第15回 新得共働学舎・狩勝峠/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第15回 新得共働学舎・狩勝峠/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第15回 新得共働学舎・狩勝峠

2016年1月19日

午前中、新得の共働学舎を訪ねる。
学舎と自由学園は、教育の理念を共有しながら創立以来深い関係を持っている。今も、自由学園卒業の数名の方がここで職員として働いている。
代表宮島望氏の、著書『みんな、神様がつれてやってきた』(地湧社2015年3刷)の帯には次のようにある。

「生き方に迷っている人、人から見放された人、社会を見限った人が、太陽や月星、山、川、森、土、牛やバクテリアたちと、共働して、いのちの花を咲かせている。」と記し、学舎に身を寄せた人たちを、メッセンジャーと呼び、「彼らを追い詰めた原因を考えているうちに、この社会のゆがみが見えてくる。さらに彼らの望みがかなえられるよう試行錯誤しているうちに、今度はゆがみを解決するためのヒントが出てくる。つまり彼らこそ、世の中が解決できなかった問題が何なのか、その問題をどうやって解決したらいいかを指し示してくれる。」と記している。

共に生きるとは如何なることなのか。強者のみが、他者を押しのけて成功者と呼ばれるような近代社会は、大きな落とし穴に入り、「いのちの花を」朽ちさせている。本当のやさしさとは何か。日高の山並みが、神のごとくにこの里を見つめていた。
宮島夫人の案内で、学舎の人たちと一緒に食事をした。私の前で、サリドマイド被害のため両手を失った方が、足で食事をしている。筑波大学出身、朝早く干し草を積み、パソコンも使う。ごく自然にみんな食事中。家族に捨てられた悲しみを乗り越えたかけがえない彼の人生の歩みが、いかに多くの人に勇気と希望そして共に働くことの大切さを伝えたかを、私は、『みんな、神様がつれてやってきた』から知った。
親牛がゆったり寝そべり、子牛が甘えるようにないている。見ていると空気が微笑んでいるように感じる。世界の品評会で多くの賞を獲得したチーズの熟成の石組みの工房を見学した後、自由学園の関係者の方と瀟洒な木の香りのするホールで歓談。
ホールは満杯。この町の人だろうか、観光客かもしれない。家族連れが、チーズ談議に花を咲かせている。
アルプスの少女ハイジにおじいさんが食べさせたというラクレットをいただく。ジャガイモの上に熱くとろけたチーズが、これぞ得も言われぬうまみでのどにとろけていく。モンドセレクションで世界が認めた味である。
新得は、心と味のブランド名である。

明日は、大荒れの天気予想。新得駅に急いだ。

1906年、明治39年1月18日。今日、2016年1月18日からちょうど110年前、一人の男が狩勝峠を越えた。
坂本直寛。坂本龍馬の甥である。
当時はまだ、古い鉄路も開通していない。帯広監獄の受刑者にキリスト教の教えを語るために馬車に鞭をうち進んできたのである。多く旧幕府の保守主義者であり、自由民権論者であった受刑者の過酷な労働によって北海道の鉄路が、道路が築かれていたことは言うまでもない。
下関でお竜の膝枕で語った坂本竜馬の北海道開拓の夢を、アメリカ建国の清教徒にも似た直寛のことを、明日旭川青年大学で講演する。
今、狩勝峠越えは、多くのトンネルを越えるだけである。しかし、普通電車で、新得から次の落合まで、途中駅はなく、約30分を要する。おそらく日本中でもっとも隣の駅が遠い区間ではなかろうか。鉄道マニアに聞いてみたい。
電車は、何度もトンネルを過ぎ、雪の平原をひたすら走った。
滝川で、以前世話になった国木田独歩ゆかりの宿に一声かけて旭川。

午前零時。17階のホテルのバーでマティニーを飲んだ。雪道がネオンに照らされまっすぐ伸びている。まぶしいほどのネオンの光の海に、開拓時代の小さなかすかな光を思った。

2016年1月18日 渡辺憲司 (自由学園最高学部長)

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