第26回 感性教育雑感「春たけなわです。」/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第26回 感性教育雑感「春たけなわです。」/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第26回 感性教育雑感「春たけなわです。」

2016年4月14日

4月11日。明日は入学式です。寒気団が上空に居座り、散る桜に追い討ちをかけるように、冷たい風が音を立てています。窓の向こうで、高く大きなメタセコイアが、遠い過去を思い出すように揺れ、講堂からは、チェロの響きが赤紫のヒメオドリコソウの肩を揺らして聞こえてきます。駆けっこをする初等部のこども達の声が風に乗り、瑠璃色をしたイヌノフグリが、小さな星の瞬きのように微笑んでいます。

自由学園は日々息をしています。
それら感性の送り風が、どのようにして結晶するのか。
窓を閉じ、私は沈黙を私の中に呼び込みました。

俳人中村汀女の句が浮かぶ。
障子閉めて落葉しづかに終わる日ぞ

枯葉の落ちる音を作者は、日がな一日聞いていたのでしょうか。夕方になったので、障子を閉じたのです。
この句は閉じられた沈黙世界からの感性の鼓動です。

音はしますか。落葉の音はしますか。どんな曲がこの句に似合いますか。
どんな色をこの句に感じますか。枯葉色ですか。白い障子ですか。
暮れなずみ、障子に射しこむかすかな光ですか。夕日ですか。
どんなふうに障子を閉めたのでしょう。外の空気をいとおしむように閉じたのです。
肉体はその時どんな仕草で応じたのでしょうか。どんな人が障子を閉めたのでしょうか。
障子は日本の文化ですか。
静かに終わるという意味を自分に問いかけてみましたか。
このテキストを使う皆さんには、自分のすべての体感を震わせながらこの講義を受けていただきたいと思います。

中村汀女の一句を理解するために必要なことは、障子を閉じて、目を閉じて、閉じられることによって浮かんでくる心の目を開くことです。
沈黙の余韻は感性を養います。自由学園ならではの感性教育プログラム「生活芸術基礎」によって、自身のかけがえのない感性をこの講義で陶治して欲しいと思います。
学園はその環境を持っています。

4月12日。昼食は、在学生父母手作りの料理です。入学したばかりの子供を寮に入れる保護者を、同じように一年前不安を抱えながら子供を寮に託した保護者が歓迎の挨拶を述べます。「一年前子供がいつまでも手を振っていたのを思い出します」「夏休みになったら一日でも早く寮に戻りたいって云うんですよ」「喪った悲しみをこの学園でゆっくり時間をかけて乗り越えてほしいと思っています。」涙と笑いが交差しながら歓迎食事会が進みます。感性を癒し新たな希望に明かりをともす愛の学校です。感性は愛の鼓動です。

4月13日。昼食。生徒・学生が作った献立が並びます。メインと食後のイチゴショートケーキは女子部。サラダは学部。男子部は会場つくり、料理を運ぶのも男子部です。テーブルには学園の草花が盛られています。生徒・学生による、生徒・学生のための食事作りが、歓迎の心尽くしです。豊かな感性を培うものはやさしさです。

4月14日。在校生による新入生歓迎音楽会。「学園で初めて楽器を習った人」と先輩の声に、多くの演奏者が手を上げます。新入生の目が輝きます。ヨハンシトラウスのピチカートポルカのリズムにあわせて新入生の笑顔がはじけます。五感がふるえます。

緑の風にこの学園の感性は豊かにやさしく始動しました。春たけなわです。

2016年4月14日 渡辺憲司 (自由学園最高学部長)

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