第78回 朝日新聞デジタルニュース「文学部って役に立ちますか?」/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 自由学園 最高学部(大学部)/ 最先端の大学教育

第78回 朝日新聞デジタルニュース「文学部って役に立ちますか?」/最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」 - 最先端の大学教育【自由学園 最高学部(大学部)】

最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」

第78回 朝日新聞デジタルニュース「文学部って役に立ちますか?」

カムチャッカから帰ってすぐに、朝日新聞デジタルの取材を受けました。今年3月の大阪大学の文学部長の卒業式のメッセージが話題になったことに関連してのものでした。金水敏学部長は、メッセージの中で、国策の理系学部偏重、文学部軽視の方向性を批判しながら、「文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立った時ではないか。」と述べました。このことがネットで話題になったそうです。私への取材は、このことに関連したものでした。
その記事がまとまって、29日、朝日新聞社が運営するデジタルニュース「withnews」に掲載されました。御覧下さい。
https://withnews.jp/article/f0170829004qq000000000000000W00o10101qq000015728A
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170828-00000004-withnews-sci

その時、次のような文章も感想に書きましたので、御参照に。

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記者から送られてきた質問の課題は以下のようなものです。
「文学部って何の役に立つの?をテーマに
1 海を見る自由の文章を紐解きながら、大学で学ぶことの意味を
2 その中でも文学を学ぶ意味とは
3 文学に限らず「学ぶ」「生きる」といったテーマについて、」

「時に海を見よ」のメッセージは、個人の<自由>な生き方を大学という時間に求めよということですが、これは消極的なものではありません。個人的抱え込み<内包>によるものではありません。
私が述べようとしたことは、東日本大震災という危機的状況にあって前へ踏み出せ、そのために海を直視せよということです。
「愛される存在から愛する存在になれ。」とか、「大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためでなないかと思う。現実を直視する 自由だと言い換えてもいい。」とか、「自分を直視せよ、逃げるなということだ。悲惨な状況でも目をそらすな、忘れるな」などと語ったのはそのためです。
では今述べた抽象的精神性を、具体化し肉体化するためにはどうしたらいいのでしょう。その手段方法はあるのでしょうか。
悲しみを直視し、前に向かうために必要なものは何か。その回路はもちろん多様です。しかし、その中で、もっとも必要なものは、「想像力」から生まれる「創造力」です。
そしてそれを陶冶するものこそ文学力なのだということを忘れてはなりません。文学力を培うことは決断と実行力を求めることです。
文学力の根源にあるのは、言葉です。言葉が有効性を保つのは、コミュニケーション能力です。行き詰まった交渉を打開し、寛容を力とし、人々を、或いは人間同士を結び付け、傷をいやし、弱者の立場寄り添うことが出来るのは、言語が培った文学力です。
絆を求めて踏み出す一歩にも、互いを抱擁に結び付けるものにも必要なものは、培われた言語です。始原に言葉があるのです。文学を学ぶとはまさにその力を鍛えることなのです。人間が人間たらしめるに不可欠な営為です。文学を学ぶことは、人間らしく生きることの必要不可欠なのです。
「はじめに言葉ありき」とは、始めに対話があったということです。対話を忘れたものは、自らの人間性を放棄することなのです。
文学部に行くということはその最先端にあって前に進むことなのです。歴史的所産を未来志向に結び付けることです。混沌の渦の中に生きる意味を模索し、生活を教育的に昇華することです。

学ぶとは、自らのためではなく異なるものと関係性を深めることです。自己満足の結果を求めることは、学ぶとは云いません。
己を陶冶するという訓練は、他者に何をどれほど働きかけるかによってその評価が決まります。他者の苦悩を自己の身に振り替えることがどれほど出来るかが問われるのです。それが文学部の学びです。
文学を学ぶ者にはその先進的な責任があります。そしてその能力を鍛錬する場が文学部です。そしてそれは、普遍的な人間の生き方です。生きるとは他者のためなのです。自身のためにのみ生きるのであれば、それは、動物的エゴイストです。愛する人のために生きることが人間の責務です。

自分の子どもがかわいいと思うことは、この国すべての子どもを愛することです。この国の子どもを愛することは、世界中の子どもの幸せを願うことなのです。故郷を愛することが、地球を愛することに繋がらなければ、人間が人間らしく生きるということにならないはずです。愛への志向はステップではありません。序列でも分別でもありません。ファースト・セカンドではありません。ファースト思考は、エゴの塊を美化し、人間の尊厳をも奪います。
すべてのための個々です。生きるとは共生です。それを失った思考は、人間性を失います。生きるとは共に生きることです。自己中心は中央中心主義の、国粋主義の病巣です。

一人で生きることは出来ません。一人で生きられないということを歴史的な時間の中に、そして空間的な現実において模索するのが学ぶことです。
一人で流す涙を、国が流す涙に変え、国が流す涙を、地球が流す涙変えるのです。共に流す涙を共有することが生きることです。
地球を泣かしてはいけない、国を泣かしていけない、我が子を泣かしてはいけないのです。
日本は五里霧中の岐路で迷走しています。今こそ、学ぶ、生きる、指針を示すのは文学力です。
あえて云いましょう、誤解を恐れずに云いましょう。
今、国家を変え、地球を守るのは政治力ではありません。理想に向かい感性を鍛える文学の力です。

2017年8月29日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)

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