
東日本大震災から15年。福島を舞台にした山田徹さん(男子部62回生)の新作ドキュメンタリー映画「三角屋の交差点で」が、4月4日、ポレポレ東中野で公開されます。山田さんからこの映画完成のうれしいお知らせをいただいたのは昨年10月のことでした。
「和也先生、大変ご無沙汰しております。山田徹です。お元気ですか? 待望の新作ドキュメンタリー映画が完成いたしました。 『三角屋の交差点で』(英: At the Triangle Intersection)です。 ストーリーは、原発事故によって自宅に帰れなくなった高齢家族が、変化する生活の中で、それぞれの「家」を探し求めるドキュメンタリーです。 福島を舞台にした作品ですが、高齢社会に潜む介護・ジェンダー・家父長制の問題に焦点を当てています。 映画は、10月11日より、山形国際ドキュメンタリー映画祭2025でプレミア上映となりました。翌週の10月17日(金) 19:30からは、東京・渋谷の映画館ユーロスペースで、一度のみ、上映されます。和也先生には、ぜひ渋谷での上映にお越しいただきたく存じます。夜遅くですが、ご都合よろしければぜひ。土井くん、纐纈さんも来場予定です。来年の劇場公開も目指しております。 どうぞ宜しくお願いいたします!!」
10月17日夜、ユーロスペースは満席。私は最前列で鑑賞しました。
2011年3月11日の東日本大震災と続いて起きた福島第一原子力発電所事故。作品は、原発事故を受けて仕事も家も失い、家屋の解体が進む福島県浪江町を逃れ、災害公営住宅での避難生活を余儀なくされた家族の3年間を追ったものでした。新たな生活へと切り替えようとするタケマサさん・シゲコさん夫婦、そして生まれ故郷大熊町の生家も浪江町の家も失い、心のよりどころ失くしたままでいるタケマサさんの99歳の母テツさん。その衰えは撮影の間にも進み、記憶も不確かになります。日々の生活の中で、細やかにテツさんを支えるシゲコさんの献身と、母を思いつつもそこに関われずに距離を置く息子タケマサさんの夫婦のあり方もあらわになります。3人の思いが交錯しつつ、それぞれが自身の生き方を問う姿が、被災地大熊町で進入禁止ゲートが置かれた「三角屋の交差点」と重ねて描かれていました。
映画終了後には山田監督と、共に編集に携わったベトナム人映画作家・PHAM Thi Haoさんが登壇し、トークセッションが行われました。私は撮影開始が震災からすでに7年たった2018年だったということ、3年かけて撮影し、さらに4年かけて編集されたことに驚き、「震災から14年。その間にも世界を騒がせる多くの事件がある中で、どのような気持からこのテーマに取り組み続け、今、ドキュメンタリー作品として世に送り出そうとしているのでしょうか」と質問をさせていただきました。

山田さんは「3年間カメラを回して見えてきたのは、故郷を失った方々の喪失感と共に、困難を共に乗り越えてきた家族の中にあった、語られることのなかった複雑な心のありかた。そこに家と家族のあり方、日本の社会の抱える家父長制やジェンダーという問題も見えてきた。これは15年という長さを超えた、歴史的、普遍的テーマと考えている」と語ってくださいました。ファムさんからは、「山田監督の映像を見て、美しいと感じたことから共同編集を引き受けました。ドキュメンタリーというくくりではあるけれど、これは〈映画〉としての価値がある作品なのです」という言葉があり、とても印象に残りました。(どちらも私の記憶による再現です。)

終了後、勢ぞろいした自由学園卒の3人の若手映画監督纐纈あやさん、土井康一さん、山田徹さんとうれしい記念写真を撮らせていただきました。
半年ほど前に見た映画を今回あらためて振り返り、印象に残ったシーンがありました。新居での生活に向かう中で、思考が衰えたように見えたテツさんが、命がけで建て、子育てをし、暮らしを営んできた「家」がどれほど大切なものであったかという心情を吐露する場面です。面白く感じたのは、このつぶやきが映像の角度から、カメラを回している山田さんへの耳打ちのように語られていたことです。監督自身がカメラを向けている人から、心中の切実な思いを受けとってしまうこの場面は、撮影が信頼関係の中で行われたことを想像させる素敵なシーンでした。
また「居場所」、「故郷」の喪失と回復が大きな一つのテーマですが、立派な仏壇を浪江の家から新居に運び込み、部屋の中心に据える場面が、深い意味を持っていたのではないかと思いました。仏壇を新生活の場に移動するというこの行為は、家も仕事も故郷も失った夫婦が、魂の喪失に抗う象徴的な行為であり、喪失感に暮れる母親への深い配慮の行為でもあったと感じました。死者と共に生きる「場」を生活の中に据えることの意味の大きさについてあらためて考えさせられました。
山田さんは2018年、ちょうどこの映画を撮り始めた7年前に新たな作品についての新聞取材を受けています。記事は山田さんの映画作りの根底にある変わらない思いが伝わってくる次の言葉で結ばれていました。
「家屋解体の中にある家族の物語を伝えたいと思った。東京の人たちにも、ただ「悲しいね」ではなくて、がれきや更地の背景にあるものを想像できるようにしたかった。すべての人に福島の課題を自分事として考えてもらうのは無理です。でも震災直後は、誰もが被災地のことを思ったし、亡くなった人や避難の深刻さを思った。今よりも痛みや喪失感の共有が深くできていました。今後も痛みの共有を続けることが大切です。そうすることで社会はきっとより良くなる。」
山田さんには2017年、第1作「新地町の漁師たち」の撮影直後に、「自由学園100人の卒業生+」でインタビューをさせていただきました。ぜひこちらもご覧ください。
「あの震災を、自分の言葉で表すために」https://www.jiyu.ac.jp/jgs100/yamada.html

















