第49回 17世紀前半派兵拒否の周辺/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第49回 17世紀前半派兵拒否の周辺/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第49回 17世紀前半派兵拒否の周辺

2016年10月31日

11月5日(土曜日)の立教大学日本文学科の60周年国際シンポ基調講演のメモ追加です。
前回のブログで、5日(日曜日)開催と記しましたが土曜日の間違いです。(前回ブログも修正しました。)
6日(日曜日)にはシンポジウムがあります。訂正版を書こうと思っていたら、加筆が長くなりました。

「明末ノ乱ニ明人ヨリ援ヲ本朝ニ乞シ時、議論區ゝナリシニ、公、遠クハ本朝ノ制ト異邦ノ例トヲ量リ、近クハ兵糧運槽ノ労ト軍功恩賞ノ費トヲ慮リ玉ヒ、吾国ヨリ救玉フ時ハ必ズ後ノ患ヲ残スベシトテ一書ヲ執政ニ贈リ細カニ論ジ玉フ此事上聞ニ達シ援兵ノ議遂ニ已ミントゾ。」

この文章は、『鎮国神公御遺事』にある言葉です。
鎮国神公とは、江戸の時代初期、17世紀、寛永の頃に、桑名の藩主であった松平定綱です。
定綱は、家光時代の幕閣政治にも関与した好学の大名です。寛政の改革でよく知られた松平定信の先祖に当たります。
定綱は、「吾国ヨリ救玉フ時ハ必ズ後ノ患ヲ残スベシト」と明国への援軍を明確に拒否します。

これは、中国大陸で明が清に攻められ窮地に陥った時、正保三年(1646)十月に、明の鄭芝竜が、日本に援軍を求めた時の話です。

鄭芝竜は、カソリックの洗礼名ニコラス。
スペイン語、ポルトガル語、日本語を駆使し、ギターを奏でフラメンコを踊り、剣道を得意とし、平戸に在住し、日本人の妻をもらい、オランダとの貿易で得た巨万の富と兵力を背景に明朝再興を企てた人物。

日本人の妻田川マツとの間に生まれたのが、台湾の英雄鄭成功です。
17世紀前半のアジアにおいてもっともよく知られた父と子。アジアの悲劇の?胸躍るヒーローです。
鄭成功は日本で最初のロングラン興行となった近松門左衛門の浄瑠璃『国姓爺合戦』の主人公。
平戸には、鄭成功の記念館があり、台南には、国立成功大学があります。

その鄭芝竜からの援軍要請が来たのです。
漢字文化圏として、明国との交易は日本と切っても切れない関係がありました。

政府、つまり徳川幕府は大いに動揺します。
約50年前、朝鮮半島への派兵で苦汁をなめたことも脳裏をかすめたに違いありません。
島原の乱で天草四郎や百姓の一揆にオランダの兵が砲撃を浴びせたことに、内政干渉さらに日本への侵略の恐怖を抱いたものもいたでしょう。

外国からの援兵要請や他国の内乱終結のための出兵といった、海外派兵に舵を切り、連帯の同志を拡大し安全保障を確保し、平和と正義の名のもとに戦争への道を積極的に一歩歩むのか。
それとも海禁(鎖国)政策路線を踏襲するのか。
年長の尾張義直は総大将を、紀伊頼宜は海軍の総帥を、水戸頼房は先陣を、などと強弁し出兵を主張します。
しかし、大老の井伊直孝の「何の手柄にも無之御無用の至」とした決断が、派兵を止めました。
清の決定的勝利の報が合議の途中で入り積極的派兵は沙汰止みになったとも云います。
諸説が残されています。

当時の日本を観察した中国人は、「寛永以来、日本が文芸を楽しみ、」「兵革のことを見ず、武備を忘れ、従って保守的、消極的、事なかれ主義で積極性に乏しい。」(『日本乞師の研究』より)ので派兵を躊躇したと云っています。

17世紀前半、寛永、正保期は、潔癖症でやや癇癪持ちの三代目家光将軍と後水尾院の庇護のもと、七歳で即位した女性の明正天皇及び儒学を好み和歌を詠むと頭が痛くなると嘯いた後光明天皇の時代。
文化が重層的多面的に開花した時代です。

仏教・儒教・神道の思想は乱立融和し、和歌は王朝、貴族文化の隆盛を促し、連歌、俳諧は大衆化され、出版文化が広い読者層を獲得し、京の遊女吉野の名は中国にも知れ渡ったという時代です。
西鶴・近松・芭蕉といった巨星の作品が登場する前史です。
江戸時代、17世紀前半の文化が、キリシタンなど多くの人の犠牲の上に成り立ちながらも、その後に続く江戸時代の泰平の世の文化を呼び寄せたと云っても過言ではないでしょう。

追記
中野三敏先生が文化勲章を受けられたとの吉報が入りました。心よりの祝意を申し上げます。
先生には20年前小生が九州大学に博士論文、『近世大名文芸圏の研究』(八木書店)を提出した際主査をしていただき、多くの学恩を受けました。『近世大名文芸圏の研究』は、翻刻や誤字が多く、刊行以来気恥ずかしく、思うところあって、その後の研究を封印していましたが、前回ブログで紹介した国際シンポへの参加、さらに中野先生の慶賀を機会に松平定綱のことを再考してみました。「松平定綱文芸圏の研究」は、拙著の巻頭の論文です。

2016年10月31日 渡辺憲司 (自由学園最高学部長)

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