第68回 不自由のすすめ/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第68回 不自由のすすめ/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第68回 不自由のすすめ

2017年5月22日

なんとなく学生諸君に語りかけたくなって、「不自由のすすめ」と題して書きます。

ここで使っている<不自由>と云う表現は、思うままにならないという意味です。不自由の反対は、自由です。<自由のすすめ>ならプラス思考で納得がいくでしょう。

<不自由のすすめ>では、消極的です。後ろ向きの人生へのすすめのように受け取られるかもしれません。
そうではありません。私は今の君に、不自由の気持ちを大事にして下さいねと、話しかけたいのです。

「何だか思うように行かなくて、不自由なんですよ」と云う君の言葉に、まず最初に話しかけたいのは、「そうか思うように行かないよね。不自由だよね」という言葉です。
「どうして不自由なの」なんて聞こうと思いません。
「こうすれば、いいんだよ」という忠告をしようとも思いません。

誰の文章であったかを忘れました。どこで聞いたかも忘れてしまいましたが、こんな話を覚えています。

「胸が痛いんです」と患者さんが言った時、どのように最初に答えるのが、よい看護婦さんですかと云うのが質問です。
一番ダメなのは、「今すぐお医者さんを呼びますね」と慌てる看護婦さん。
普通の看護婦さんは、「どこが痛いんですか」と問いかける看護婦さん。
そして最良の看護婦さんは、「そうですか。痛いですね。」と聞いてくれる看護婦さん。

最良の看護婦さんになろうなどと、思い上がった気持ちを持っているわけではありません。
私に出来ることがもしもあるならば、一緒に聞いてあげる、それだけなのです。もっとも一番聞いてほしいと思っているのは自分かもしれません。

横浜の定時制高校から始めて、現在の自由学園まで私の教員生活も50年近くを迎えようとしています。
私の人生の中で、<不自由>は、どの場面でも登場して頭をよぎってきた言葉です。
行き当ったすべてのことに対して中途半端だったような気がします。いつも揺れ動いていました。不安な毎日の中でどっちつかずの自分がいました。

行く道は右なのか、左なのか。この年になっても迷いの毎日です。
今でも、決断したと思った結果が私の髪を後ろから引いています。
教員生活を始めて、5.6年頃がそんな思いが一番強かった気がします。
どっちつかずの自分。優柔不断の自分。中途半端な自分。逃げ出したくなるような自分。そして、後ろ向きな、不自由だと感じる自分がありました。

しかし、その真只中にいた自分が、ふと立ち止まると、そんな弱い自分を振り返って遠くから見ると、なんだか愛おしいような気もするのです。間近では見えなかったものが、時間をおいてみると、遠目で見えてくるような気がするのです。
浮遊した不安定な感覚が何か次の強いステップになったような気もします。
不自由だと感じることが、どこかで強さに変わっていったのです。鍛え上げられたといった感じとも違います。
不自由をかき回して増幅させている、不安・不満・不足・不利が、安定、満足、有利そして自由と向き合いながら、否応なしに前へ進んで行ったのです。
不自由が前へ進めてくれたのです。

今でも、たまに満員電車の中で押されながら、職場に駆け足で飛び込んで、一息つくと、「まあ、それでいいのだよ・・」と声がして、八木重吉の詩が浮かんできました。

心よ
では いっておいで
しかし
また もどっておいでね
やっぱり
ここが いいのだに
こころよ
では 行っておいで

八木重吉は、若くして亡くなったキリスト教詩人です。この詩もキリスト教への信仰が背景にあります。
「ここ」は彼の心の故郷であるキリスト教信仰を云うのでしょう。

しかし私には信仰というよりは、「ここ」はゆれうごく自分の心です。
弱い自分の心です。どっちつかずで不安になりながらも、誠実であろうとする自分です。力いっぱい抱きしめてやりたいような自分の心です。
がんばれよと叱咤激励するのでもありません。
寄り添いながら、温かく包み込むような場所を私は書き残しておきたいと思います。

目に浮かぶのは、縁側で野良猫と日向ぼっこをしているお婆さんです。お婆さんが、猫の背中をゆっくりゆっくりなでながら、やさしく小さな声で猫に話かけます。「ノラよ。ここが いいのだに」と、、、、。

2017年5月22日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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