第39回 館山・八犬伝・かにた婦人の村/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第39回 館山・八犬伝・かにた婦人の村/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第39回 館山・八犬伝・かにた婦人の村

2016年7月28日

雨の中、東京駅から館山へ高速バスで約2時間。
館山城は、曲亭馬琴の南総里見八犬伝ゆかりの里見氏の居城である。
博物館には、八犬伝グッズ。天守閣に登れば相模湾から太平洋へと海路が続く。
古代から近代まで、この海が大きく歴史を変えていったのである。
城の傍の、富士山の見えるスポットに、「恋人の聖地」と看板がある。「歴史の聖地」とでも云いたい景色である。
富士は小雨にけぶっている。

館山は、戦争の匂いのきつい、傷だらけの町である。
東京湾要塞が起工されたのは明治13年。本土防御の最重要地点であった。海軍航空隊・兵器整備養成学校、鬼の館砲と呼ばれた海軍砲術学校もここに作られ、日本で唯一、細菌戦の訓練学校もあった。総延長2キロに及ぶ地下壕もある。海軍特攻隊「桜花」の基地もここ。「桜花」は、航空機に吊り下げられ敵の艦隊近くまで運ばれ、ロケット噴射により高速で滑空しながら、800キログラムの爆弾とともに体当たりしたのである。終戦は、量産体制に入る直前であった。

戦争中、房総の花つくり農家は、「国賊」と呼ばれたそうだ。不要不急の花卉栽培は、禁止作物であった。花畑は、食糧増産のためのサツマイモ畑などに強制転用されたのである。花を愛する農民は、何時の日にか咲く種苗を人里離れた納屋に隠した。

館山は、アメリカ占領軍本隊による本土初上陸の地点でもある。
館山城から国道257号線、房総フラワーラインを左折、館山海上技術学校の前の道を行くと、丘のふもとの「かにた婦人の村」の入口にぶつかる。かにたは、近くを流れる小川の名前だ。
救いを求めた女性たちが、悲しい思いを胸にこの坂を上ったに違いない。汗を拭きながら婦人の村の管理棟にたどり着く。

「かにた婦人の村」は、1957年の売春防止法施行後、女性たちの自活支援や放置によって売春が継続され、人権が守られない環境に取り込まれる可能性のある人たちの保護を目的とし作られた、東京都練馬区に開設されたいずみ寮を継承したものである。
2001年には、DV防止法、2009年には、人身取引対策行動計画、さらにストーカー規制法などによって、人権侵害を受けた女性たちの保護を目的とした長期収容施設である。

1965年館山市の国有地払い下げによってこのコロニー施設が出発した。創立者は、深津文雄牧師。キリスト者による弱者救済が理念。上から引き上げるのではなく寄り添うことを支援者の価値原理とする「底点志向」を唱え実践し、知的障害や精神障害を抱えた女性たちを積極的に迎え入れたのである。敷地は、旧海軍砲台跡29,710㎡。
運営主体は、いずみ寮にもかかわった「ベテスダ奉仕女母の家」である。
ベテスダは、ヘブライ語。エルサレムの池の名で神の憐みの家という意味。奉仕女は、ドイツのフリ-トナ-牧師によって再興されたプロテスタントの社会救済に奉仕する女性。
キリスト教への熱い信仰がこの村を支えたのだ。

「1982年の臨調では、補助金廃止問題が浮上したり、新規入所が止められたりと色々ありましたが、今、全国から68名の女性を迎え入れています。」と施設長五十嵐逸美氏。
同席した名誉村長天羽道子氏は、1941年、ドイツ奉仕女の話を聞き志願したのだそうだ。
「二日ほど前、ドイツでのベテスダの会から帰国したばかりです。」と、矍鑠と慈愛に満ちた笑顔でお茶をいれていただいた。

天羽氏は、89歳、自由学園女子部24回生。1946年の卒業生である。2010年9月には、初等部6年生と父母総会でお話もされている。
唐突に過ぎる私の館山行き。恥ずかしいことに、天羽氏のことを存じ上げなかったが、大きな深い出会いであった。

かにた教会

かにた教会

自立自農の農園や、牛車の道を上る。
右手に、美しく清らかな教会堂。ここに居住するすべての人がレンガを積み、鉄筋を組み、柱を組み、1980年、16箇月かけて作った祈りの場。
帰る場所を失った女性たちの納骨堂まで設置された教会堂である。
教会のパイプオルガンは、天上の和声と呼ばれるイタリア、ジェンティ-リをもととした、辻宏作の全音律オルガンである。

更に丘の頂上をめざす。バロックの透明な曲が背後から聞こえるような気がしてならない。
丘の頂上に立つと、風で汗が引いた。

「噫 従軍慰安婦」の石碑である。
従軍慰安婦であったとの告白を聞いた深津牧師が1985年に建立したもの。この碑のことが韓国のテレビで紹介され大きな世論となった。
鎮魂の石碑は夏草に覆われた海に背を向け私を見ていた。
車に乗る気にならなかった。雨も上がった。駅までの長い道を黙々と歩いた。

駅前で地物の寿司屋に行こうか迷ったが、戻りカツオには少し早いような気がした。
房総名物クジラの大和煮で立ち飲み。
東京湾アクアラインの海は冥かった。

2016年7月28日 渡辺憲司 (自由学園最高学部長)

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