第76回 望郷カムチャッキー/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第76回 望郷カムチャッキー/前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

前最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第76回 望郷カムチャッキー

2017年8月16日

カムチャッカ行きに誘われたのは、2度目だ。最初は高校2年の正月を少し過ぎた頃、級友からだ。「どうだ。カムチャッカに行けば40万は堅いぞ」と云われた。50年以上も前の事だ。
その頃、もうだいぶ下火になっていたが、私の故郷函館では、春先から夏の終わりころまで、カムチャッカ沖へ行く北洋漁業が盛んだった。所謂独航船と云う小さな船に乗ってカニ工船の船団について行くのだ。危険と隣り合わせを承知していたが大金は魅力だったし、冒険心もあった。だが、病気の父を残して行くのも躊躇われたし、そんな根性もなかったので、この話はすぐ沙汰止みになった。
 

そして今回。誘われた時に真っ先に思い出したのはその時のことだ。そんな私の個人的な思いもあったが、手つかずの自然が残っているという言葉にもひかれたし、何より植物好きの妻が乗り気だった。
「1週間ほどカムチャッカへ行ってきます。」そう云うと、ほとんどの人は、ちょつと怪訝に、「どうして、カムチャッカへ?」と云うような顔をする。その思いは私も同じだった。
 

午後2時過ぎ、成田を出発、飛行時間約3時間30分、ほとんどあっという間のフライトだ。カムチャッカ半島上空。時差は3時間、オレンジ色に赤く染まった夕焼けが幾層にも雲海の上に広がり、その雲の合間に太陽が沈む。眼下に湿原と川筋。深く入れ込んだ湾。カムチャッキー(この表記の方が一般的だということを成田で初めて知った)最大の都市ペトロパブロフスクだ。
草原の中の小さな空港。かまぼこ型のビニールハウスの温室のような通路を通って入国の事務を済ませる。ホテルまでの道にほとんど信号はない。
ホテルは三ツ星。大きな金属音を立ててドアが閉まる4人乗りのエレベーターで部屋に入る。
夕食はシベリア風水餃子ペリメニ。ちょっと濃い度数のビールにこれは実によく合う。
厚手のシャツばかりを用意していたが、異様なほどに暑い。ビールの酔いにまかせて眠ろうとするが寝苦しい。もちろん冷房などはない。「もの好きが過ぎたかな、もっと快適な旅があったはずだ・・」そんな思いがよぎる。
 

翌朝、16人を乗せた水陸両用のオフロードバスの6輪駆動車で出発。ソ連時代の重い沈黙そのまま、一様なくすんだアパートの街並みを見ながら車は行く。舗装とは名ばかりの道路を1時間そしてさらに1時間の悪路だ。快活な運転手はスピード狂かと思われるほどだ。前のシートの背をつかまなければ、吹っ飛ばされそうだ。友人の万歩計はバスの中でも歩数を数えたそうだ。
バスは大きく揺れながら川底のぬかるみ道を行く。
「トイレ休憩にします。どこでも結構ですよ。右の茂みが女性、左の道の方が男性にしましょうか」と流暢な日本語の現地のガイドさんはにっこり。私も蚊取り線香を焚きながら草むらに消えた。
1年分のエネルギーをこの夏のひと月で燃焼させるように蚊が活動しているのだそうだ。
 

空を見上げると、のしかかるような不安が一気に晴れた。
カムチャッカの真珠だ。
一面の赤紫のヤナギランの花畑の向こうに、雪がまだら模様に残っている山肌の稜線。そのすそ野を広げたヴィリュチンスキー山はカムャッカの真珠と呼ばれているそうだ。
標高約1000メートルの峠に到着、高山植物を見ながら散策する。コケモモ、エゾツツジ、ウルップソウなど、ひそやかに、可憐に咲いている。キバナアツモリソウや青い天空の星と呼ばれるリンドウ。
半数以上が70歳を越える同行の仲間から幼子たちのような歓声があちこちであがる。貴重な高山植物が群生しているのだ。まさに天空の花園だ。
富士山によく似たアバチャ山は、今も活火山で細く白い噴煙が上がっていた。静けさの中に辺りを溶け込ませるような寛容な立ち姿、360度連なる稜線はまさに女神たちの奥深い懐に抱かれたような気分だ。ある詩人は(高村光太郎だったかな)、日本アルプスを峻厳で父のようだと形容したが、今見るカムチャッキーの火山の連脈は慈母だ。
 

カムチャッキーは美味しい。ボルシチは薄味、野菜のうまみがそのままだ。船上、目の前で潜水し引き上げ、海水でゆでたカニ(花咲ガニ?)の味も、2つの拳を合わせたようなウニを指先で掬った味も、新鮮なうまさなどと通り一遍には表現できないほどに生きた味だ。
ツンドラの浜辺も忘れられない。野イチゴのなんと甘かったことか。
 

自然への陶酔から、2週間たった。あれは、カムチャッキーの12分の1の季節が持つやさしさなのだろうか、一瞬の煌めきなのだろうか。
そして、何物にも代えがたく私の心を深く揺さぶったのはカムチャッキーの笑顔だ。ややそっけない。ややためらいがちで。そしてやや寂しそうで、大きな決断や変革にゆるやかに応じるような武骨なロシアの笑顔だ。
成田からのリムジンバス。ネオンの向こうに友人のことを思った。彼は大金を手にして、憧れていた京都の大学に行ったはずだ。あいつもはにかみ屋だった。
 

2017年8月17日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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