9月1日、糸魚川市から、40分ほど大糸線を下った根知山の延年祭り。一般には「おててこ舞」と呼ばれているもの。若衆歌舞伎の源泉とも思われるような、少年の女装が特徴的だと聞いていた。男色記事の連載が終わり、若衆風俗の残滓などと思い込みながら、行ったのだが、まだ3歳ほどの幼児が稚児姿に化粧してお父さんの肩車、おじいさんの傘に守られてお練りに参加しいている。又いかにも腕白そうな少年が真面目な顔で女装しているのを見ていると、自分の好奇心がいささか的外れのような気がした。子供の延年を思う親心がこの行事を支えているのだ。宵祭りには村の人と一緒に酒を飲んだ。祭りも、平泉の毛越寺などに残っている延年とは異なっている。厳かさなどという趣はない。むしろ滑稽な娯楽という感じであった。部外者の研究者が浅薄な知識で見ていると何か大きな落とし穴に入るような気がした。
2日、キリスト教教育同盟の京都での大会に参加。キリスト教大学の社会的な役割とは何か、右傾化する政治的状況の中でキリスト教教育を旨とする大学の責任が問われているのではないか、具体的な行動が今必要ではないかなどと最後に発言。
7日、推薦入試。近年では最も多い数の女子部の学生が入試を受けた。男子部の学生も含め、間違いなく将来の自由学園の核となりうる学生だ。
9日、学生と、原発被害の跡地、福島の浪江町を訪れる予定だったが、台風で中止。復興オリンピックなどと称しているが、傷跡は癒えていない。オリンピックは楽しみだ。しかし復興無視のオリンピックであることは確かだ。そのことを学生と共有したいと思った。
10日、荒川べりのグランドで、ヤクルトの二軍戦を見に行く。一軍は既に最下位。望みを託すは来年。栃木ゴールデンブレーブス出身、育成ドラフト一位指名背番号118の捕手内山太嗣が期待株。素晴らしいスローイングだ。ソフトバンクの甲斐を越えるに違いない。立教出身の松本そしてムーチョ中村を加えた正捕手争いがヤクルト来季の目玉か。炎天下、内山ガンバレを連呼して熱中症気味。
12日。明日館講座、今期最終回。
「男色大鑑」「葉隠」に関連しながら、武士道の行方に触れるつもりだったが、尻切れトンボだった。
13日。ホテルに前泊し、早朝の東京青年医師会で、江戸時代における男色文化について講演。最後に、LGBTsからSOGI(Sexual rientation & Gender Identity)へといった話題に触れ、「我々が求められているのは、知識を積み上げ教養を身にまといながら、男色を理解する訳知りの人ではないのです。江戸時代の人々が、男色を嗜好したのは、男色にマイノリティの一員としてかかわっていたのではありません。ごく自然な人格として存在していたのです。友情とも恋愛とも呼べる<衆道の誠>が生まれたのはその結果です。」などと強調。
14日。自由学園リベラルアーツ学会で研究発表。
75歳での研究発表は、たぶん最後。講演とはまったく緊張感が違った。終わると不整脈、それでも懇親会二次会と久しぶりの痛飲、翌朝宿酔。「江戸期環境文学への視座―印旛沼と井関隆子日記を中心に」と題したが、江戸期における環境文学の構想に時間を使いすぎ隆子の旗本夫人としての日記の個性などを述べる時間がなかった。反省のみ残る発表だった。印旛沼訪問記としてこのブログで別記したい。
16日。明日館で2年課程の修養会。
羽仁もと子の八戸について語りながら、故郷函館について語る。どうも若い諸君といると情緒的な話になる。これはいかん。
17日、後期始業式。
2019年の日本が世界幸福度ランキング58位となった。昨年から又幸福度を下げている。寛容92位の部門別低位が目立つ結果だ。外国人が最も旅に行きたくなる国の第1位は日本だそうだ。「観光地として行きたい国ナンバーワンが日本で住みたくない国ナンバーワンが日本」などといった評価もある。順位を下げているのは、部門別評価の寛容度の92位だ。『広辞苑』によれば、「寛大な心で人を赦し受け入れること。また他人の罪をきびしく責めないという、キリスト教の重要な徳目である」などとある。辞書で、キリスト教の徳目であるなどと取り上げているのは意外な驚きだ。だが、いかに、「寛容」が、我々日本人の心性に浸透していないかと言うことの証左でもある。聖書の教えを根幹としている学園は、「寛容」について、日本社会の先端的思考の源泉を提示しなければならない、などと挨拶。
18日、女子部礼拝。純真な中学一年の女子に最前列で見つめられるとなんとも恥ずかしいような気分になる。ルカによる福音書17章。「罪の誘惑が来ることは避けられない・・・七度「悔い改めます」と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい。」を引きながら、間違いが何度でも神様は許してくださいます。「からし種一粒ほどの信仰があるなら」と、イエスの許しの大きさを話す。
午後から、練馬にて、老人会?の記念講演。「江戸、大人の粋-「小股のきれあがった女と小股の切れ上がった男」と題す。小股の位置を、相撲の決まり手から説明、さらに江戸の老人の「粋」が柔軟性にあり、「野暮」は「瓦智」、英訳すれば「unrefined」とするのが通常かもしれないが「square」(頑固)に近いのではないかなどと話す。
21日、サンシャイン近く、巣鴨プリズン跡の公園で、薪能。隔世というべきか、能面が平和の炎に照らされている。
23日、三河の吉良訪問。12月、東武博物館での講演「無念の旅紀行-明智光秀と吉良義周を中心に」の準備。忠臣蔵の悪役もこの地では、赤馬に乗り領地を巡回、善政を施した主君。郷土愛に包まれた研究に感動する。人里離れた鄙びた夜の鰻屋、三河湾の朝光がまぶしいホテルの朝食。こんがりしまった鰻と鮮度がしみ出る鯵の焼き具合。共に絶品至極。
24日。礼拝後、ぶらりと体操会の練習を見に行く。今年のテーマは共生だそうだ。男女でカップルなどと言ったカタチではない。男同士であれ、女同士であれ、支え合うカップルの集団演技、デンマーク語ではFællesskab(フェルスカブ)英語ではTogetherness。デンマークでは1プラス1が3という考えがあるそうだ。二人以上の力が二人の結びつきで生まれると云うのだ。性別や国の違いを越えた喜びを表現したいという。体育館にデンマーク、オレロップ体操学校からやって来た若いリーダーの声が響いていた。緑風の中、自由の風に若人が舞う。自由学園体操会は、10月12日(土曜日)、こぞってご来場を!!!
25日、訃報。叔父が亡くなった。柔道家でイギリスオリンピックチームの監督もした。ヘーシングに勝った唯一の日本人などとも云われた。騎士道と武士道は同じものだと、何度も聞かされた。英国の哲学者を師として仰いでいた。
26日、何たることだ、連日の訃報。50年を越える学友が亡くなった。二歳年下。大学も違う、育ちも違う。職場も違った、研究姿勢も違ったが専門は同じ日本近世初期文学。日本の地方図書館調査も、米国議会図書館の目録つくりも一緒だった。江戸時代前期の多くの本屋についてその特徴をそらんじて語ることの出来る唯一の研究者だった。彼にしか出来ないことをやり遂げた、編纂の江戸時代前期の出版年表は基盤研究の金字塔だ。黙々と字を読む一方、国立女子大学の副学長としても手腕を発揮した。若い時からずーっと彼に負けまいと思った。しかし勝とうと思ったことはなかった。「弔辞は任せておけと」互いに冗談を言い合いながら何度もマージャンをした。順番が狂ったのだ。死が自分の前にひたひたと押し寄せてくるような気がしてならない。
虫の声がする。隣の幼な子が母を呼んでいる。暑い夏が愛おしくなるようなあまりに爽やかな秋の夜だ。
時よ戻れ。
2019年9月28日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)