第52回 原発に狎らされし愚/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第52回 原発に狎らされし愚/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第52回 原発に狎らされし愚

2016年12月5日

12月2日土曜日、「時に海を見よ その後」と題した講演のために、名古屋で朝食をとっていると、「中日新聞」朝刊に「避難の小4に担任が「菌」 新潟 いじめ相談を受けた後」との見出しの記事があった。
「東京電力福島第一原発事故で、福島県から新潟市に家族と自主避難している小学4年生の男子児童が、担任の40代男性教諭から名前に「菌」を付けて呼ばれ一週間以上学校を休んでいることが分かった。」
記事はさらに続けて、児童が夏休み前に同級生から名前に「菌」を付けて呼ばれているのが嫌だと相談を受けていたとも記している。愛称のつもりで云ったという報道もあった。

11月の上旬には、横浜市に自主避難した中学一年の男子生徒が、いじめにあっていることが明らかになっている。
原発事故のために避難している生徒へのいじめは、おそらく新潟や横浜での事ばかりではないであろう。氷山の一角と云っていいのかもしれない。
教師の配慮のなさ、軽薄さは厳しく追及されるべきである。教師としての個人的責任の重さは、対応のまずさと言ったようなものではない。言葉が人格と関わっていることを猛省すべきである。

しかし私が強く思ったのは、そればかりではない。
個人の責任の重さを感じながらも、私自身を含めた教師全員が心しなければならないことを今回のことは知らしめているような気がしてならない。
原発事故後いかに自分が原発と向き合うのかといった、個人の倫理感、人生観が失われている。

震災後の卒業式での私のメッセージがネット上で反響を呼んで、双葉社から「時に海を見よ」(双葉社 後に双葉文庫)と題した小冊子を刊行した時、その本の冒頭に原発事故への反省を込めて、こんなことを書いた。事故から三か月後であった。
「私は、臆病のまま時代に流された。必要を越えた豊かさを求めた。過度の贅に身をゆだね、何が一番大切なものかを忘れていた。諸君に、海を見ることへの道を鼓舞しながら、混迷した老骨の自己を、大人の自分を、眼前に直視することに、どれほど厳しかったのだろうか。私たちが今、この災害に、ことに原子力発電所の事故に際して心すべきことは、悔恨を越えた、行動を踏まえた自己反省である。」
こんなことを書いたことを私は忘れていたわけではない。しかし確かにぼやけて来ていたのだ。

原発事故以来、月日と共に、私たちは臆病に傲慢を重ね、危険に居直り、きらびやかなネオンに身を飾り、大切なものは何かという痛切な問いを忘れ、眼前の放射能汚染の現状を直視することなく、身の毛もよだつ全身の恐怖と悔恨は、他人事となっていったのではないか。
忘れてはならないことを、曖昧なものにし、<行動を踏まえた自己反省>は、安眠の中での怯懦な妥協を行動と呼ぶだけとなったのだ。
原発事故に伴ういじめは児童生徒のみではない。大人の世界にも広がっている。
のど元を過ぎた熱さは忘れ去られたのではない。熱さは、他者の胸を刺す氷柱の刃先を研ぎ澄ませたのだ。

新潟の教師の配慮のなさ、欠陥的思考欠如の責任を追及するのみで、このいじめ問題は終わらない。
我々はもう一度あの日に何が起こったかを、今度のいじめ問題を考える時こそ直視する必要がある。
過去という名のもとに忘れようとしている自分に、忘れてならない教訓を倫理として刻み込まなければならないのだ。
忘れてしまいそうな自分がいじめへの加担者なのだ。
そして、原発の再稼働を進め、放射能対策は完璧であると断言しながら過去の惨状を忘れようとしているかに見える国家責任も重い。原発被災地のことは、このブログの第35回・第36回でも触れた。

帰りの車中、『文芸春秋』の12月号を読んでいたら、前の学校で同僚であった桑原正紀氏の歌が掲載されていた。その中の一首。
「ほとぼりの冷めたる頃とそつと目を開けはじめたる原発いくつ」
帰宅したら家に氏の新しい歌集『花西行』(現代短歌社)が届いていた。
11年間病床にある妻を見舞う歌は胸を打ち、定年を迎えた教師の心情に、又愛猫の死に寄せる歌にも引き込まれたが、ここでは原発関連の歌をもう一首。
「狎らされてゐしおのが愚を思ひ知る原子力発電の安全神話に」
狎(な)れるとは、一緒にいるうちに警戒心や礼儀を失うこと。又心がなくなって軽んじること。
狎侮(こうひ)、侮辱(ぶじょく)、共に同じ意味である。
殊に教員は原発に狎らされてはならない。名古屋ではそんな思いで講演した。

2016年12月5日 渡辺憲司(自由学園最高学部長) 

カテゴリー

月別アーカイブ