机の前にポスターが貼られています。
このところそのポスターをじっと見ています。日によっては5、6分もじっと見続けています。
一つは初等部の4年生が書いた「収穫した里芋」と題されたものです。
力強いいい絵です。
この絵は今年(2016年)のカレンダー(初等部)でも、根っこシリーズとして見ていました。根っこを掘りおこす歓声が聞こえます。そして、これから未来に向かって、勢いよく伸びていく子供たちの成長が画面にあふれています。泥を振り払いながら懸命に根っこと向き合っている子供たちの顔も浮かびます。
子どもたちの絵はその子どもそれぞれの個性が生で感じられていいものです。
根っこの生命と向き合う子供たちの生活が教育となっているのです。
いのちの絵です。
自由学園の絵画教育の礎を作った山本鼎の精神が、初等部の絵画教育にしっかり継承されていることを強く印象付けられた一枚でもあります。
もう一つの絵は、大きなポスターばかりではなく招待状などのチケットにも使われているデザイン画です。初等部の生徒の絵は具体的ですが、このデザイン画の方は受ける感動が人それぞれなのではないかと思います。
ずっと見ているのはこの絵の方です。
まず色です。
最近はスマートフォンで色の事典が簡単に見ることが出来るようになりました。
浮世絵などの色を鑑賞する時には、重い冊子の色見本を現場に持っていって初刷りかどうかなどとガヤガヤ話し合ったものです。皆さんも是非色合わせをして楽しんでいただければと思います。私の言っている色と異なるかもしれませんが、実はそこが面白い所なのです。私もその日の気持ちによって、ポスターの色名が変わるのです。絵の色は生きているのです。
真ん中の色が中心です。この色は黄色と呼ぶには薄いようですし、白みがかっています。この色を囲んでいるのは濃い黄色です。山吹色とでも呼んでおきましょう。それと浅葱色でしょうかね。青みがかった色が囲んでいます。それらともう一色が赤い色です。濃い赤ですね。深緋(こきひ)などといいますが実に鮮やかな赤色です。
以上四色の配合です。この四色が三角、台形、半円などと重なり合いながらハーモニーするわけです。
そしてポスターの右側には「創造は毎日を変える」と黒文字で記されています。これが今回の美術工芸展のテーマですから。この絵はまずこのテーマを表しているわけです。たしかに動的な円の回転、三角形のとがりあった接点、浮き出るような立体的深緋など、〈創造性〉と〈変化〉がこの絵にはあります。作者の意図がその辺にあったことは明白です。
しかし、このような絵を見る楽しみは、作者の意図をのみ受け取るだけでは不十分な気がします。
絵を前にして受ける感動(感応力)は千差万別だと思います。
絵を前にして自分にどんな画像を焼き付けるかが重要です。特に抽象画を見る場合はその楽しみがあります。自分の中で絵と自分のストーリーを作り上げていくのです。(具象画の場合もそうだと思いますが・・・)
授業や礼拝でこの絵を取り上げました。そしてこんな質問をしました。
「この絵に題をつけてみませんか」
俳句に「聞き句」というものがあります。
例えば「秋深き隣は何をする人ぞ」という芭蕉の句がありますね。この句にどんな情景や感想を持つでしょう。深まる秋、隣人ともほとんど交渉がなく隣人がどんな人かもわからない。寂しいなあと感じる孤愁な句でしょうか。
それとも隣は何をしているのだろう、声でもかけてみようかなと親しみを感じるでしょうか。
人恋しい懐かしい句でしょうか。
「秋深き隣は何をする人ぞ」の句は、受け手に感想を任せるような句なのです。
もちろんこの句が、旅の途中大坂で亡くなる直前に病気になり、約束の席に欠席を知らせる挨拶の句であることを文学研究者は考えなければなりませんが、自立した鑑賞を求める時にはそんなことは二の次です。所謂、“テキスト論”などを支えている考え方です。そして感想が多面性を持ち、受け手の間で説得力を持った感性として触れ合いが深まる作品が高品質なのです。
このポスターの絵にはこの“聞き句”的な要素があります。そこで題をつけてみようというわけです。
「ただよい景色や美しい花を見たような時だけ、僅かに美を感ずることのできるような頑なな心でなしに、どういうものの中にも秘されている美を見ることができるような深い心を培ってやりたい」
これは今回の美術工芸展のパンフレットに書かれてある創立者羽仁もと子の言葉です。
私は今回のポスターの絵を見ながらこの言葉を思い出します。
ポスターの前を、もしも素通りしているだけであるならば、それは〈頑なな心〉のままなのではないでしょうか。
立ち止まり、〈秘されている美〉的感動と向き合いながら、私たちは心のひだの深みを増していくのではないでしょうか。
児童・生徒・学生諸君は今、学園生活4年間の総仕上げの意味を込めて美術工芸展に向かっています。
私たちにとっても自由学園の培ってきた芸術的感性に向き合う大切なひと時です。
ぜひ、ポスターに向かって語りかけてほしいと思います。この色と形をどう受け止めるか自問していただきたいと思います。
「ところで先生、どんな題をつけたのですか・・」
と質問が飛びそうです。
最初は、淡黄に魅かれて「エンビー」(envy)と名付けました。
ジェラシーではありません。従妹同士で恋するような、一言も話しかけたことのない先輩にあこがれるような、少年や少女の淡い心の揺らめきを表しているような気がしてなりません。
夏目漱石は、「草枕」で黄木蓮の花の色を、「あたたかみある淡黄」であると言っています。そして次の句を作っています。
「木蓮の花ばかりなる空をみる」
私には、淡い黄色が自由学園の空気の色のような気がしてなりません。
これは青春の危うさを包み込む羽風のやさしさの絵です。
このポスターと共に作った思い出を刻んでいきたいと思います。
2016年10月31日 渡辺憲司 (自由学園最高学部長)