてサッカーの魅力とは、体力の限界に挑戦しながら生まれてくる、選手一人一人の想像力なのだ。」
さらにその体験を通じて確認したことを、こう結論づけています。
「競技場で写真を撮る私は、写真を撮ることが好きなのではなく、サッカーが好きなのだ」
この一文を読み、私は今回の会で感じた強烈な記憶の理由が分かった気がしました。赤木さんは、単に試合を「記録」していたのではなかったのです。スタジアムの熱狂を感じつつ、ファインダー越しに選手の動きを予測し、そして「頭の中で自分もプレーして」いたのでした。選手たちの想像力に、自らの身体感覚を同調させながらシャッターを切っていたのです。だからこそ、その記憶は単なる情報としてではなく、「身体的記憶」として残っていたのだと思いました。
そう思って写真集を見直すと、そこに写っている限界に挑み躍動する選手たちの姿に、ファインダー越しにその動きを予測しつつ、ピッチを駆けまわり、共に限界に挑んでいたカメラマン自身の姿が重なって写っているように感じられました。
この赤木さんの文章を読み、私は舞踊研究者・文芸評論家の三浦雅士さんの文章「考える身体」を思い出しました。三浦さんは次のように書いています。
「人はなぜダンスを見るのか。何よりもまず身体そのものが、他人の身体と同調したいからなのだ。舞台を見るとき、人は、ダンサーとともに踊っているのである。回転し、跳躍しているのである。」
さらに三浦さんは、その感覚はスポーツ観戦にも共通しているとして、こう続けます。
「スポーツにしても同じだ。人は、より強い、より速い、より美しいフォームに惹かれる。身体の想像力の限界を試そうとでもするように、人は舞台を見る。試合を見る。見ているのは目ではない。身体なのだ。」
この言葉は、若き日の赤木さんがマラカナンで体験したことと、驚くほど深く重なっているように思われました。
会ではもう一つ、興味深いエピソードが紹介されました。赤木さんが「サッカーマガジン社」に現地取材のスポンサーになってもらうべく出発前に行ったことは、半年間、同社のサッカーチームで一緒にプレーしたことだったというのです。
急遽リオ行きを決めた赤木さんの国際電話に、サッカーマガジン社が「渡航OK」と応じた背景には、プレーを通じたサッカー愛の共有、身体的な信頼の共有があったのでした。いかにも赤木さんらしい話だと思いました。
なお赤木さんには私が学園長のときに行った卒業生インタビュー「自由学園100人の卒業生+」に際し、100人分の素晴らしい写真を撮っていただきました。ぜひこちらもご覧ください。

















