江戸時代、長屋に暮らす人々には一つの約束事があったそうです。
杉浦日向子さんの随筆に出ていたと思うのですが、はっきりしません。その随筆のもとになった出典もはっきりしませんから、江戸時代の話というよりも、私の中でイメージ化された<私の江戸時代>の話です。
長屋に一人の女性が引っ越してきました。その時、こんな声をかけてはいけませんと云う約束です。
「お前さん。どこから来たの。」
「お前さん。おっかさんは元気かい。」
「お前さん。どこで働いているの。」
女性が一人で引っ越ししてくるというのは、何やら曰くがありそうで、色眼鏡で見てしまうのを戒めたのでしょう。
もちろん、「いくつになったの。子供はいるのかい。」などと云う質問は御法度です。
この約束事は、遊女に聞いてはいけない事とも重なっています。「何処の生まれだ」「そのなまりは何処其処だね」なんて云うのは「野暮」、スマートな会話ではありません。(これは出典があります)
黙って引っ越し人を迎えるのが長屋の暮らしの礼儀です。
「忙しいね、おにぎりでも持ってこようか。醤油ならあるよ。」そんな声掛けで十分にやさしさは通じるのです。
江戸の都市空間で長屋の人たちは、付き合いの「間」、エチケットを大切に考えていたのです。
どうも、この間の取り方は、大人の世界の話ばかりではなさそうです。
9月の最終土曜日に、初等部の父母会で、<子育て、三つの禁句>の話をしました。
ひとつ、「勉強しなさい」
ひとつ、「早くしなさい」
ひとつ、「はっきりしなさい」
私も子供を育て、孫の面倒も時々見ていますが、この三つの教えは、なかなか守れるものではありません。しかし今は、自戒を込めて、これはなかなか含蓄のある教訓ではないかと思います。
老人には、老人の歩幅があります。若者には若者の歩幅があります。もちろん子供には子供の歩幅があります。どうもそれを忘れるようです。特に、親や教師は、そのことを忘れがちです。
云っている親も教師も、ほとんど無自覚に、決まり文句のように、<三つの禁句>を繰り返しているような気がします。
殊に「はっきりしなさい」などと、白黒を強要してはいけないということは、大切なことのようです。カウンセラーの方から講習を受けた時にもこのことは強調されました。
粘り強く「そうだね。そうだね。」と不満をじっくり聞いてやることが大切だと云うのです。父だから、母だから、そして教師であるがゆえに、どんなに時間がかかっても、聞いてやることが出来るはずです。相手の時間に合わせ、ほどよい「間」を取ることは大切なことです。
「よくみる よくきく よくする」が、自由学園初等部がモットーとしてきた創立者の言葉です。
私の言っていることとは違ったように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。
子供達に求めることは、親や教師、自らの行動なしに求めることは出来ません。
「よくみる よくきく」とは時間をかけて、時間を共有することであると思います。
「よくする」自主性は、「待つ」こと、「寛容」を前提することなしには、生まれ得ぬことです。
以上、長屋の話からいつもの脱線です。
2016年9月24日 渡辺憲司 (自由学園最高学部長)